3歳差リプレイ 〜情緒不安定〜
慶太くんが就職した4月の初日。ニヤニヤと緩む表情を何とか抑えて、職場で慶太くんと対面。採用時の説明をする役割があった私は普段呼ばない「大沢さん」に笑いそうになりながら、初めましてを装って話をする。
そんなのがあった3日前。新年度初めての休みに、慶太くんの部屋に遊びに来ている。地元に戻って就職した慶太くんだけど、実家には帰らず、一人暮らし。遠慮なく私物を持ち込んで遊びに来た。
「慶太くん、可愛かったなぁ~」
「いきなり、なに?」
「んー?初日の慶太くん」
私も慶太くんもそれを経験するのは2回目のはずなのに、初めてのように緊張したし、嬉しかった。関係性の問題かな?
「ね、けいちゃん」
「…なんでけいちゃん呼び」
「いやぁ、前は呼んでたでしょ?」
前のとき、慶太くんの職場でのあだ名はけいちゃんで。誰が言い始めたのか私は忘れちゃったけれど、慶太くんは私が言い始めたって言ってたなぁ。
”俺、呼ばれた時ドキッとしたもん”って。そんなこと言う慶太くん、可愛かったなぁ。
今日はいっぱい可愛いがあるなぁ。
私だけが呼んでた訳ではなくて、同じ職場だった小林さんも呼んでいた。私と小林さんで、年下の後輩を可愛がるように呼んでいただけ。たまに、桜井さんもふざけて呼んでいた。
就職した慶太くんに懐かしく思い出して、今、呼ぶことのないそれを、また呼んでみようと思う。きっと、今もそのうち、小林さんと桜井さんが呼び始めるだろうし。いや、慶太くんの話からすると私?
「わらっち」
「ざんねーん。私の苗字は佐川なので、そのあだ名は使えませーん」
前の私のあだ名を呼ぶ慶太くんだけれど、その時の苗字とは違うから使えない。そう言って、言い返したのだけれど、ダメージを受けたのは意外にも慶太くんの方だった。
後ろから抱きしめられ、首元に顔を埋められる。擽ったいそれに、どうしたの?と声をかければ小さな声で返事が返ってきた。
「今は、俺が…」
「…”愛奈が奥さんの世界線”?」
「うん…」
前の結婚後の苗字から取ったあだ名で呼んでおいて、ショックを受けている様子の慶太くん。それがまた可愛らしく見えて、笑ってしまう。
私が奥さんの世界線は、前、慶太くんが言っていた言葉。叶わないからこその戯言で。そんな世界線があったら良いね程度の話。それが今や叶う世界線だもんなぁ。
「慶太くん、可愛い」
「可愛くない」
未だに首元に顔を埋めたままそう言う慶太くん。それも可愛い。今日は何しても可愛い!
「慶太くん、慶太くん。好き」
「…俺も好き」
身体ごと振り返って、ぎゅうっと抱き締める。
何かを不安に思っているだろう慶太くんに、理由を聞くことはない。聞いて返ってきた答えが、前の奥さんのことだったら、私は何も言えないし、勝手にだけど想像より傷付くだろうから。
接点をなくせば知り合いにもならない前の私の夫とは違って、普通に過ごしてても接点があるだろう慶太くんに、その話はできない。
私が怖いだけなんだけれども。
会いたいも、構っても、ぎゅってしても、キスしても、言えなかった。言っちゃいけない関係だった。
結局、仕事が忙しくなって関わりがなくなったのは、慶太くんの方からだった。始めたのは、慶太くんなのに。終わりにするのも慶太くん。
私だけが好きのまま、その後を過ごした。慶太くんが本当はどう思っていたかは分からないけど、私の中ではそうだったと思う。
顔をあげて、慶太くんの顔を見れば視線が合う。そのまま触れるだけのキスをする。キスをしたのは私の方。それを慶太くんは受け入れてくれただけ。
ねぇ、今、何考えてる?私、ここに居ても良いの?
