御子神君の歓迎会
「今日は御子神くんの歓迎会や。パーっといくで」
会長の酒井先輩が宣言した。
まるでグラビアアイドルみたいな美人なのに、先輩は変な関西弁でしゃべる。本人の説明によれば、なんでも上方文化へのリスペクトらしい。
「今回は同好会の公式行事やからな。サークルの活動費を使うから、自腹やないで。今夜は飲み放題、食べ放題や……」
「おう」
こぶしを突き上げたのは、新海先輩だった。アンティークの西洋人形みたいに小柄でかわいいけれど、何を考えているのかはよくわからない人だ。
僕たちRPG同好会の会員は四人。男の僕を除けばとびきりの美少女ばかりだった。
その中でも僕は、山神先輩に首ったけだった。赤い縁のお洒落な眼鏡と、その奥に見える青みががった瞳。茶色の艶やかな髪。この人のためなら、何度死んでもいい。
「歓迎会って、向こうの世界でやるんですか」
僕はわざと山神先輩に聞いた。
「そうよ。うちのサークルのメインフィールドは、向こうの世界だもの。本当に美味しいものがいっぱいあるんだから。御子神くんもきっと気にいるわ。楽しみにしててね」
「そうや、たまらんで。世界にあふれる魔力が肉や野菜をうまくするんやろうな。あれを食うたら、こっちの世界の食材なんて豆乳を絞った後のオカラみたいなもんや。うちらの先生が向こうのお酒や食べもんにこだわるのも、わかる気がするわ」
会長は舌の先で唇をちょっとだけなめた。なんか色っぽい。
「まだ明るいけど、早めに向こうに行くで。せっかくやから、御子神くんに向こうの世界を案内したる。昨日、先生に魔法をかけてもろうたんやろう」
「ああ、ええ。なんか向こうで話したりできるようにしてくれるって。それと僕の体に魔力の流れる道を作ったっていってました」
「そうそう、その魔法や。先生がやるとマンガみたいに簡単やけど、相当に高度な魔法らしいで。理屈はようわからんけど、向こうの世界の言葉は日本語で聞こえるし、こっちも日本語で話せばちゃんと伝わるんよ。向こうの世界なら、どこの国へ行っても大丈夫やし。ほんまに便利やわ」
「会長が大阪弁で話すと、相手の言葉も大阪弁で聞こえるんですか」
どうでもいいことだけど。僕はなんとなく聞いてみた。実はもう、会長の顔を見ただけで、勝手に大阪弁が頭の中を走り回るようになっている。
「そやなあ。うちの言葉はわかるみたいやけど、向こうの言葉は上方言葉にはならへんなあ。今度、先生に聞いてみるわ。どちらにしろ改良の余地ありやね」
そんな改良、必要ないと思うけど。
先生というのは、僕たちRPG同好会の顧問の桝谷先生のことだ。ゲームみたいな異世界から転生してきた人で、世界最高の魔法使い。戦士で賢者、レベルマックスの勇者。つまり最強なんだけど、理由があって向こうの世界には行けないらしい。
僕らはそんな先生に導かれ、異世界を冒険している。放課後は、僕らをもうひとつの世界へと連れ出してくれる魔法の時間だ。
「そうや、御子神くん。お店の払いはサークルもちやけど、いくらかお小遣いは持っていくんやろ。昨日の稼ぎは預かっとるで。向こうはカードとかはあらへんから、みんな現金や。いくら持ってく?」
「あんまり大きなお金はやめた方がいいわよ。金貨とか銀貨だから重いし、向こうは治安もあんまり良くないから。トラブルの元になるわ」
山神先輩が忠告してくれた。
「先輩は、いくら持っていくんです」
「そうね。今日は買いたいものがあるから、三十ゴルダにしようかしら。翔子、お願い」
山神先輩は、会長を名前で呼んだ。先輩たちはみんな二年生だ。このサークルの歴史はようやく二年目。三年生の先輩はいない。
