8 繋いだらちょっとは怖くなくなる、かもしれない
アフリカ園を一通り見終えると、いよいよ昆虫園に来た。
大きな銀色のバッタのオブジェを横目に見ながら、昆虫館本館の前まで行く。
少し離れた場所から、修二と小倉が笑顔で手を振ってきた。
「二人とも、行ってらっしゃーい!」
「俺たちの分も、楽しんでこいよー」
おい、修二。それは普通、行きたくても行けない時に使う台詞だぞ。
自分から回避しておいて、その言い草はおかしいと思うんだ。
水谷は素直に頷くと、隣の俺の方を見た。
「じゃあ、行こっか」
「あ、ああ。……よし、行くか」
ともかくも二人に見送られ、水谷と二人本館に足を踏み入れる。
「へえー、グローワーム。発光する幼虫、って書いてある」
「……マジか。幼虫が光るのかよ」
それを綺麗だと思える感性を、残念ながら俺は持ち合わせていない。
顔が引き攣るのが自分でも分かる。
「ねえ、見て相澤。この子、本当に光ってる!」
「そうだな。確かに光ってる」
異様にテンションの高い水谷に手招きされ、ガラス張りに顔を近づける。
ガラスという隔てがあるだけまだマシだが……虫の姿をこの目で見ると、やはり何かこう、くるものがある。
しかし、本館などまだ序の口だった。
本館の昆虫を一通り見終えると、一度建物を出て、今度は昆虫生態園へ。
生態園、という名で既に嫌な予感はしたが、俺の予感はしっかり当たった。
生態園に入ってすぐの場所にある案内図を、水谷が真剣な顔で見る。
「この先が大温室か。えっと……『たくさんのチョウが自由に飛びかっています』だって。もしかして、実際に蝶に触れるのかな? だとしたら、すごいね」
「……自由に?」
もうその時点で冷や汗ダラダラの俺に、有頂天の水谷が気付くはずもない。
別の意味ですごいと思っている俺を連れ、水谷がずんずん先へ進む。
温室に入ると、うねうねとした道の両側に、植物が密生していた。
案内図の言葉通り、色とりどりの蝶が飛び交っている。
ヤバいな。蝶は駄目だ。
だって、よく考えてみろよ。
羽が綺麗だなんて言うが、元を辿ればあの幼虫のフォルムだぞ?
あれに羽が生えて飛んでると考えてみろ、すごく気持ち悪い感じがしないか?
「……すごい。ほら、この子なんて本当に綺麗な羽してる」
「そ、そうかもな」
「あっちの子は、低いところが好きなのかな」
「……さあ、どうだろう」
「こっちの子は……って、どうしたの。相澤」
不意に水谷が、飛び交う蝶から俺の方へ目を移した。
「どうしたって、何が?」
「顔、青いけど」
「……へえ、水谷にはそう見えるのか」
「……相澤って、もしかして虫苦手?」
「……」
「……」
「……」
無言の見つめ合いの末、俺は水谷から目を逸らした。
どうやら完全にばれてしまったようだ。
水谷がため息をついてから、半眼をこちらに向ける。
「なんでさっき、正直に言わなかったの」
「……自分が虫苦手なのを、忘れてたんだよ」
だいぶ苦し紛れの答えだとは、自分でも思う。
でも、本当の理由を本人に言うわけにはいかないし。
流石に嘘と分かったのだろう。
水谷が疑わしげな目で「ふうん……?」とじっと俺を見る。
やばいな。もっとマシな理由は、何かないのか。
脳みそをフル回転させていると、水谷が俺の顔を覗き込んだ。
「私に気を遣って、とか?」
「……」
なんで彼女は、こういう時だけ鋭いんだ。
野生の勘でも備わってるのか?
ばつの悪さに頭を搔く。
すると水谷が、こちらに手を差し出してきた。
「……?」
この右手はどういう意味だ?
水谷の手と顔を見比べると、彼女はそっぽを向いて言う。
「早く手を出して」
「いや、だからなんでだよ」
「……繋いだら、ちょっとは怖くなくなる、かもしれない」
その時、気のせいかもしれないけど――。
水谷がほんの少し、ほんの少しだけ頬を赤らめたような気がした。
一瞬その顔に見惚れてしまい、反応が遅れた。
次いで、身体の芯からじわっと温まるような感じ。
ヤバい、俺まで顔が赤くなってないかこれ。
慌てて水谷から顔を逸らす。
「……お化け屋敷じゃあるまいし」
「じゃあ、やめとく?」
「いや、でもまあ、もしかしたら、効果あるかもしれないし……」
「……つまり?」
「……やってみても良いかな、とは思いますね」
「ふふっ、素直でいいね」
俺が手を差し出すと、水谷がその手を握った。
彼女の手を握るのは、思えばこれで2度目だ。
1度目は状況が状況だったので、実質これが初めてと言っていい。
「……悪いな、水谷。迷惑かけて」
「こういう時はありがとうの方が嬉しい、じゃなかった?」
いたずらっぽい笑みを、水谷は浮かべた。
「……そうだな、ありがとう」
水谷の手は、冷たく柔らかかった。
俺と同じ人間の手とは思えないほど、繊細な作りをしている。
彼女の手を握ると、意識が自然とそちらに向く。
勘違いしてしまいそうになる。
実は本当に付き合ってたんじゃないかって。
頭を振って馬鹿げた思考を追い出すと、結局飛び交う蝶が気になってしまう。
「ごめん、やっぱりきついものはきついかも」
「……ドンマイ」
水谷の手を離し、身を捩って飛び交う蝶々を避ける。
そんな俺を、水谷が吹き出しそうになりながら横で眺めていた。
* * *
「二人とも、またねー!」
「気をつけて帰れよー!」
待ち合わせに使った駅で、修二たちと別れた後。
「んじゃ、俺たちも帰るか」
「うん」
俺は水谷と歩き出すと、エスカレーターでホームに上がった。
向かい側のホームに並んで座る、修二たちを見つける。
向こうから手を振ってきたので、軽く振り返しておいた。
電車は先に修二たちの方に来た。
扉が閉まり電車が去る。
さっきまで二人の座っていた椅子には、今は誰もいない。
「なんか、今日は疲れたな」
「分かる」
並んで椅子に腰掛け、半ば愚痴るように言う。
隣の水谷が同意してから、でも、と続ける。
「楽しかったよ、結構」
「……まあ、否定はしない」
なんとなく空を見上げた。
茜色と元の青色が混じり合った色で、まだ青さが勝っている。
最近日が長くなっているせいだろう。
そう言えば、とふと思い出す。
小倉には俺たちの関係、バレてるぽかったよな。
水谷には伝えておいた方が、良いんじゃなかろうか。
俺はなんとなく周囲に目を配り、馴染みのある顔が見えないのを確認してから、小倉との先ほどの会話について水谷に話した。水谷は平静な顔で最後まで聴き終えてから、一言言う。
「菜月なら大丈夫、のはず。少なくとも、悪意ではないと思う」
「俺もそう思うけど……というか、いつの間に名前で呼ぶようになったのか」
「うん。菜月も私のこと、名前で呼んでくれるって」
「そうか……良かったな」
「うん、良かった」
水谷がはにかみつつ、こくりと頷く。
なぜか心臓が、キュッとすぼまるような感じがした。
これにて2章完結です。
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