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勇者の悩み

 それからみんなで楽しく飲んだ。ユメルが伝説の勇者ラフロイのことを聞きたがるから、僕らはラフロイの生まれ変わり、桝谷先生のことを話した。

 それだけで盛り上がれるんだから、先生は偉大なんだなとあらためて思う。英雄としてはともかく、話のネタとしては最高だ。


 やがてユメルの、勇者ラフロイへのイメージがぐちゃぐちゃになった頃。店の中が、少しざわついた。


 厨房を出て料理を運んでくる定員に、客が何かいっている。キャスター付きのワゴンにのっている料理に興味があるらしい。その料理が通ると、まわりの客は注目して溜め息をついたり驚きの声を上げた。中には立ち上がってのぞきこむ人もいた。


「さあ来たで。今日のメインディッシュ。世界三大珍味、オークの手や。素材の値段だけで百ゴルダはするから、滅多に拝めるもんやあらへん。今日は持ちこみやから、特別や」


 オークの手はとろみのついた餡で煮込まれていた。すごくいい匂い。見た目はちょっとアレだけど。喉の奥から、どんどんつばがわいてくる。


「ちゃんと切り分けたるからな。ケンカはなしや。ただし、これを食うたら、他のもん食うても感動しなくなるから覚悟するんやで」

 オークの手は、会長の言葉以上に美味しかった。片方でもたっぷりと四十センチはありそうな手は、みんなの胃袋にあっという間に消えてしまった。


 山神先輩は自分に割り当てられた最後のひと切れを、僕にすすめてくれた。僕はいいっていったけど。先輩はお肉に触れないようにチュッと呪文のようなキスをすると、自分のフォークで僕に食べさせてくれた。


      ※  ※  ※


 部室に戻ると、先生はもう部室で勝手にお酒を飲んでいた。大きい缶ビールが三本。そのうちの二本は、飲みきったことがわかるように潰してある。


 高校の教師が、そんなんでいいんだろうか。


 普段ならそう思うところだったけど。今日は幸せだったから全てを許せる気がする。


「やあ、悪いね。待ちきれなかったから、勝手に始めさせてもらってるよ」


 先生はイカの薫製をクチャクチャとかんでいた。世界を三度も救った伝説の英雄にはとても見えない。


 僕らが異世界に行ったときは必ず部室に来て、みんなが戻るのを待っている。お酒を買ってくるのを期待してるんだ。本人に言わせると、それが同好会を作った最大の理由らしい。


「はい、これ」

 山神先輩がワインと日本酒のビンを一本ずつ置いた。


「おお、すごい。いいね。今日は訓練だって聞いてたけど、宴会もしてきたんだ」


 僕たちが酒場に行ったときは、お酒を二本買ってくる。なんとなく、そういうことになっているらしい。


「それと今日は、特別なのがあるんよ。御子くん、お披露目や」

 僕は会長にうなずき、お店で借りてきた鍋を先生の前に置いた。料理をしてもらったとき、先生の分は最初に切り分けて別にしてもらっていた。蓋を開けると先生は歓声を上げた。


「これ、オークの手じゃないか。それも上物だ。すごいな。こんな高価なもの、どうしたんだい」


「先生の今までの取り分を、ぜんぶ使うて買うたんや。もう、先生のお酒を買うお金はあらへん。これで最後や」


「えっ……」

 先生は、かわいそうなくらいに真っ青になった。


「ウソや。そんなムンクが叫んだみたいな顔せんでも、うちらはそんなことせえへんよ。オークを呼び出して死にかけとるアホな冒険者がいたから、助けてやったんや。これはその獲物やから、うちらからのプレゼントやで」


「ああ、良かった。みんなありがとう。僕は、いい弟子を持ったよ」

 先生は、ほっとしたようだった。泣きそうなくらいに目がゆるんでいる。


「ところで、ひとつ。先生にお願いがあるんやけど……」


「なんだい」


「今度、パーティーの仲間になったユメルが、先生のファンなんや。今度、連れてきてもええですか」


「ああ、いいよ」

 先生はあっさりとオーケーした。


 自分で立って部室にある棚から箸やコップ、コルク抜きを持ってくる。部室といってもテーブルとソファーに椅子。それと、ちょっとした食器なんかが入った棚があるだけだ。

 ピンク色のカーテンの向こう側には先輩たちの装備や向こうのお金が入った金庫、洗濯機なんかがあるらしいけど。乙女の秘密とかで、僕と先生は入れてもらえない。


「今度、アブーの奴に言っとくよ。新しい弟子ができたから、そいつも門を通してやれってね」


「アブーって、あの異世界に行く呪文の中に出てくるやつですか」

 僕は、はっとした。そう言えば、その後にラフロイの名前も出てくる。あっちの世界での先生の名前だ。先生はワインのコルクを抜くのに忙しいから、会長が説明してくれる。


「御子神くん、あれは厳密にいうと呪文やないんや。異世界を渡り歩くのは宇宙の法則で禁じられとる。だから世界と世界にの間には強力な魔神を置いて、絶対に通さんよう管理しとるんや。本当なら、どんな魔法でも通れへん」


「でも、何回も通ってるじゃないですか」


「そこが先生の強引なところや。異世界の門と魔神のカラクリに気づいた先生が、その魔神をボコボコにして子分にしたんやな。あの呪文の意味を簡単にまとめると、こうなるんや。

 門番のアブーよ、覚えとるな。勇者ラフロイの命令をきくって約束したやろう。痛い目をみたくなければ、さっさと通すんや。俺の弟子も俺と同じに扱うんやで。なめたらあかん……」


「よしてくれよ。それじゃあ、まるで僕が悪者みたいじゃないか」


 悪者です。今の話を聞く限り、間違いなく悪者です。魔神がかわいそうです。


「何でもありですね」


「そうでもないよ。僕だって、人の心は動かせない。できたら今日だって、職員会議でしぼられたりしないさ。成績が落ちたのが僕のせいだって責めるんだ。

 たしかに僕の授業は自習が多いし、適当に教科書を読んでいるだけだけど。勉強なんて自分でやればいいじゃないか。学校は勉強をしに来るところなんだ。勝手にサボって成績が落ちたのを人のせいにするなんて、最低だ」


 いや、最低なのはあなたです。たぶんみんなそう思ってます。


 でもそこで僕は、ふと疑問に思った。

「先生って、この同好会を目立たなくしたり、部室を使うのを認めさせたりしてますよね。そういうのって、人の心を操ってるんじゃないんですか」


「ああ、あれね。あれは人の認識をずらしているだけだよ。幻覚の魔法の応用だ。この同好会が当たり前の存在に思えるように、常識的な感覚にめくらましをかけているんだ。心そのものを操っているわけじゃない」


 先生はそれから他の教員や生徒たちにさんざん悪態をついてから、テーブルに顔を伏せたまま寝てしまった。

 伝説の英雄でも、へこむことはあるらしい。


 そんな先生の肩に、会長はそっと毛布をかけてやった。眼鏡を外して横に置く。それから乱れた髪を指で整えた。

「まったく子どもみたいやな。しゃあない勇者や。うちがいないと、ホンマにダメなんやから……」


 何かに気がつきはじた僕の手を、山神先輩がぎゅっとにぎって止めた。先輩は僕に目で合図をしてからうなずいた。そっとしておけということらしい。


 わかるよね。


 山神先輩は微笑みで僕にそう伝えると、優しい目で先生と会長をじっと見つめていた。先生はだらしなく、でも幸せそうに眠っていた。

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