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10 ただ、一つだけ条件あるんだけど……いい?

「……相澤に、泥棒猫」


 里見がぽつりと呟くと、その場に沈黙が舞い降りた。


 十秒、二十秒と時間が過ぎただろうか。

 もしかしたら一瞬だったかもしれない。

 我に返った俺が沈黙を破る。


「……里見か。こんなところでどうしたんだ?」

「……どうしたんだって、祭りに決まってるでしょ。他に何があると思うわけ?」

「いや、何があるとも思わないけど……」


 テンパっていたとはいえ、確かに馬鹿な質問だったな。

 浴衣姿を見れば、彼女の目的は明らかだ。

 でも——。


「里見は今、一人なのか?」

「はあ!? あたしが一人だなんて、そんなこと、そんなことあるわけ……」


 里見が俯き、拳を握り締めてぶるぶる振るわせる。


 要するに、一人なんだな。

 この間の一件以降クラスじゃ浮き気味だったし、そういうこともあるのだろう。


 ……よく考えたら、里見って一人で夏祭りとか来るタイプか?


 もちろん、一人で来ること自体をからかうつもりはない。

 祭りだろうと初詣だろうと、一人で行けば良いと思う。

 それはそれで、複数人で行くのとは違った楽しさがあるだろうし。


 でも、あの里見がな。

 まあ、俺が今気にするようなことじゃないか。

 余計なお世話と言われるのがオチだ。


 里見は顔を上げると、きっと目を吊り上げて開き直ったように言う。


「そうよ。一人よ。悪い? 一人で夏祭りに来て」

「別に悪いなんて言ってないだろ。むしろ全然ありだと思うぞ、一人で夏祭り」

「……え?」


 里見が目をぱちくりとさせる。

 何か変なこと言ったかな、と水谷を見る。

 水谷はさあ、と首を傾げた。

 

「……やっぱり意味分かんないわ、あんたって」


 なんだそれ。俺はお前が意味分かんないけどな。


 ふうとため息をついてから、里見は気を取り直したように腕を組んだ。

 ベンチに座る俺と水谷を、交互に見比べる。


「で、あんたたちはこんなとこで何してんの? 随分人気ないけど、ここ。……って、まさか」


 里見が息を呑んだ。

 ずずっと下駄を履いた足で後ずさる。


 ……さてはこいつ、また何か勘違いしてないか?