「佐川、帰ろうか?」
自分で考えて、不安になっている私は、そんな意地悪な言葉しかでなくって。可愛いって言っていたさっきまでの甘い雰囲気はどっかに行ってしまって。
抱きついてキスもしたのに、全然満たされない。
「なんで。居てよ」
「んーそうねー」
再び顔を下げて、慶太くんの胸にくっつける。表情を見てる勇気もないんだなぁ。直ぐに気分が落ちるのは前から変わらないな、と自分でも分かっている。面倒くさい性格は前も今も変えることができていない。
「一緒に働くの楽しみだね」
顔をあげないまま言う。忙しいなら一緒に忙しい方が良い。一人だけ忙しいのは、置いていかれてしまうから。
「愛奈の方が年下なのに」
「職場では先輩だよ?」
「今、プライベートだから、俺が先輩」
「なにそれ。慶太先輩?」
「うん」
出来る限り、自分自身と慶太くんの気分を上げられるように話をする。何でもない会話をして。慶太くんが望む言葉を言いたい。
”ほんと、かわいいな”って言って欲しいから。前も今も、その言葉がとても好きだから。
「慶太先輩、映画観るー?映画好きでしょー?何観る?」
「愛奈、洋画観ないじゃん」
「解説してくれるなら観るよ〜」
そう言って、テレビに録画リストを動かす。アニメから洋画まで、幅広いジャンルの番組が録画されていた。
「じゃぁこれ。ホラーね」
「え、やだ。ホラー嫌いなんだって」
「いいの。俺がいるでしょ?」
慶太くんが隣に居たって怖いものは怖いんだけど、慶太くんの声が普段通りに戻ったから、しょうがない、一緒に観てあげよう。慶太くんが選んだ映画を選択して、本編が始まるところまで飛ばす。
話しているうちに、慶太くんから後ろから抱き締められる体勢に戻っていて、隣に座り直さないところをみると、どうやらこのまま観るようだ。
結果的に、本当に怖い場面は目を閉じて耳を塞いで慶太くんに抱き締めてもらって凌いでいたら、慶太くんの気分は完全回復したらしく。映画が終わるとキスを落としてくれた。
私も映画の怖さに考えていたことが飛んでいき、それも自覚したうえで慶太くんの甘いキスを受け入れた。
「愛奈怖がり過ぎ」
「だから嫌いだって言ったじゃん」
「怖がってるの、可愛い」
「そういう問題じゃない」
慶太くんの可愛いに嬉しくなる。
「ずっとくっついてたらシたくなった」
「えー?映画観てるときは全然だったのにー」
「それはそれ」
ベットの側面を背もたれ代わりにして、縫い付けられるように捕まった私は、沢山のキスを落としてもらう。
初めは触れるだけのキス。一度離れたかと思うと、時間を置かずに再びされたキスでは舌を絡ませる。付けっぱなしのテレビの音が遠くに聞こえて、近くに聴こえるのはキスの音だけ。
休みなくされるそれに応えられるだけ、応えて、好きの気持ちを乗せる。
慶太くんのキスだけで、身体がぞくりと反応してしまう。
「はぁ…愛奈」
「…ぅん?」
「好き」
「うん。愛奈も慶太くん好き」
「…どっちの呼び方も気に入ってる」
「けいちゃんと慶太くん?」
「うん」
そう言われて思い出すのは初めて慶太くんと呼んだとき。呼ぶと言うのが正しいのか分からないけれど、それを初めて使った時のことを今でも覚えている。
前、声に出して好きと言えなかった時。携帯に打ち込んだ”慶太くん、好きだよ”の文字を慶太くんに見せて、これが限界と話した。
その後に、慶太くんが、君付けなのがまた良かったと言っていたから。それから、二人の時だけ慶太くん呼びになった。そんな、記憶。
「慶太くん、慶太くん」
「ん?」
「呼びたかっただけ〜」
「なにそれ、可愛いかよ」
額にキスを落とされ、抱き締められたので、私もぎゅうっと抱き締め返す。
「…慶太くん、私、慶太くんの傍にいても良いの…?」
言葉の中に隠した不安な気持ち。好きだから。隣りにいたいから。遠回しに確認してしまう。
あなたの隣にいるのは、本当に私で合ってる…?
「愛奈がいーの。不安にならないで。俺も不安になるから」
きちんと視線を合わせて言われたそれに、私の台詞だ、と思ったけれど、職場の先輩面で許してあげよう。
「ふふ!嬉しい!」
「愛奈。好き。愛してる。”慶太好きって言って”」
「…っ、慶太くん好き…!」
”言わないよー。何言わせる気だよー”そう返したのは前の私。
「好き!大好き!…愛してる…!」
いっぱい言葉にしたい。出来なかった前の分まで。
「なんで泣くの」
「…分かんない」
泣きたくて泣きている訳じゃないのに、勝手に出てくる涙を慶太くんが優しく指で拭ってくれる。
「…何か俺も泣きそう…」
「…一緒に泣く?」
きっと、たぶん。涙が出てくるのは不安で、安心して。それで、一緒に居て。纏まらない気持ちが溢れて、上手く言葉にならなくて。
整理できないのが、涙になっているだけ。私も慶太くんも。
だから、泣いちゃえ。今、一緒に入れることだけを確かめて、先の不安を追いやって。それで、イチャイチャしよう。
今居る慶太くんを確かめよう。
ねぇ、私が名前をいつも呼ぶ理由分かってる?
普段から呼ぶことが許されたその呼び方をずっと確かめてるんだよ。それに返事をしてくれる慶太くんに喜んでるんだよ。
愛奈って呼ばれる度に嬉しいんだよ。
こんなにも好きなの、分かってる?
「ほんと、もう、好き」
「うん、俺も」
慶太くんの右手を、私と左手と絡ませる。指を指の間に入れて、それは恋人繋ぎで。
繋いだ慶太くんの手の甲にキスをすれば、慶太くんからも同じようにキスが返ってくる。
「…それ、好き。手を繋ぐのも、キスするのも好き」
「いっぱいしてあげるね」
「慶太くんのして欲しいこともしたい」
「うん、して」
「今日はもうゆっくりしよ?」
「うん」
手を繋いだまま、慶太くんの額に自分の額をくっつける。間近でみる慶太くんに今だに照れてしまう。
少しして、慶太くんから離れていき、代わりに触れていた場所にキスをしてくれた。
どうか、貴方のとなりで幸せでありますように。
いつもキスしてない…?この二人。