伝説の勇者
部室に戻ると、そこには眼鏡をかけた三十才くらいの男性が待っていた。勝手にソファーにすわってマンガを読んでいる。
僕たちに気づくと、その人はマンガを置いて立ち上がった。すらりとした長身。役者にしたいくらいのいい男だ。
「みんな、早かったね。歓迎会でもしてくるのかと思った」
「うちらの顧問の桝谷先生や」
「やあ、君が御子神くんだね。期待してるよ。同好会にようこそ」
「よろしくお願いします」
僕は深々と頭を下げた。先輩たちの話だと、なんだかすごい人らしいから緊張する。
「あれは、買ってきてくれたかい」
山神先輩はうなずいて、さっき町で買った布包みを先生に渡した。
先生は包みを開いた。ワインが入っているようなガラスビンで、口の部分にはコルクで栓がしてある。それには、見たことのない絵柄がついた紙のラベルがはってあった。
「これこれ、これだよ。ああ、たまらないな。こっちの世界のお酒はどうも物足りなくてね。実は、みんなに同好会をやってもらってるのも、これが飲みたいからなんだ……」
えっ、まさか。それが理由なんですか。
僕は突っこみを入れたくなったが、その前に会長が僕の肩に手を置いた。任せろということらしい。
「今日は新入会員もいるんやから、ここで飲んだらあきませんよ。この前は部室中が酒臭くなって、大変やったんやから。あんまり勝手なことをするなら、罰として先生の取り分を減らします」
「それは、かんべんしてくれよ。安い酒は、体に悪いんだ。変なものが混じってることがあるし……」
それでも、飲むんだ。
イメージとはずいぶん違う。山神先輩の話だと、先生はほとんど最強みたいだった。戦士で賢者でレベルマックスの勇者だっていうのに。今は、ただの酒にだらしない大人にしか見えない。
「わかった。今日は飲まない。約束する。これからは飲んだときは、必ず魔法で消臭する。それでいいね」
「それと、酔ったからってエッチな冗談は言わんでください。それと、隙をみて体を触ろうとしないこと。ええですか」
「おいおい、僕がそんなことしたかい。酔ってた時はわからないけど、とにかくそんな記憶はない。だから僕は無罪だ。御子神くん、君は男じゃないか。加勢してくれよ」
僕は愕然とした。
ダメだ。この人はダメな人だ。
みんなが僕を見るから、拒絶する意味で僕は精一杯首を振った。仲間と思われたら終わりだ。世界最強の魔法使いより、僕には先輩たちの方が怖い。
「ええと、それはそれとして。先生は、向こうの世界には行かないんですか。僕らと違って最強なんでしょう。自分でドラゴンでも魔王でもやっつけて、好きなだけお酒を買えばいいじゃないですか」
僕は当然の疑問を口にした。
「そうはいかないんだ。僕くらいの魔力があると、行っただけで世界中の人間や魔物に気づかれてしまうからね。人間なんて勝手なものだよ。ヤバい魔王とかはみんな倒したんだけど、平和なら平和で。今度は悪い王様を倒せとか、国を乱す民衆を鎮圧しろとか。好きなことを言ってくるからね。僕はただの人殺しじゃないんだ。これじゃあ、この世界に転生した意味がないじゃないか……」
先輩たちは自分で服を洗って干さないといけないから、見学の僕は先に帰るようにいわれた。
僕は桝谷先生と少し話してから、部室を出た。ひとりで帰るのはさみしい気もしたが、そういう理由なら仕方がない。
家にたどり着いたのは、午後八時頃だった。
「ただいま、母さん」
「お帰り。晩ごはんはまだなんでしょう」
「それより、兄貴は帰ってるかな。ちょっと話がしたいんだ」
「もう、部屋にいるわよ」
「わかった……」
僕は自分自身の問題を解決するため、兄貴の部屋をノックした。
