魔族の正体
それから僕らは事情を聞くため、セニア姫の案内で別のテントに行った。
王室専用のテントには椅子とテーブル、簡単なベッドがあるだけだった。王宮を知っていると質素に見えるけど、これでも戦場では贅沢な方なんだろう。
中には誰もいなかった。テントの中は僕らとセニア姫だけだ。
「ごめんなさい。おもてなしの準備もなくて……」
「そんなことはええ。うちらは友達や。戦場でワガママいうつもりはあらへん。そんなことより、うちは事情が知りたい。魔族とは先生がきっちり話をつけとったはずや。どうして戦闘になったんや」
「私にも、正確なことはわかりません」
セニア姫はゆっくりと首を横に振った。
「昨日の朝のことです。突然、魔族が休戦ラインを越えてサマルの町を攻撃してきたという知らせが入りました。私たちが到着したのが昨晩のことです」
「サマルの町はどうなったんや」
「もう、とっくに落とされていました。守備隊は降伏したようですが、被害についてはまだよくわかっていません。五千人の住民と一緒に、町は今でも占領されたままです」
テーブルにかかった銀色の髪が細かく震えていた。セニア姫はうつむいている。苦しそうに、でも必死に耐えている。
「私たちと魔族との本格的な戦闘が始まったのは、今朝になってからのことです。この近くの平原で、主力同士が正面からぶつかりました。敵は五千、こちらは聖騎士団の三百騎を中心とした二千。なんとか敵の侵攻は食い止めましたが、こちらも大きな被害を出してしまいました。今は互いに陣に戻り、睨み合っているような状態です」
「戦えるものは今、どれくらい残っとるんや」
「戦死者は二百、負傷者を含めると戦力として計算できるのは千五百というところでしょうか。明日には三千人の援軍が来ることになっていますが、戦力としてどこまで計算できるか……」
「どういうことです」
僕は思わず口を出した。三千人の援軍なら、戦力は一気に三倍になる。よほど頼りにならない部隊なんだろうか。
会長は難しい顔をしていた。
ビキニのままだったけど。格好だけなら、まるで海の家にいるみたいだったけど。会長の精神はもう、別の世界に入っていた。
「戦力は単純な数やないんや。五百人の部隊で歯が立たんかったドラゴンを、うちらは六人で倒したやろう。ルフロニア王国が強いんは、聖騎士団の三百人がいるからや。聖騎士一人で百人、場合によっては千人以上の価値がある」
セニア姫がうなずいた。
「魔族とまともに戦えるのは、聖騎士団と上級魔法使いだけです。今回はその精鋭のほとんどを連れてきました。合わせて五百。それが魔族と対抗できる戦力のほぼすべてです」
「ロシェを助けられたんは幸運やった。個人の力だけでも千人力やけど、指揮官としてもなかなかなもんやと思う。あれだけ胆のすわった人間はそうはおらん。ロシェがいなくなったら、聖騎士団はバラバラや。
ところで、そのロシェを傷つけたんは誰なんや。あの男にあれだけの傷を負わせたんや。よほどの相手なんやろう」
「ええ。それが敵の指揮官です。名前はポドロッチ。ラフロイ様が最初に倒した魔王の片腕だった獣人です」
「獣人?」
僕はまた、口をはさんでしまった。
よく考えたら、僕は魔族というものをほとんど知らなかった。もちろん見たこともない。ぼんやりと、たとえば悪魔みたいなものをイメージしていた。
先生が魔王と戦った話は聞いたことがあるけど、知識はそれだけだった。体の特徴も種類も。そもそも人間みたいな知性があるのかどうかさえもわからない。
「そもそも、魔族ってなんなんです」
「そういえば、私も魔族の話は聞いたことがないわ」
「ボクも……」
山神先輩と新海先輩も不思議そうな顔をしている。
「まだ言っとらんかったかな」
会長は首をひねった。
「変やな。御子神くんはともかく、真凛や由美とはサークルを始めてから一年以上の付き合いや。この世界の話は飽きるくらいしたはずや。たまたま魔族の話題に一度も触れんかったなんて、常識ではありえへん」
「会長は知ってるんですか」
「当たり前や。うちは魔族と全面戦争してた時の王女だったんやで。記憶が戻る前かて、先生が色々と教えてくれてたし……」
会長は急に何か気づいたように、ぴくりとまつ毛を震わせた。
大きな胸の谷間から小さな石を取り出すと、首にかけた鎖ごと外してテーブルの上に置く。想い石だ。
「すると、つまりこういうことやな」
「どういうことです」
「あのアホが一枚咬んでるっちゅうことや。そんな細かいこと、誰にも気づかれずにできる人間は、全部の世界を合わせても一人しかおらん……なあ、そうやろ。聞いとるんなら、返事をしたらどうや」
会長は、石の向こうにいるはずの先生を問い詰めた。
