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13 海老で鯛を釣るとはこのことだね!

 駅で降りると、今度は俺の口が回らなくなってきた。

 自分でもダサいとは思うが、女子を——それもとびきりの美少女を——自分の家に泊めるという事の重大さを、今更頭が理解し始めたからだ。


 気持ちを落ち着かせようと、脳内で注意事項を確認する。


 着替えは大丈夫。妹のを水谷に着せてやればいい。

 妹の方が背は少し低いが、サイズ的には問題ないはず。


 母さんへの紹介は……まあ何とかなるだろ。

 既にクラスメイトが泊まりに来るとは伝えてるから、適当に挨拶して終わりだ。

 ちょっとからかわれるくらいは、この際我慢してやるよ。


 後は何かあったか? ……そうだ、歯ブラシはどうする。

 予備の新品が2本くらいあったはずだけど、一応水谷に自分のを買わせるか?

 いやでも、買わせておいて家に予備があったら申し訳ないし——。


「おーい」

「え?」


 気付くと、目の前で水谷が手を振っていた。

 さっきまで後ろを歩いていたのに、いつの間に前に来たのか。


「大丈夫? 何か考えごとしてた?」

「……ああ、まあ、そんなとこ」

「もしかして、緊張してる?」

「……まさか。してないよ、緊張なんて」


 俺の返答に、水谷はため息をついた。

 去勢なのが見え見えだったようだ。


「普通私が緊張するところだよね。相澤は自分の家に帰るだけなのに、なんで緊張する必要があるの」

「そりゃ、俺一人で帰るならそうだけど……今は状況が違うだろ。というか、逆になんで水谷は緊張してないんだよ」

「隣に私よりガチガチな人がいたら、緊張しようにもできないよ」

「…………」


 はいはい、ガチガチで悪かったな。


 ともかくそんなこんなで家に着き、鍵を挿して玄関扉を開ける。

「ただいま」と声を掛けると、「おかえり」と舞の声が返ってきた。

 母さんの声は返ってこない。おそらく家にいないのだろう。

 そう言えば高校の同窓会に行くとか言ってたような。


「お邪魔します」


 水谷の凛とした声が屋内に響いた。

 「え?」という舞の声が部屋から聞こえる。

 続いてドタドタという音がしたかと思うと、舞の部屋の扉がガチャリと開く。


「…………」


 隙間からひょっこり舞が顔を出した。Tシャツにショートパンツというラフな格好で、無言のまま水谷の顔をじっと見つめている。


「こんばんは、舞さん」


 水谷が涼しげに挨拶した。

 舞はやはり黙りこくったまま、今度は俺に顔を向ける。


「どういうことだ、説明しろ」


 やつの目がそう言っていた。


「ちょっと事情があって、今日は水谷を(うち)に泊めることにした。申し訳ないけど、舞にも色々協力して——」

「えー!? ほんとに花凛さんが(うち)に泊まってくれるの!」


 俺の説明を最後まで待たずに、舞がほとんど叫ぶように言った。

 よほど嬉しいのか、目が爛々と輝いている。この間の初対面から予想はついてたけど、こうして実際に歓迎してくれるとほっとするな。


「やるじゃん、兄貴! 海老で鯛を釣るとはこのことだね!」

「誰が海老だ。人を海産物にたとえるな」


 いつものノリで反射的につっこんでから、そう言えば今は水谷もいるんだった、と隣を見る。水谷は俺たちのやりとりを、くすくす笑いながら見守っていた。どうやら思いの外受けは良かったらしい。


 海で濡れた服をそのまま着て来ているので、まずはシャワーを浴びようということになった。水谷に先を譲り、舞には水谷に服を貸すよう頼む。舞は快く頼みを引き受けてくれた。