兄貴とは子どもの頃からずっと一緒に剣道をやってきて、励まし合った仲だ。去年までの剣道部の主将で、僕のことを自分の後継者にするつもりだった。
話がわからないわけじゃなかったけれど、少し短気なところもあった。剣道部には入らないと言ったらきっとケンカになる。間違いない。
勝手に約束を破ったのは僕の方だったから、一発くらいは殴られる覚悟をしていた。
「謙次か。部屋に入れよ」
兄貴は意外なほど穏やかに僕を招き入れた。まだ、剣道部の見学をすっぽかしたことは知らないらしい。
「あの、ごめん。僕は剣道部には入らない」
「知ってるよ。さっき桝谷先生から電話があった。RPG同好会に入るんだってな。まあ、お前がそうしたいんなら仕方がない。剣道部の先生と今の主将には、俺から連絡しとく」
「それだけ?」
僕は拍子抜けした。
「それだけって、普通それだけだろう。弟がサークルを決めてきただけじゃないか。お前、ちよっと変なんじゃないか」
僕はぞっとした。血の気が引いていく。
変なのは兄貴だ。間違いない。あの先生が何かしたんだ。
先生は本当に、世界最強の魔法使いなんだ。向こうの世界で魔王を三人も倒した伝説の勇者で、戦士、賢者。そしてたぶん、僕たちのサークルの顧問の先生……。
自分のベッドに入り、電気を消しても。僕はなかなか寝つかれなかった。頭の中を不思議な出来事がぐるぐると回っている。今日の冒険。兄貴のこと、先生のこと。それに山神先輩のこと……。
不意に、携帯電話が鳴った。
着信画面を確認して、僕は心臓が飛び出しそうになった。山神先輩だ。僕がこっそりつけたハートマークが踊っている。
「はい。御子神です」
「やっぱり、寝てなかったんだね。最初の冒険をした日は、私も眠れなかったよ。何かもう、世界が変わった感じ。御子神くんもそうだよね」
「はい。もう、何がなんだか……。でも、先輩には感謝してます」
「こちらこそ。御子神くんが来てくれて良かったわ。パーティーも充実したし。今度はスライムじゃなくて、もっと強いモンスターを倒そうね」
「はい。がんばります」
僕は舞い上がっていた。
「電話したのは、言いたいことと聞きたいことがひとつずつあったからよ。まずは言いたいこと。桝谷先生はあんなだけど、お酒のためだけに同好会を作ったわけじゃないわ。ちゃんと自分が前にいた世界のことを心配してるのよ。だから私たちに冒険をさせて、様子を探っているの。
ボロボロになって、世界を三度も救った人だもの。もし、もっと強い四人目の魔王が現れたら、きっと戦うつもりなんだと思う。だからバカにするのはいいけど、軽蔑だけはしないでね」
「はい……」
「それともうひとつは、聞きたいこと。最初にあっちの世界に行ったとき、私の手をにぎって震えていたでしょう。あれが私のせいって、どういう意味だったの?」
えっ。そんな答え準備してない。好きだったから。ドキドキしてたから。心臓が苦しかったから。ぜんぶ間違いじゃなかったけれど。そんなこと、いえない。
「山神先輩だったから……です」
結局、僕はそういった。
少し考えるような間があってから、山神先輩は小さく笑った。
「答えになっていないから二十点。でも、ちょっとだけ気持ちが伝わったから、七十点にしてあげるわ。おやすみなさい、御子神くん。いい夢が見れるといいね」
チュッという小さな音がして、電話は切れた。
まさかキスの音。いや、違うかも。うぬぼれるな。もしかしたら、舌打ちかもしれない。
僕のドキドキは、ぜんぜんおさまらなかった。
眠れないから、僕は羊の代わりにスライムを数えた。金色のスライムが出てきたら眠れるかもしれない。僕は勝手にそう思った。
黄金のスライムよ、出てこい!