10話 悪夢の中にはヒーローなんていない
夢の中に居る、すぐに気づく夢だった。
姫叶と二人で遊園地のヒーローショーを見に来ていた。
幼い頃の出来事だというのに、俺も姫叶も現在の姿をしていた。
長い段々になった客席にステージを眺める客は俺達だけ、他には誰も居ない。
「姫叶、楽しいか?」
目をキラキラさせながらステージに熱視線を送る姫叶には愚問だった。
姫叶が頷く。声が遠くから聞こえるように小さい。いや、これは俺が姫叶の声を思い出せないのかもしれない。
何故?
「姫叶は、昔からこういうのが好きだよな」
忘れていた事を思い出して口にする。
どうして、忘れていてしまったのだろう。
年齢の割に幼い所のある姫叶は、日曜の朝に放送しているような子供向けの特撮やアニメが大好きだ。
「そうか、言っていたもんな。受験が終わったらヒーローショー見に行きたいって……でも、恥ずかしいから俺に付き合えてって言ってたよな……」
ここの遊園地のコマーシャルでヒーローショーの宣伝をする度に、姫叶はしつこく行きたいと言っていた。その度に、母からはもっと女の子らしくしろと怒られていた。……でもな、姫叶。母さんや父さんは、お前の為にせっせと休みを合わせようとしてくれていたんだぞ。
「四人で来たかったなぁ……遊園地……。ジェットコース―や観覧車に乗って、ソフトクリームでも食べて、お前は本当に変なところで恥ずかしがりやだから乗りたくてもメリーゴーランドとかは乗ろうとしないもんな……考えるだけで、楽しそうだ……」
涙が溢れていた。穏やかな夢だ。俺にもこんな素晴らしい時間があったんだ。
愛していた、口じゃ言えなかったが、俺はあの人達を、姫叶を、あの日々を――愛していた。
音の無い、涙が視界を覆う世界でのヒーローショーは終わろうとしている。
「もうすぐ終わりだ……姫叶?」
隣に居たはずの姫叶は居ない。探せば、すぐに気づく。
ステージに上がった姫叶は敵に捕らわれ、それをヒーロー達が必死に救い出そうとしている。
『みんな、俺達を応援してくれ!』
ヒーローが叫ぶ。辺りを見回しても、俺だけしかいない。
『どうした! そんな声じゃ全然足りないぞ! もっと応援してくれ!』
うるさい、ヒーローだ。しかし、これが夢なら最後までやりきらないときっと終わらないのだろう。我ながら、うるさい夢である。
「がんばれー! がんばれー!」
馬鹿みたいだと思いながら叫んだ。
絶望の世界で、馬鹿みたいに希望を唱えるヒーローがあまりにも眩しすぎる。
『ありがとう! みんなの声援で力が湧いてきたぞ!』
ヒーローの拳が明るい大げさな効果音と共に怪人にさく裂する。
高笑いをするヒーローは姫叶の肩を押した。
『世界は救われたぞ! さあ、家族の元へ帰るんだ!』
やれやれ、やっと終わったかと思えば姫叶は壇上でこちらに手を振っている。どうやら、迎えに来いということらしい。
どうせ誰もいない空間だと羞恥心を忘れ姫叶を迎えに行けば、近づいてきたことがよほど嬉しいのか、うさぎのようにぴょんぴょん跳ねながらステージからこちらに駆けてくる。
声は聞こえないが、「お兄ちゃん!」と元気に近づいてくる姫叶。
足を止め、姫叶をじっと見据える。そして、ショーの終わりが夢の終わりであることを察し、無邪気な姫叶へと言い出すことすらできなかった怒りを声にしてぶつけた。
あまりに無邪気過ぎる姫叶に、突然、激しい怒りが爆発した。
「どうして殺したんだ、姫叶。こんなにも平和だったのに、自分の手で奪う必要があったのか!? 俺は幸せだった! 姫叶も幸せだったんだろ! それなのに、何で! 何でなんだ!?」
後、数歩で合流できるというところで姫叶は突然歩き出す。
現実と夢が混同始めたことで周囲の景色は変化し、規則的に並んでいたベンチはたちまち人間だったモノの肉塊に変わる。
肉の花畑の中で姫叶は、さも楽しそうに「お兄ちゃん」と口を動かす。
「にくい」
最初は自分の声だと気づかなかったが、それは紛れもなく俺の口から吐き出された低い声。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……俺はお前を憎悪する」
この夢の世界が例え僅かばかり残された妹への情で出来上がった世界だとしても、俺はこの世界を破壊する。そして、壊してしまうことこそが、自分自身の迷いを断ち切れるのだと信じたい。