「これ」


 下駄を脱いでぷらぷらさせていた裸足の右足を、水谷が前に出して見せた。

 何、と怪訝な顔で里見が水谷に近づく。鼻緒ずれのせいで赤くなった親指と人差し指の付け根の辺りを見て、里見は顔をしかめた。


「うわっ、あんたこれ相当痛そうね。絆創膏とか持ってんの?」


 持ってない、と水谷が首を振った。

 バカじゃないの、と里見が鼻を鳴らす。


——そんな言い方はないだろ。


 立ち上がって言いかけると、


「ちょっと待ってて。あたし家近いから」


 里見が俺たちに背中を向け、下駄にしては速歩きで遠ざかってゆく。

 気勢をそがれた俺は、ばつの悪さを感じつつベンチに座り直した。

 水谷と顔を見合わせる。


「何だったんだろう、今の」

「さあ。でも、変なことは考えてなさそうだった」

「それはそうだけど……」


 水谷とそんな風に話し合いながら待っていると、少しして里見が戻ってきた。

 よくよく見ると、手には絆創膏の箱が握られている。


 ……こいつまさか。


「はいこれ。とりあえず絆創膏貼っとけば、そこそこ歩けると思う」


 そのまさかだった。

 目を逸らしつつ、里見が絆創膏の箱を水谷の手に押し付けたのだ。


 どうなるんだこれ、と息をひそめて俺が見守る中。

 一瞬目を見開いた後、水谷が箱を恐る恐る受け取った。

 彼女の戸惑いを表すかのように、瞳が揺れている。


「……なんで」


 水谷が顔を上げ、里見をじっと見つめた。

 里見は目を逸らしたまま黙りこくっていたが、それでも水谷は里見を見続ける。


 しばらくして、水谷に根負けしたように里見が息をついた。

 水谷の方に顔を向け、伏し目がちに口を開く。


「……ごめん、泥棒猫。私、あんたに酷いことした。最近になって、ようやく気付いた。今更遅いとは思うけど、ちゃんと謝りたくて」

「……本当に遅いね。もう、あれから1ヶ月以上経ってるけど」


 水谷の率直な感想に、里見が「うっ」とうめき声のようなものを上げた。

 後ろめたさがあるのか、いつもよりぼそぼそと言い返す。


「で、でも、今のあたしが学校であんたに近づくのは難しいし……」

「知ってる。みんな怖いよね、敵に回ると」


 水谷が淡々と言った。実感のこもった言い方だった。


 クラス内では今、里見は腫れ物に近い扱いになっている。

 水谷に色々とちょっかいをかけていたのが、改めて問題視されたためだ。

 俺と出かけた件についても、水谷と俺の関係を邪魔するためだったんじゃないかともっぱら噂されているくらいだ。


——いくら里見とはいえ、噂の方は間違っているから気の毒だ。


 そう思って、誤解を解くべきじゃないかと以前小倉に相談したこともある。

 こういう話には、小倉が一番向いてそうだからだ。


 でも小倉には、


「当事者の相澤くんが誤解を解こうとしたところで、何の解決にもならないよ」


 と一蹴された。

 その後笑顔でぐっとこちらに顔を近づけ、「そ、れ、に」と続けたんだ。

 以降の小倉の話を、俺は今でも覚えている。


「彼女持ちの男の子を誘うときに、彼女さんのことを1ミリも考えない女の子なんていないから。里見さんのことはよく知らないけど、相澤くんを誘う時、花凛ちゃんのことは絶対頭にあったと思うな〜」

「……つまり?」

「相澤くん、自分でも気付かない間に嵌められたんじゃない?」


 まさか、と確か俺は言ったと思う。

 小倉は相変わらず、感情の読めないにこにこ顔のままだった。


「そんなに信じられないような話かな。だって里見さんって、山本くんのことで水谷さんに嫉妬してちょっかい出してたんでしょ? そのくらいの仕返しは、普通にしそうじゃない?」

「それはそうだけど……いや、ちょっと待て。里見的には、そもそも俺と水谷が上手くいった方が得だろ。山本の入る余地がなくなるんだから。俺と水谷が上手くいかなくなったら、一番困るのはあいつのはずだ」

「まあ、ちゃんと考えたらそうなんだろうね。相澤くんも、それを理由に里見さんに誘われたみたいだし。でもさ……」


 小倉はそこで一度言葉を止めてから、はっきりとこう言った。


「そんな風に考えられる子が、そもそも花凛ちゃんに意地悪する?」


 小倉の話を聞いた時——。

 里見ってもしかして怖いやつだったのか、とはもちろん思ったよ。

 一度学校の外で会って話した分、俺は絆されてたのかもなって。


 でもそれ以上に、目の前の小倉が怖かった。

 同時に、こんな底知れない子と普通に付き合っている修二を尊敬した。 

 よくあのバカが、この子と付き合えてるな、と。


 いや、むしろバカな修二だからこそ、小倉を恐れず、一人の女の子として見れるのかも知れない。小倉のそういう一面に気付かないから。適材適所という言葉があるけど、小倉にはまさに修二みたいな相手が合っているのだろう。

 

 さて、小倉本人のことは置いておくとして。


 今の里見が教室で水谷に近付くのは、確かに難しい。

 みんな里見がまた何かするんじゃないかと警戒してるからだ。

 なので、「今のあたしが学校であんたに近づくのは難しい」という先ほどの里見の話自体は真実だ。


 俺と出かけた件でどこまで里見が狙っていたのかは、俺には分からない。

 小倉はああは言ってたけど……どうなんだろうな。


 まあ、目の前の里見を見る限り。

 少なくとも今現在反省してることだけは、信じていいんじゃないかと思う。

 クラス内での腫れ物扱いが、よほど効いたのかも知れない。


 ただ、後は水谷次第だ。

 里見からの被害を受けたのは彼女だからな。

 煮るなり焼くなり、水谷の好きにすればいい。


「いいよ、許す」


 しばしの沈黙の後、水谷は言った。

 あからさまにほっとした顔をする里見に、


「ただ、一つだけ条件あるんだけど……いい?」


 と続ける。


「も、もちろんよ。今のあたしに、あれこれ言う権利はないから」


 気丈に言い返しながらも、里見は声の震えが隠せていなかった。

 本質的には、臆病なやつなのかもしれない。


 果たして、水谷がふっと微笑んだ。


「私のこと、泥棒猫って呼ぶのやめてほしい」

当作品をここまで読んで頂き、ありがとうございます。


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