朝食と作戦会議
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新海先輩の自宅には、桝谷先生とセニア姫が待っていた。タワーマンションの最上階にあるリビングだから、やたらと広い。
南側は、ほとんどがガラスでできた壁になっている。朝の光がたっぷりと降り注いでいて、まぶしいくらいだ。
「やあ、みんなおはよう」
桝谷先生はソファーに座ったまま、シェイバーで髭を剃っていた。僕たちがゴドルの村に行った後で、お泊まりセットを持ってきたんだろう。先生もパジャマを着ている。
パジャマの柄を見て、僕は気づいた。
「あれっ、これってもしかして会長とお揃いじゃないですか」
「ああ、翔子くんに無理矢理買わされたんだ。僕は別にジャージでも良かったんだけど、着ていないと怒るからね」
僕はちょっとだけイラっとした。
人をさんざんからかっておいて、自分は堂々とペアルックですか。いくら前世がお姫様だったからって、少し身勝手なんじゃないんでしょうか。
銀髪のもう一人のお姫様。セニア姫もパジャマを着ていた。ぶかぶかなのは、たぶん会長の物だからだろう。会長は三人の先輩の中では一番大柄で、身長が百七十センチはある。
「シエナ様、こんなにのんびりとしていていいんでしょうか」
セニア姫は、会長を前世での名前で呼んだ。
「慌ててもしゃあないわ。これから、敵のうじゃうじゃいる王宮に乗りこもうっていうんや。紅茶くらい飲んでから行くくらいの余裕がないと、こっちが呑まれるで」
「それはそうでしょうけど……」
「御子神くん。食材は由美と一緒に適当に買うてきたから、なんか頼むわ。朝やから簡単なものでええで」
「いいですよ」
「私も手伝います」
キッチンに向かおうとする僕を、ユメルが追ってきた。ユメルは器用だから、僕にとってもありがたい。
「私も、何か手伝えないかな。頑張るから」
山神先輩の申し出を聞いて、僕はすうっと血の気が引いていくのを感じていた。
ダメだ。せっかくの食材がゴミになってしまう。僕には命をかけても食べる覚悟があるけど、たぶんみんなは絶対捨てる。そうしたら、傷つくのは先輩だ。
「お願いしたいんですけど、ええと。そうだ。残念ですけど、確か会長が山神先輩に話があるんですよね」
「なに言うとるんや。そんなもん、ないで」
ええっ、ここで見捨てるんですか。
僕は真っ白になった。
「……というのは嘘や。昨日、訓練した雷の魔法やけど、ちょっと悪い癖があるんや。向こうでバトルもあるかもしれん。万一のために、チェックしておいた方がええで。なあ、先生。そうやろ」
「小さい欠点はあるけど、そんなに気にするほどじゃないと思うけどな……」
先生が急に顔を歪めた。
「いや、でも今すぐ修正した方がいい。ちょっとした間違いが命取りになることもある。詳しく教えるよ。悪いけど、時間をもらえるかい」
会長が僕にだけわかるように、右手の指で丸を作って見せた。たぶんお尻かなんかを思いっきりつねったんだろう。山神先輩は気づいていないみたいだけど、先生は少し渋い顔をしている。
「わかりました。先生、お願いします。御子神くん、自分から言ったのにごめんなさい。今度また、手伝わせてね」
本当は謝るのは僕です。だましてごめんなさい。でも、みんなのためです。
謝罪の意味も含めて、僕は気合を入れて料理をした。まずはベーコンを程よく焙り、人数分の皿にのせた。それから小さめのフライパンで、溶いた卵を手早く転がすようにしてオムレツを作る。
ユメルにはサラダを担当してもらった。ユメルになら、特に指示は必要ない。
パンをトーストするのは新海先輩がやってくれた。これだけは得意らしい。もっとも、パンをトースターに置いてボタンを押すだけなのは内緒だ。
素材の都合でスープはインスタントになってしまったけど、十五分後にはみんなで食卓につくことができた。
「何やこれ、外側がふわふわに固まっとるのに中身がとろけとるやないか」
「御子神さん、さすがです。今まで食べた中で最高のオムレツです」
「ううん、実に美味い。昨日の訓練で、うっかり殺さなくて良かったよ」
「こんなオムレツ、王宮にもないわ」
「今度、私にも教えて。頑張るから」
「後輩くん、ナイス……」
山神先輩にはちょっと後ろめたかったけど、僕はみんなの反応に満足した。料理の楽しみは、食べた人が喜ぶ顔だ。美味しいと言ってくれると、本当に作った甲斐がある。
会長が紅茶にミルクを入れた。
「さあて。御子神くんの料理に感動したら、次は作戦会議や。実はあれからこっそり由美と王宮に行って、偵察して来たんや。わざとシエナのサインを残しとったから、面白いくらい混乱しとったで。ついでに何か所か、由美に場所を覚えてもろうといたわ」
「それって何か意味があったんですか。王宮なら私が案内できますけど」
セニア姫が不思議そうにいった。
