9 もったいないから
その後も様々な屋台を、俺は水谷と見て回った。
あまりこういうイベントに馴染みがなかったのだろう。
水谷は目を輝かせ、あらゆるものを楽しんでいた。
まあ、良かったよ。
二人で夏祭りを回るだなんて、最初はどうしようかと思ったけどな。
意外となんとかなるもんだ。
でも、この時間ももう終わりかな。
「水谷、そろそろ修二たちのところに……」
言いかけて隣を見ると、水谷がいない。
慌てて背後を振り返る。
少し後ろをついて来ていた水谷が「ん?」と首を傾げた。
鮮やかな金髪が、夜の暗闇の中でしゃなりと揺れる。
「どうした?」
「どうしたって、何が?」
「……何だろう」
「……相澤こそどうしたの」
水谷が呆れた。
悪い、なんでもない、と俺は呟く。
あれ? なんで俺は今、違和感を覚えたんだ?
水谷が隣にいなかったことに、か?
でも、周囲を見渡すとこの混雑だ。
常に水谷と並んで歩かなきゃならない縛りがあるわけでもないし、歩くスピード的にも水谷が後ろに来るのは何ら不自然じゃ……。
いや、違うな。
今日は水谷が下駄を履いてるからと、普段よりゆっくり俺は歩いていた。
水谷がさっきまでのペースで歩いてたなら、俺から遅れはしないはずだ。
つまり何か理由があって、水谷は歩くペースを落とした。
それも、前を歩く俺に何も言わずに。
単に歩き疲れただけか? それとも——。
「……水谷。お前、足大丈夫か?」
「何、急に。大丈夫だよ。それよりほら、次はりんご飴食べに——」
「りんご飴はいいから、俺の質問に答えてくれ。足、痛めたりしてないよな?」
「……大丈夫だって」
水谷がそっぽを向く。これはビンゴかな。
「へえ。じゃあ、確認してもいいか?」
「確認って、どうやって」
少し身構える水谷に「悪い」と断りつつ、彼女の手を引いて人混みを離れる。
他人の邪魔にならないよう道の脇まで来たところで、俺は水谷の手を離した。
おもむろにしゃがみ込み、水谷の足元を観察する。
水谷が足を引いた。
思わず顔を上げると、ゴミを見るような水谷の目と目が合う。
「……何してんの?」
「何って、さっき言っただろ。確認だよ確認。ほら、足出して。足を痛めてないなら、確かめても大丈夫なはずだろ?」
「そういう問題じゃないんだけど……」
ぶつぶつ言いながらも、水谷が足を元の位置に戻す。
透き通るような白い肌だ。
顔や腕の色と同じなんだな、と変なところで感心する。
考えてみれば当たり前か。顔や腕の肌と、足の肌は繋がってるんだし。
水谷が履いている下駄の、右足の鼻緒を軽く押してみた。
頭上から「いたっ」という押し殺すような声が聞こえる。
再び顔を上げると、水谷が口に手を当ててそっぽを向いていた。
世界水泳に出れるレベルで目が泳いでいる。
「いた……リアって、どんなとこなんだろう。コロッセオとか、見てみたいよね」
「それで誤魔化せると思うか?」
「…………」
「…………」
「……思わない」
「だよな」
俺はしゃがんだ姿勢のまま、水谷に背を向けた。
こちらの意図を理解してくれたのだろう。
ごめん、と囁くような声で言いつつ、水谷が背に乗ってくる。
水谷の両腕が、背中側から身体の前に回された。
俺は遠慮がちに水谷の膝の裏を抱える。
汚れを知らなさそうな、滑らかな感触だ。
柔らかで、それでいて確かな重みがした。
同じ体重でも、これが男ならそうは感じないだろう。
とりあえず空いているベンチでも探そうと、水谷を背負ってその辺をうろつく。
俺の動きに合わせて揺れるのか、水谷の金髪が時々耳に当たってくすぐったい。
シャンプーか何かの匂いだろうか、花のような香りが鼻腔をくすぐる。
「なんで隠してたんだ?」
俺の質問に、水谷の身体がぴくりと動いた。
「何のこと?」
「とぼけるなよ。自分で分かってるだろ」
「……もったいないから」
「もったいない?」
意味がよく分からず、おうむ返しに尋ねる。
水谷は仕方なしといった風に、ぼそぼそと続けた。
「……こんな機会なかなかないから、せっかくなら目一杯楽しみたかった。足の痛みなんかで時間取られてたら、もったいない」
「……そうか」
2週間ほど前の、ピアノの発表会の時のことを思い出す。
水谷のお母さんは、いかにも厳しそうな人だった。
遊びとかあんまり許してくれなさそうな感じ。
もしかしたら今日の夏祭りも、水谷からすれば何とか勝ち取ったご褒美だったのかもしれない。俺や舞・修二にとっては毎年訪れる夏祭りが、彼女にとっては特別なものなんだと考えれば、「もったいない」と言う気持ちも分かる。
……ああ、でも。
俺にとっても、水谷と回る夏祭りは初めてだ。
そして、来年以降も同じように一緒に回れるかなんて分からない。
多分、そうはならない可能性の方が高い。
だったらこの時間が貴重なのは、水谷だけじゃないよな。
「怪我してたって、祭りは楽しめる……はず」
水谷を元気付けようとして、でも途中で自信が無くなって。
結果的には、中途半端な言い方になってしまった。
背後の水谷の身じろぐ気配。
「例えば?」
「例えば、打ち上げ花火とか……後は……何だろうな……」
「……花火だけ?」
「……悪かったな。パッと思い浮かばなくて」
冗談っぽく不貞腐れてみせると、水谷がふふっと声を立てて笑う。
そう、それでいい。
過ぎたことを悲しむくらいなら、笑った方が楽しくなれる。
空いているベンチを見つけると、俺は水谷を下ろした。
並んで座ると、下駄を外した水谷の右足を改めて確認する。
鼻緒が当たっていた部分が少し赤い。鼻緒ずれってやつだろうか。
うーむ、絆創膏でも貼れば歩けるようにはなるんだろうけど。
この辺、コンビニとかあるのかな。
スマホで地図アプリを開き、最寄りのコンビニを確認。
決して遠くはないが、近くもない。
夜の闇の中、怪我で歩けない水谷を置いて行くには、少し不安な距離。
……背負って行くか。
「水谷、悪いけどもう1回——」
——おぶさせてくれ。
言いかけたその時、水谷が「あっ」と声を上げた。
隣を見ると、大きく見開かれた水谷の碧い目が、真っ直ぐ正面を向いている。
釣られてそちらに顔を向けると、そこには見覚えのある少女の姿があった。
パーマのかかった見覚えのある茶髪。
白地に蓮の花があしらわれた浴衣を着ていて、新鮮な感じがする。
「……相澤に、泥棒猫」
俺と水谷の視線を受けて、ぽかんと口を開けた里見彩華が立っていた。
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