そういうお店
※ ※ ※
「もう、手をはなしてもいいんだよ」
山神先輩にいわれて、僕はあわてて手をはなした。
広い……。
最初に感じたのはそれだけだった。部室も、何もない。青い空に新鮮な空気。まばらに草の生えた荒れ地。後ろを振り返ると、遠くに城壁のようなものが見えていた。
会長と山神先輩は体をほぐすように動かしていた。新海先輩は魔方陣の描かれたビニールシートをていねいに小さくたたみ、肩にかけた布製のバッグに入れようとしている。
「うわっ」
僕は肩にぶつかった物を見て、腰を抜かしそうになった。
会長がゴーレムくんと呼んでいた人形は、なぜか最初の二倍以上。二メートルをこえるような岩石の巨人になっていた。
さっきまで、ひょろひょろの布人形だったとは思えない。太い腕と厚い胸板。まるで岩でできているプロレスラーみたいだ。
でも、部室で見たゴーレムくんの面影がないわけでもなかった。よく見てみれば、パッチワークのつぎはぎの位置だった場所の一つひとつが、かさなった岩の継ぎ目になっている。
威圧感のある体つきとは反対に、くぼんだ目の奥には優しい光が宿っていた。
「すごいやろ。ゴーレムくんには先生の魔力が、ぎょうさんこめられとるからな。強くて優しいうちらの守り神や」
会長が自慢するように、ゴーレムくんの腕をバシッとたたいた。ゴーレムくんは嬉しそうに、ぐぉおと吠える。
僕はすべてが珍しくて、まあ簡単に言えば興奮状態にあった。
初めての異世界。初めての冒険。こんなことを素直に信じられる自分が不思議だったけれど。それは確かに目の前にある。夢って可能性もあったけど、それならそれでいい夢だ。胸がわくわくする。そして先輩たちを見ると、胸がドキドキする。
地面にはいつくばるひとつの生き物を見つけたのは、それからすぐのことだった。
大きさは五十センチくらい。クラゲのようなゼリーのような、不思議な生き物だった。たぷんとした体に、青や緑の色が見える。それがぐるぐると回って、万華鏡のようなきれいな模様になっていた。触ってみたい。手を伸ばした瞬間、それは水風船のように唐突にはじけた。
「ちょっと、気いつけえな。スライムを知らんのか」
会長がちょっと怒ったようにいった。例の自慢の剣を、その生き物にまっすぐに突き立てている。
「あれでもかなり危ないんやで。あのぷるんとしたのに取りこまれたら、五分で骨まで溶けるんや。ほら、見てみい。残骸の中に骨みたいなもんがあるやろう。ネズミかなんかやとは思うけど。もしかしたら溶けて小さくなった人間の骨かも知れへんで」
僕はぞっとした。そう言われてみると、そんな風にも思えてくる。
「うちらのサークル活動はただのゲームやない。コンティニューのきかない本物の冒険や。でもまあ、最初やからピンとこんのもわかる。ええわ。見とき……」
会長はポケットから小さな石を出した。
やがて死んだスライムから、光の粒の混じった煙のようなものが立ちのぼった。光の粒はまるで、引き寄せられるように石に向かっていく。小さな石は光の粒を吸収して、ぼんやりと明るくなった。スライムがすべての光を失うまでの数秒間、石は静かに瞬いていた。
「この世界は、魔法で成り立っとるんや。つまりどのモンスターにも、能力に応じた魔力があるっちゅうわけやな。だから、死んだ時には体から魔力が放出される。その魔力を吸い取るのがこの石というわけや」
会長は石をまた、ポケットにしまった。
「この石は、いろんなものに使われとる。モンスターから村を守る結界とか、戦う武器とか。町の明かりや病気の治療。物を動かす動力にもなるんや。つまり、万能のエネルギーってこっちゃな。だから価値があるし、いくらでも売れる。うちらの目的のひとつはモンスターを狩り、吸いとった魔力を売って金を稼ぐことや」
「まあ、それだけじゃないけどね」
山神先輩が口をはさんだ。
「私は魔法を覚えて強くなりたい。ううん、ちがうわ。魔法を覚えることが楽しくてたまらない。冒険も楽しいし。この世界も大好き。御子神くんなら、わかってくれると思うんだけどな……」
「わかります」
力をこめてそういってしまったとき、僕はもう取り返しのつかないところまできていた。
「じゃあ、正式に入会してくれるわね。私たちの同好会に。もし良ければ、この場で約束してくれる」
もう仕方ない。これで断ったら男じゃない。
それに僕の心がいっている。剣道よりも、このサークルがいい。ドキドキもワクワクも、ここにはいくらでもある。
「わかりました。ぜひ入会させてください。よろしくお願いします」
「よっしゃ、ええで。ええで。うちが責任もって面倒みたる」
「これで、君は後輩くんだね」
新海先輩がポツリといった。いつの間にか、近くに来ている。
身長は百五十センチもないと思うから、あまり目立たない。人間離れした、まるで妖精のような雰囲気がある。
「そうと決まれば、うちらのモンスター狩りのルールを教えとかなあかんね。ええか。よく聞いとくんよ」
「はい」
「モンスターを狩って売ったお金はまず、十等分して参加者が十分の一ずつ取る。ゴーレムくんの分は、先生の取り分や。それからサークルの活動費に十分の二。残りはその日に一番活躍したメンバーへのボーナスや。誰にするかは、みんなで話し合って決める。ええか、公平にやで。真凛ばかりひいきしたらあかんからな」
「わかりました」
ヤバい。また、見透かされてる。
「剣とか服とか、自分の装備は自分の稼ぎで買うんよ。もちろん自分のお金やから。買い食いとか自分のお土産なんかに使ってもいいけど、この世界のことは向こうには知られんようにな。それと、なんや。御子神くんは男の子やから、気いつけて欲しいんやけど。……ええか。わかると思うけど。そういうお店は禁止やからな。うちらは高校生や」
「そういうお店ってなんですか?」
そのときには、本当に気がつかなかった。後で死ぬほど後悔したが、自覚がないってことは恐ろしい。
「ああもう、嫌や嫌や。女の子にこんなこと、言わせるもんやない。もうええ。狩りを始めるで。みんなにも魔法石を一つずつ渡すから、持ちながら戦うんや。スライム笛を吹いたら、すぐにうじゃうじゃ集まって来るからな。片っ端からやっつけるんやで」
会長は勢いよく笛を吹いた。カン高い音があたりに広く響く。
すぐに、魔物が集まってくるような異様な気配がした。ゴムのチューブをぐちゃぐちゃと動かすような気味の悪い音が、遠くからいくつも。どんどん近づいてくる。
僕は制服のブレザーを脱いで、汚れないように草の上にそっと置いた。ネクタイをゆるめてからワイシャツの袖口をまくり、右手で剣を抜く。左手には魔法石。地面をはっているモンスターが相手だから、たぶん突き刺すような使い方になる。
「山神先輩」
「なに?」
「さっき会長が言ってたお店って何なんです」
山神先輩は急に怖い顔になった。
「デリカシーって言葉を知ってる? もし、知ってて聞いているなら軽蔑するわ。御子神くんがそんなお店に行ったら、私は絶対に許さない……」