「昨日言うたろう。由美が覚えた場所なら魔法陣が使える。王宮の外には結界がはってあるんやけど、中の移動なら問題ない。ピンチの時には王宮の中で隠れんぼができるっちゅうことや」
「それにしても、連中はみんな血眼でシエナ姫を探してたんでしょう。会長が自分で行って、よく見つからなかったもんですね」
僕は疑問に思った。会長は、髪と瞳の色以外はシエナ姫の肖像画と寸分も変わらない。言葉通りの意味で生き写しだ。
「そこは先生の魔法や。目立たんようにしてもろうたから、誰も気づかんかったよ。対決するときには邪魔やから、もう解いたけど。ついでにうちとセニアが着る服も持ってきたで。今日はお姫さんとして、堂々と行くつもりや」
会長は大勝負を前にしても、少しも怯んではいなかった。
同じ柄のパジャマを着た先生と並ぶとまるで新婚夫婦みたいだけど、会長は他人の目は気にしない。パンにオムレツをのせて、悠然と食べている。
逆にセニア姫は肩をすぼめるようにして、遠慮がちにフォークを動かしていた。
「私に、公爵と対決なんかできるんでしょうか」
「できるかやない、やるんや。こういう時は結果から先に考えるといいで。公爵をギャフンと言わせて、自由になって、好きな男と結婚したいんやろう。そのためやと思ったら、いくらでも力が湧いてくるで」
「そんな、夢みたいなこと。それに、好きな男の人なんていないし……」
「夢でも、いいじゃないですか」
突然、ユメルが大きな声でいった。
「私だってそうです。お姫様じゃなくて、貧乏で、親に売られて、娼婦にされそうになったけど。相手もいないのに初めては好きな人って決めてて、ただそれだけを想って。思い切って伝えたら、みんなが助けてくれました。今度は私もセニア様を助けます」
そういえば、ユメルは娼館に売られて下働きをしていたんだった。
自分を買い戻そうと必死になって、盗みをしてまでお金を貯めようとしていた。そもそも僕らと出会ったきっかけも、僕の財布を盗もうとしたことだった。
「そうや、ユメルの言う通りやで。ユメルを救ったのは、うちらやない。ユメルの想いや。自分で助かりたくない人間を助けることは、神さんでもできん」
「そうね、私も見習わなくちゃ」
セニア姫はユメルをまっすぐに見た。
「ありがとう。ユメル、さん。慣れないから許してね。王宮は堅苦しい所だから。こういう風に話をしたことがないの」
「そんな、姫様。もったいない。話していただけるだけで光栄です」
「ああ、ええな。ええな。うちかて、元は姫さんやで。それも第一王女やからセニアより格上や。もっと尊敬してもええんとちゃう」
「あっ、会長さん。ごめんなさい」
ユメルがどぎまぎするのを見て、セニア姫はここに来て初めて笑った。もともと美人だけど、笑った顔はもっといい。
「そうや、その顔や。肝心なとこでは、しっかり自分の意見を言うんやで。うちらは手助けはできても、人生の代わりはできへん。セニアはセニアとして生きるんや」
「はい」
僕はドキッとした。すごくいい顔だ。
会長は横に座っている史上最強の勇者に視線を移した。珍しく真剣な目をしている。
「今回は、先生も出てください。いきなり出ると話にならんから、タイミングはうちが指示します。ええですか。短気になって暴れたらあきまへんよ。先生が本気になったら、王宮は全滅や。王様や貴族がのうなったら、責任取ってもらうで。うちは本気やからな」
「怖いな。責任ってなんだい」
「先生が王様になって、王朝を開くんや。そうしたらもう、教師みたいにのんびりはできへんよ。外交や内政、全部に責任を持つんや。ええ加減なことしたら、民衆から恨まれるで」
「でも、そうなったら、そうなったで。祥子くんが助けてくれるんだろう」
会長は首を振った。
「嫌や。うちはやらんと言ったら絶対にやらん。そうやな、愛人になって子供だけは産んだるわ。わかっとるやろうけど、家庭サービスにも手は抜かせへんで。正式な結婚もさせん。先生は一生、仕事づけや」
リアルだ。この人の言うことは妙にリアルだ。
先生は青ざめていた。でも、先生ってそんなに短気じゃないはずだ。何でそんな脅すようなこと言うんだろう。
会長は少し表情をゆるめた。
「正直に言ってください。王宮に行ったら、うちを、シエナを殺した人間を突き止めて殺すつもりやったんでしょう」
「ああ。それが悪いことだとは、僕には思えない」
「悪うはない。でも、間違いや。うちはちゃんと先生と結婚して、前の人生をやり直したいと思ってるで。それがうちの望む幸せや」
会長はシエナ姫としての記憶が戻ってから、吹っ切れたようだった。
本当は高校教師と女子高生が付き合っているだけでスキャンダルなんだけど。それはたぶん、先生の魔法でどうにかしちゃってるんだろう。
「ああ、わかった。言う通りにする」
先生は屈服したようにうなずいた。
「おおきに、頼むで」
会長は微笑した。それには伝説の勇者が霞んでしまうほどの圧倒的な威厳があった。