圧し殺した声だ。なんか怖い。まるでヤクザのアネゴみたいな迫力がある。
会長は小さく息を吐いた。
「無視しおった。でもまあ、これで決まりやな。先生がどうして魔族のことを隠しとったかは、後でゆっくり聞かせてもらうとして。とりあえずは今や。
この状況やから、簡単に説明するで。この世界が魔力にあふれてるのは知っとるやろ。その中でも濃い場所と薄い場所があるっちゅう話もしたはずや。
魔力っちゅうのは、現実の物質に影響を与える力や。うちや先生が前世と同じ顔をしてるのもそうやけど、魔力には人間の体を変える力がある。もし、その魔力を外から取り込みすぎると、どないになると思う?」
「まさか……」
山神先輩が口を押さえた。
「そうや。肉体が変質して別の生き物になる。魔族っちゅうのは、魔力の強い場所で別の形に変わった種族のことや。獣人は、人間並みの知能とそれ以上の力を持った犬やと思えばいい。まあ、狼男みたいなもんやな。数で言えば半分くらいはそのタイプや」
「獣人って、犬だけなんですか」
僕は当然の疑問を口にした。動物が変化したなら、牛や馬、猫がいたっておかしくない。
「たぶん魔力との相性やと思う。他の動物の化け物もおるけど、生殖能力がないから増えないんや。魔族と呼べるのは知性のある四種族。犬が変化した獣人、鷹が変化した鳥人、トカゲが変化した竜人それと……」
「人間が変化した亜人です。個体によって角が生えていたり牙が鋭かったりもしますが、基本的には魔力の強い人間だと思ってください。魔王と呼ばれた者たちも、ほとんどは亜人でした」
セニア姫が言葉を引き継いだ。
「今回、攻めてきたのは獣人だけで構成された部隊です。なんとか互角に戦って、最後はロシェと敵の大将ポドロッチとの一騎討ちになりました。相手も深手を負ったはずですから、まだ生きているかはわかりませんが……」
突然、乱暴に椅子を引く音がした。
気がつくと、新海先輩が立ち上がっていた。
「ポドロッチが、死ぬ……」
僕は、はっとした。
いつもの先輩じゃない。視点は定まっていないけど、ぼうっとしているわけじゃない。まるで、何かにとりつかれたような表情だ。
「ボクが行く」
「行くって、どこへや」
「和平交渉」
「何もわからんのに、行ってもしゃあないで。それにノコノコ出ていっても、あっさり捕まるだけや。うちに任しとき。必ずいい方法を考えたる。本格的な戦争になるから、先生の力は使えんけど。交渉なら、うちも得意や。由美は……」
その瞬間、どこからか風が吹いたような気がした。圧力で椅子から落ちそうになるのを、テーブルの端をつかんで支えた。テントがきしみ、揺れる。振動で肌がピリピリする。
魔力だ。魔力の波動だ。
ちょっと新海先輩、なんなんですその魔力。ヤバいです。怖いです。漏れそうです。いや、正直に告白します。ちょっとだけ漏れちゃいました。
「ボクが行く」
「由美、なんや。その魔力。まるで先生みたいやないか。こんな力を隠して、今までいったい……」
会長は、何かに気づいたように急に口をつぐんだ。血が引いて青白くなっている。まるで紙みたいだ。こんな会長は今まで見たことがない。
「まさか、由美がそうなんか」
新海先輩は、にっと笑った。
「大丈夫。友だちだから」
僕にはセリフの意味がわからなかった。どうして、この場面でそんなことをいう必要があるんだろう。
でも会長だけは理解しているみたいだった。この人の洞察力が並みじゃないのは、僕も知っている。
「でも、由美はそれでええんか。つらいで……」
「うん」
新海先輩はしっかりとうなずいた。
「セニアは、鎧と剣を用意する。後輩くんは、ボクについてくる。いいね」
「私もついていくわ」
すかさず山神先輩が申し出たけど、新海先輩は首を横に振った。
「後輩くんだけ。理由は話せない」
「真凛、言う通りにするんや。うちの想像通りなら、それしかない。セニア、急いで鎧と剣を用意して持ってきてくれんか。敵陣に入るための小道具や。カッコつけるだけやから、肩当てとすね当てだけでええ。一組くらいなら小さいのがあるやろ」
「は、はい」
「それと、御子神くんのも用意するんや。普通の装備でええ。敵との交渉に、海パン姿はまずいやろう。まるで変態みたいや」
「えっ、それって水着なんですか?」
セニア姫はショックを受けたみたいだった。
お願いです。さんざん他人で遊んどいて、中途半端なネタばらしはやめてください。ナース服でいいじゃないですか。変態よりマシです。
「ええ加減、うちらも服を着るで。サービスタイムは終わりや。セニア、早くするんや。由美は急いどる」
会長は、質問をあっさりと無視した。有無を言わさぬ感じだったから、セニア姫も反論はしなかった。




