先生の初恋
「じゃあ、うちと由美は向こうにちょっと買い出しにいってくるわ。御子神くん、真凛とイチャイチャしてたらあかんで」
会長は新海先輩と一緒にビニールシートに描いた魔法陣の上に乗ると、呪文と共に煙のように消えた。後には僕と山神先輩、先生の三人だけが残される。
「君たち、今日はデートだったんだよね。勢いで連れてきちゃたけど、本当は二人の方が良かったんじゃないかな」
先生は、ものすごく高そうなソファーに体を沈めた。山神先輩も向かい合わせに座る。
先輩は横に座った僕をちらりと見た。
「いいえ、みんなとのパーティーなら楽しいし、それに私にとっては、御子神くんと一緒にいることがデートだから。ねえ、そうでしょう」
「はい。もちろんです」
僕は、体をぴったりと寄せてくる先輩の感触に心をおどらせていた。こうしていられるなら、そこが地獄だって構わない。
「初々しいねえ。僕も向こうで最初に恋をしたときは、そうだったかな。ちょっと難しい恋だったから、一緒にいるチャンスを作るだけで大変だったけど……」
先生は遠い目をした。
僕は興味が湧いてきた。伝説の勇者の恋って、どんなものなんだろう。世界最強で何でもできる人なら、何でも思い通りになるような気がする。
「相手は、どんな人だったんですか」
「話してもいいけど、翔子くんには内緒だよ。どういうわけか、女性の話をすると嫌な顔をするんだ」
そりゃあそうだろうと思ったけど。僕は突っこむより、その先を聞きたかった。
「約束します」
「なら、話すよ。僕が最初に好きになったのは、向こうの世界で一番大きな国のお姫様だった。君たちはボルロイに行ったんだろう。そこの王宮に住んでいた人だ」
「どんな人だったんですか」
「綺麗な人だったよ。同好会のみんなとはタイプが違うけど。同じくらいの美少女だった」
「タイプって?」
「お姫様タイプ」
「それは、そうでしょうよ」
たまらず僕は突っこんでしまった。きっと女王様に恋してたら、女王様タイプっていうんだ。いや、絶対にそういってる。
「上品で、誇り高くて。まるで世界を背負っているみたいな悲壮な感じがあった。初めて魔王と戦った時の話だから、僕はまだヒヨッコだった。魔族と戦いに行く壮行会で、彼女は初めて会った僕と踊ってくれたんだ。それから出撃するまでに何回か、忍んで会いに行ったよ。僕はこの人のためなら命を賭けて戦えると思った」
「わかるわ。きっとそのお姫様も、先生の事を命がけで愛してたのね」
「そうかもね」
先生の返事は何故かそっけなかった。
「それで、どうなったんです」
「魔王を倒して帰還できたのは、僕だけだった。仲間はみんな戦死して、僕だけが英雄になった。王様はお姫様と婚約させてくれたし、爵位もくれた。死んだ仲間のことを思うと心が晴れなかったけど、彼女を幸せにできると思うと嬉しかった。あんなことさえなければ……」
「あんなこと?」
「僕は王様の奴隷にはなれなかったんだよ。世界を救ったみんなの英雄だから、僕にはいろんな人が近づいてきた。例えば戦争を仕掛けようとする国があるとする。国民が虐殺されると言って、弱い方の国が僕に泣きついてくる。世界最強の勇者がやめてほしいと言ったら、戦争は始められない。結果的に僕は、世界を支配しているみたいに思われるようになった……」
先生は悲しそうだった。
「結婚式の二週間前。宮殿に呼ばれた僕に毒を盛ったのは、そのお姫様だったんだ。王国のために死んで欲しいって泣きながら言ってたよ。自分は勇者を虜にするための道具だったって。好きになったのは本当だけど、僕を支配できないなら殺すしかない。それが自分の義務だって」
先生の声は悲しみに満ちていた。
「僕は魔法で毒を消して逃げた。もう二度と戻る気はなかったけど、彼女のことだけは忘れられなかった。それから三年の間、僕は修行に明け暮れて、気がついたら前よりもずっと強くなっていた」
「お姫様はどうなったんです」
僕は、思いきって聞いた。つらそうな話だけど、最後まで聞かなきゃいけないと思った。
「彼女は最後までお姫様だったよ。新しい魔王が現れて、またどうしても僕の力が必要になった時。彼女は僕を動かすために自殺したんだ。王国の使者が彼女の髪と遺書を持って僕のもとに来たとき、いっそ僕も死んでしまおうかと思ったよ。でも、彼女の遺書がそうさせなかった。今までのお詫びと、最後の願いとして世界を救ってくれという言葉……。僕はまた、戦うしかなかった」
山神先輩が、僕の手をぎゅっとにぎった。瞳に涙がたまっている。
そのお姫様が、翔子くんなんだよ。
先生は愛おしそうにつぶやいた。ほとんど耳には聞こえなかったけど、僕にはわかった。
あんな風に生きたかったんだと思う。優しさと強さと頑固さはそのままで。自由に伸び伸びと……。僕はすぐに気がついたけど、彼女は覚えていない。だから言わないで欲しい。
僕と山神先輩は強くうなずいた。
聞こえないはずの言葉が聞こえたのは先生の魔法だ。そして約束したことで、たぶん絶対に他人には言えなくなっている。
そんな必要ないのに。絶対に言わないのに。もっと信用してください。
臆病で悪いね。
先生は魔法でそういった。
誰かに言いたかった。聞いてくれて嬉しかった。ありがとう。君たちと会えて本当に良かった……。