 その間俺は、夕食の準備を進めることにした。

 有り合わせの食材を鍋にぶち込み、カレーのルーを加えて煮込む。

 こういう時、カレーは本当に便利だ。


 やがて水谷が洗面所兼風呂場から、リビングに出てきた。

 台所で鍋の火加減を見ていた俺は、ガチャリというドアの開く音に振り向いて絶句する。


「お風呂出たよ……って、どうかした?」


 タオルで鮮やかな金髪を拭きながら、水谷が首を傾げる。


 水谷の格好は、Tシャツにショートパンツという舞と同様のものだった。

 ただ、ひと口に同じ格好と言っても、着ている人間が違うから当然見え方も変わるわけで。ショートパンツから伸びる白い足が眩しくて、目のやり場に困る。


 でも、今問題なのはそこじゃない。

 足よりももっと上、水谷の着ているTシャツ。それは明らかにワンサイズ大きめで、どう考えても舞のものじゃなかった。


「あー……水谷。今すぐそれを脱いでくれないか?」


 頭を掻きつつ俺は告げた。


「え? ……え?」


 何を勘違いしたか、水谷が頬を赤く染めて一歩身を引く。

 俺は慌てて誤解を解いた。


「違う違う。洗面所でいいから、シャツを着替えてくれってこと」

「……なんで?」

「いや、その、つまり何というか……」


 ——水谷の着てるTシャツが、俺のだからだよ。


 なんて言ってしまっていいものかどうか。


 多分水谷は、そうとは知らずにTシャツを着ている。

 おおかた舞が用意したのだろう。

 こんなトラップを仕掛けるなんて、全くなんてクソガキだ。

 今すぐ叱ってやりたいところだが、あいつは部屋に逃げたのか。


 しかし何というか、背徳感のすごい光景だな。

 今まで自分にそういう性癖があるとは知らなかったが、こういうのも中々……って、俺は何を考えてるんだ! 今はそんな場合じゃないだろ!


「と、とにかく、そのTシャツはまずい。舞のシャツがあるだろ。そっちに着替えてもらって——」

「でも、舞さんのシャツだと、胸がちょっと……」

「そ、そうか」


 水谷が自分の胸部を見下ろした。

 釣られて俺もその部位に注目してしまい、慌ててカレーに目を戻す。


 なるほど、胸部か。俺は根っからの男なので、そこまでは気を配れなかった。

 胸がきついから嫌なのか、目立つから嫌なのかまでは分からない。だが、普段着ているのよりワンサイズ小さいTシャツなら、確かにそういうことも起こるはず。


 というか、水谷って胸が大きい方だったのか。

 今まで俺がそこにあまり注目しなかったから、気付かなかっただけ?

 それとも水谷が着痩せするタイプだったとか?


 ……って、また余計なこと考えてるし。


 首を振って無理やり正気に戻すと、俺は水谷に真実を明かす覚悟を決めた。


 真実を聞いた水谷は、恐らく嫌な顔をするだろう。

 でも、そうとは知らないまま着続けるよりはましなはず。

 俺の受ける精神的ダメージはこの際無視。


 再び俺は、カレーから水谷の方へ向き直る。


「水谷。ちょっと言いたいことがある」

「う、うん。何?」


 俺の改まった様子に何か感じ取ったのだろう。

 水谷が髪をそそくさと弄り、その場で整え出した。

 一応それを待ってから、俺はついに言う。


「非常に言いにくいんだが、そのシャツは俺のなんだ。舞のじゃない」

「……あ、うん、知ってる」


 少し間を置いて、拍子抜けした様子で水谷が言った。


「え?」


 何、もう知ってんの?


 きょとんとする俺を見て何かに思い至ったのか、水谷がはっと目を見開いた。

 Tシャツの裾をつまみ、上目遣いに言う。


「もしかして、他人(ひと)に着られるの嫌だった?」

「……俺は別に気にならないけど。むしろ水谷こそ嫌じゃないか?」

「私も気にしないかな。あ、もちろん、誰のシャツでも着れるってわけじゃないんだけど、相澤のならまあ……」


 そこまで続けたところで、水谷が「あっ」と声を上げた。

 俺から目を逸らし、やたら早口で言う。


「とにかく相澤が嫌じゃないなら、私がこれ着ててもいいんだよね?」

「あ、ああ。そういうことになるな」

「じゃあ、これでこの話は終わりってことで。……ていうか、相澤も早くシャワー浴びなよ。気持ち悪いでしょ、ずっとその格好だと」

「それはそうだな。とりあえずカレーが煮込み終わったら——」

「いいよ。それ、私がやるから」

「でも、お客さんに手伝わせるのもなあ……」


 俺は少し迷った後、部屋でぐだぐだしてたであろう舞を呼んだ。

 舞にカレー作りのバトンを渡すと、すれ違いざま「どう? 良かったでしょ」と耳元で囁かれる。


「何が」

「花凛さん、彼シャツやってるじゃん。男子ってああいうのが良いんでしょ?」


 やはりお前の差し金だったか。

 俺は舞の頭を軽く叩いてから、風呂場に向かった。

当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。


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