左右の手を伸ばせば、姫叶は真っすぐに俺の胸に飛び込んでくる。幼い時から変わらないあの笑顔と共に。
「――ぃ」
ようやく姫叶の声が聞こえた。――姫叶の首を絞めたことで、俺の耳に届いた。これが俺の望んで求めた声。
指先から感じる首は生温かく、首の辺りが脈打ってるのがよく分かる。ああ、今ここに居る姫叶は生きているんだと錯覚してしまいそうなほどに。
「たぁ――すぅ――け――」
微かに漏れる声で姫叶は助けを呼ぶ。世界で唯一の肉親の言葉を無視する。
「そうやって助けを求めた母さんを! 父さんを! お前は助けたのか!? 一瞬でも後悔し躊躇はしたか!? いいや、お前はしてないよな! だって、笑っていたんだ! 両親の死体を見て、笑っていたんだろ!?」
紛れもない憎悪と殺意、これは純粋とすら呼べるのか。
夢だ、間違いなく夢だ、姫叶はこんなにも簡単には殺させてくれない。こんなことをしても現実は何一つとして変わることはない。だが、後一歩を踏み出す、さらには大きな壁を壊す為に必要なんだ。
「姫叶! 許してくれよ、お前をこうすることしか思いつかない! ライナスとアメリアの互いを信じる姿を見ても、俺はお前を憎しみの眼で見ることしかできない! 弱い俺を、醜い俺を……許せ! 俺はお前を殺すことでしか、許されない! 救われない! お前を作り出してしまった俺を俺が許せなくなる! だって、そうだろ!? 俺にも責任があるんだよな!? なら、ちゃんと殺してやるよ! お前を殺してやらないと、みんなが困っちゃうんだよ!? こうしてやることが、俺の責任なんだっ――!!!」
一秒ごとに姫叶の呼吸は弱くなり、声は小さくなっていった。その内、唇は動かなくなり、か細い声は兄を呼んだのか両親を呼んだのか分からない。
逆に俺は姫叶の命の灯が消えていく中で、心は冷静さを取り戻していった。
「……やっぱりだ、俺は姫叶を殺すことでしか救われない。お前を殺していくほどに、俺の心は穏やかになるよ。きっと、これが俺の歩む道なんだよな? なあ、そうだろ?」
急に姫叶の身体は軽くなり、宙に投げ出したように華奢な体は全身から脱力する。
なんてあっけない終わり方なんだろう。
平静さを取り戻していったはずの心だったが、頬から涙が流れていた。
「あっけない……あっけなくて、こんなに悲しいなんて……」
ステージの上で、ヒーローは大げさな決めポーズと共に高らかに笑っていた。
※
「――大丈夫ですか?」
揺さぶられて目を開けるとアイリスがこちらの顔を覗き込んでいた。
「随分とうなされていたけど……嫌な夢でも見ましたか?」
「いいや……ずっと気を張っていたせいだろ……」
「仕方がないですよ……。お水、持ってきますね」
それ以上は言及することなく心配そうな顔のままでアイリスが離れていった。
上半身を起こしてごつごつとした岩の壁に背中を預ける。
「まだ夢の中に居るみたいだ……」
命からがら逃げだした俺達は、ライナスが隠れ家に使っていた森の外れにある洞窟に逃げ込んだ。
馬車も問題なく収まってしまうくらい広い洞窟だったので、そのまま馬車の中で眠るという選択肢もあったが、横になって目を閉じると人魚族の追手の死に顔が脳裏を横切って睡眠に集中できなかった。かといって、休まないわけにもいかないので、洞窟の暗がりにしばらく座っている内に眠りこけていたようだ。
何時間経ったのだろう、ライナスとマハガドさんは洞窟の外に居るのだろうか。
ライナスはマハガドさんのメロウハルフの力で弱くなった結界を強化すると言って、マハガドさんは改めて布で包んで封印し直したメロウハルフを抱えて周辺の監視をしていたはずだ。
雨が降り出しているようで、外からはしとしとと雨音が聞こえる。下手な睡眠よりも優しい雨音を聞いている方が何倍も癒しになるのかもしれない。
洞窟の外をぼぉと眺めているとコップを手に持ったアメリアが急ぎ足で向かってきていた。
どうかしたか、と聞く前にアメリアは慌てた様子で喋る。
「た、大変! 兄さんマハガドさんが――!」
「すぐに行こう」
アメリアからひったくるようにコップを受け取ると一気に口の中に流し込むと、同じく早歩きで洞窟の外へと歩き出す。
そうだ、まだ俺は悪夢の中に居る。