「じゃあ、僕も同じにします」
「了解や。まあ、うちが少し多目に持っていくさかい、足りんときは貸したる」
「二十……」
新海先輩が、指を二本立てていった。
ゴルダは向こうの通貨の単位だった。会長は一ゴルダが銀貨一枚。二十ゴルダで小さい金貨、百ゴルダが大きい金貨だと説明してくれた。
僕が受け取ったのは、小さい金貨一枚と銀貨が十枚。自分の小銭入れの中身をペンケースに移してから、その中に渡されたお金を入れた。
「一ゴルダは銅貨二十枚に換えられるんやけど、それは、別のドルデっちゅう単位になるんや。買い食い程度なら、だいたい銅貨で足りるから、三十ゴルダはけっこう使いでがあるで。さあ、そろそろ前置きは終わりや。出発するで。由美、魔法陣を頼むわ」
新海先輩はうなずいてから、部室のすみに置いてある黒いビニールシートを広げた。白い線で魔法陣が描かれていて、呪文を唱えるとそれがそのまま異世界への門になる。
「学校の制服のまま行くんですか?」
先輩たちがそのままの格好で魔法陣に入ろうとするので、僕はあわてた。会長なんて、学生鞄まで抱えている。
昨日は魔法使いの衣装や戦闘服に着替えてから異世界に出発した。剣とか杖とか、武器だって持っていった。
「当たり前や。モンスター退治に行くんやないんやで。遊びに行くのに武装してどうするんや」
「でも、こっちの世界の服とかじゃ、怪しがられるんじゃ……」
「大きな町に行くんやから、大丈夫や。世界中から、いろんな国の連中が集まっとるからな。学生服も民族衣装かと思えば、ぜんぜん変なことあらへん。それに向こうの世界で買った服なんか着たら、また自分で洗わんといかんやないか」
「はあ……」
「それとも、また、うちらのセクシーな衣装が見たくなったんか。御子神くんもマジメそうな顔して、けっこうエッチやな」
「違います」
否定しながらも、僕は自分で気づいていた。
ごめんなさい、山神先輩。本当は会長の言う通りです。少し期待してました。
昨日のスライム狩りの時は、会長がピチピチのレオタードみたいな戦闘服で、山神先輩は大きく胸のあいた魔法のドレスだった。その姿は頭の中にしっかりと焼きついている。
「ゴーレムくん。お留守番をよろしくね」
山神先輩が、ソファーにすわった案山子みたいな人形に声をかけた。口は毛糸、目はボタン。綿がつまっただけのただの人形のはずなのに、なんとなく寂しそうな顔をしているように見えた。
そして山神先輩は、いきなり僕の手をつかんだ。柔らかい感触にどきりとする。
この人はいつもそうだ。予告もなしに僕の手をとって、心までつかんで持っていく。
「昨日のでわかったと思うけど。異世界の門をくぐるときは、ちょっと体に負担がかかるわ。御子神くんは怖がりだから、今日も向こうに着くまでは手をにぎっていてあげるね」
「御子神くん、だまされたらあかんで。怖がりなのは、ホンマは真凛の方や。御子神くんが来るまでは、うちの手をにぎって離さんかったんやで。最初なんかゴーレムくんに抱きついてきゃあきゃあ言ってたんや」
「翔子、私はね……」
「呪文、始めるよ」
新海先輩が珍しくさえぎった。
いらっとしている。僕は驚いた。新海先輩が感情を表に出すところなんて、初めて見た。
会長も山神先輩もおとなしく口をつぐんだ。とびきり寡黙かもくな人だから、一言だけでもすごいインパクトがある。
呪文が始まると、山神先輩はつないだ手にぎゅっと力をこめた。
山神先輩、怖がりでありがとう。異世界の門よ、ありがとう。神様、ありがとう。
異世界の門をくぐる時の感覚そのものは決して快適なものではなかったけれど。僕にとってそれははもう、待ちかねた瞬間になっていた。