勇者の心配
異世界を出て学校の部室に戻ってきた時には、もう夜の九時を過ぎていた。
あれから会長はボルロイの町で財宝を売り払い、娼婦の館でオーナーと話をつけた。レオナさんは今夜は町で過ごし、明日、ユメルとその妹を連れてゴドルの村にいくことになっている。
「今夜は遅かったね」
先生は、いつものようにマンガを読んでいた。伝説の勇者は、異世界で生徒が買ってくるお酒をいつも心待にしている。
「今日はいろいろと大変だったんやで。忙しかったから、今夜はお酒はなしや」
「えっ……」
先生は手にしていたマンガ本を落とした。
「うそや。うちはほんとに忘れとったけど、御子神くんが買っといてくれたわ。持つべきもんは男の子の弟子やな」
「まあ、仕方ないですから」
僕は向こうの世界で買ってきた日本酒を、テーブルにドンと置いた。先生の顔がパッと明るくなる。
先生はソファーから立ち上がって、自分でコップを取りにいった。
「御子神くん、今日は大変な目にあったね」
「えっ」
僕は少し驚いた。まだ先生には何もいっていない。
「死にかけたんだろう。魔力がぐっと成長してる。よくマンガにもあるじゃないか。死にかけると潜在能力が開花して、もう一段階強くなるってやつ。あれは本当だよ」
「そうなんですか」
「僕がどうして強いって言われてるかわかるかい。誰よりも多く死にかけてるからだよ。前にも言ったけど、君なら僕の後継者になれるんだ。ちょっと荒療治だけど、毎日死にかけてみるかい。協力するよ」
「やめてください。冗談でも腹が立ちます」
「冗談じゃないのに……」
先生は悲しそうにいった。
「それはそれとして。前から聞きたかったんですけど。僕たちが本当にもっと強くなったら、先生みたいに向こうの世界に行けなくなるんじゃないんですか」
「ああ、その事なら大丈夫だよ。めくらましの魔法をかけているから。だから御子神くんは強く見えないんだ。いつも実力を見せるまでは、思いっきり舐められているだろう」
あ……。
思い当たる節があった。それも一つや二つじゃない。
このヘタレ勇者め。今頃になって、さらりと言いやがって。どうせ僕のためだとか何とか言うんだろうけど、なんだか無性に腹が立つ。
「そんな便利なものがあるなら、自分で自分に魔法をかければいいじゃないですか。そうすれば先生も、向こうの世界に行き放題ですよ」
「そうはいかないんだよ。めくらましっていうのは、例えて言えば布をかけて隠したり、レンズを置いて見えている物を歪ませたりするものなんだ。外から手を加えることはできても、内側から隠すことはできない」
ああ、まただ。わかったようなわからないような理屈で、いつも丸めこまれちゃうんだ。
先輩たちにも何か言って欲しかったけれど、今はカーテンの奥で着替えているところだった。
そうだ。僕だって着替えなくちゃ。もう夜も遅いんだった。先生の魔法がたいていのことはごまかしてくれるんだけど、深夜に帰宅するのは高校生としてどうかと思う。
先生はうまそうに日本酒をあおった。
「ああ、これで向こうの着替えが見られたら最高なのになあ。御子神くんじゃ、ちっとも面白くない」
あなたに見せるために着替えてるんじゃありません。ていうか、あなたは教育者じゃないんですか。
「この前、祥子くんが触らせてくれるっていった時にお尻を触っておけばよかったよ。御子神くん、悪いけど今からでも触らせてくれるかどうか、代わりに聞いてみてくれないかい」
あなたの頭の中の構造はどうなってるんですか。クズです。あなたは世界最強のクズ人間です。
先生は十分もしないうちに日本酒を飲みきって、テーブルに倒れるように伏せたまま眠ってしまった。
あれっ、先生ってそんなにお酒が弱かったっけ。どうしてこんなに早く寝ちゃうんだろう。
「お待たせ、御子神くん」
制服に着替えた山神先輩が、僕の肩を後ろからふわっと抱いた。心の準備がなかったから。僕は椅子から落ちそうになるのを、ようやく踏んばって耐えた。
会長は日本酒のビンを片付けて、テーブルを拭いた。
「先生も、疲れたんやな」
「疲れたって、マンガを読んでいただけじゃないですか」
会長は首を振った。
「これを見てみい……」
テーブルの上に落ちたマンガ本をそっと持ち上げると、その下に小さな石があった。
「これって、想い石ですか」
「想い石っちゅうのは、波長を合わせたペアの石で互いの心や声が聞こえるもんや。先生なら、先に知っとればどんな石にも波長を合わせられる。先生は御子神くんがいつも石を持っとるのを知っとったからな。ずっと見守ってたんや。由美を助けたとき、声が聞こえたんとちゃう」
「あっ、そういえば……」
跳べっていう言葉が聞こえて、僕は跳んだ。その時、自分でも信じられないような力が出た。
「もちろん由美を救ったのは御子神くんの勇気やけど、先生もそこにいたんやで。先生は御子神くんがかわいいんや。魔力は化け物を越えてるけど、心はちっちゃい子どもみたいな人やからな。心配して疲れたり、傷ついたりもするんや」
僕はなんだか複雑な気持ちになった。呆れたり惹きつけられたり。軽蔑したり尊敬したり。単純に決めつけられない不思議な人。それが先生なんだろう。
山神先輩はまだ、僕の肩を抱いていた。
「今、向こうの服を洗濯機にかけたから、止まるまでもう少しだけ待っててくれる。御子神くんは夜遅くに、女の子だけで帰したりしないよね」
「もちろんです」
僕はできるだけ堂々と聞こえるように胸をはった。弱く見えるのは仕方ないけど、先輩たちは僕を認めてくれている。それだけで十分だ。
「後輩くんに、お礼……」
不意を突くように、新海先輩が僕の前に何か持ってきた。二十センチくらいの人形だ。すごく精巧にできている。
本物の人間みたいだ。綺麗な女の子。あれっ、もしかして新海先輩じゃないか。なんかエッチな服を着ている。半分以上は裸で、どこを隠してるかわからないような変な鎧。これ、誰の趣味なんだ。
「見ちゃダメ」
山神先輩が僕の目を隠そうとした。
でも僕は指の間から見えるそのフィギュアに、ずっと心を奪われていた。
山神先輩、ごめんなさい!




