飾り物の魔王
※ ※ ※
次の日の早朝。旅館を出た僕らは一度、ゴドルの村に立ち寄った。
そこで全員が戦闘用の装備に着替えた。別に普段着でも負ける要素はなかったけど。これも相手への敬意ってやつだ。
会長は赤いドレスの上に胸と肩だけを覆った軽い鎧をつけていた。腰にはすらりとした長剣。アニメキャラのコスプレみたいだったけど、すごく似合っている。
「さあ、後は打合せどおりや。ええな。こういう場合のことわざは知っとるやろ。朝飯前に全部、決めるで」
「おう」
剣を突きだした新海先輩も鎧姿だ。小柄な体にドラゴンの鱗で作った黒い鎧。肌の露出が多いのは、マニアを喜ばせるためじゃない。風通しが良くないと気分が悪くなるんだそうだ。
「御子神くん、今回は君が主役だ。頼んだよ。僕は後で祥子くんと一緒に行く」
先生は、青いぴったりとしたスーツに赤いマントを着けていた。青は勇者の色だ。胸には大きくルフロニア王家の紋章が入っている。
誰が見ても、超有名なアメコミヒーローのアレだけど。間違いなくアレだけど。
これが勇者の本来の装備だった。先生のレベルだと鎧なんて必要ない。どんなに優秀な装備でも、勇者がまとう闘気に比べれば紙みたいなものだ。動きにくくなる分だけ、マイナスになる。
三人は先に、転送魔法でそれぞれの目的地に消えた。
「御子神さん。こんなに凄い人たちの中で、私なんかが役に立つんですか」
ユメルが不安そうに声を漏らした。
俊敏さを活かすため、鎧は着けていない。黄色いシャツに短めのスカート。腰のベルトには、大ぶりの短剣を挟んでいる。
「自分では、気がついていないかもしれないけど。僕らはユメルにいつも支えられてたんだ。一緒に来てほしい。それだけで百人力だ」
「そうよ。私は過去がああだったから、本当は表舞台に出るのは怖くてたまらないけど。あなたが一緒なら前に踏み出せる。お願い、一緒にいて。私にはあなたが必要なの」
魔女のドレスを着た山神先輩が、ユメルの手を握った。ユメルはしっかりとうなずく。
「わかりました。私には前世の記憶も、神様みたいな魔力もないけど。みんなのために、少しでも役に立ちたい。仲間にしてくれたみんなのために、できることはなんでもしたい」
「ありがとう、ユメル。しっかりと見届けてくれ。過去の記憶はなくても、未来の記憶は作っていける。さあ、一緒に行こう」
ポチ、お前も頼んだぞ。
僕はそっと、ささやきかけた。応えるように腰につけた剣が震える。
ポチは獣人族の長、ポドロッチの愛称だ。
彼は自分の名前をつけた剣を新海先輩に捧げた。どうせうまく使えないから後輩くんにあげる。最期の戦いに行く直前、先輩はそう言ってその剣を僕に託した。あの有名な決闘で先生と戦ったのもその剣だ。
シェザートとしての僕が死んだ後、ポチは混乱の中で失われてしまった。でも、何十年も経って僕が見つけた。ポチはちゃんと、僕が見つけるのを待っていてくれていた。
山神先輩とユメルが、僕にぴったりと体を寄せてきた。今の僕なら魔方陣を使う必要もない。目標を頭に描きながら、転移の呪文を唱えればいい。
僕の魔法はなんのノイズもなく、目的地に連れていってくれた。あんまり自然だったから、移動している感覚すらなかった。瞬きをして、目を見開いたら景色が変わっている。そんな感じだったと思えばいい。
昨日の夜のうちに段取りは済ませていたから、その人物は約束の場所で待っていた。
「シェザート様、お待ちしていました」
鳥人族の長は優雅な動作で目を閉じ、ひざまずいた。もう一人も同じようにする。
「これは息子のブラスです。覚えていらっしゃるでしょうか」
「ああ、もちろんだよ。立派になったね」
「魔王様に命を救っていただいてから、もう四十年以上になります。親の私が言うのもなんですが。シェザート様を目標にして修行に励んだお陰で、鳥人族でも有数の戦士と呼ばれるようになりました」
「ブラスです。シェザート様のためなら、身命を賭して働きます」
ブラスは顔を上げた。
あの日、シェザートだった僕が自分の命を削って助けた子どもだ。魔族は寿命が長いから、まだ青年といった感じだ。
「シャリテ様も、お久しぶりです。ところで、そちらの方は? 失礼ですが。何か、懐かしいような、不思議な気がするのですが……」
「いや、ブラス。私にも覚えがある。もしかして、まさか。シェザート様、そちらにいるのは……。いや、間違いない。この私が間違えるわけがない」
鳥人族の長は、ユメルを見たまま固まっていた。驚きと、そして続いて、瞳から涙があふれてくる。
「私の顔、何か変ですか」
ユメルがそっと僕に聞いた。
僕は彼とユメルが昔、夫婦だったことを知っている。でも、それは二人が自分で思い出すことだ。今はまだ、話す場面じゃない。
「その事は後でゆっくり話すよ。さあ、そろそろ行こう。今日は魔族と人間の関係が変わる日だ。向こうでシャリングも待っている。僕たちも乗り遅れないようにしよう」
僕はまず、鳥人族の二人にめくらましの魔法をかけた。いきなり現れるんだから、正体を明かすタイミングはこちらで選びたい。これで僕らが目の前にいても、こちらから名乗るまでは相手からは気づかれない。
僕は続いて転送呪文を唱えた。そして次の瞬間には、僕らはもうあの部屋にいた。
忘れるわけもない。最初にゴドロムと会見した場所。昨日、シャリングと会ったあの部屋だ。
ただ、今度は人が多い。十人近い人間や魔族がいる。シャリングと一緒にいるのは竜人族の長だろう。直立したトカゲのような姿。兜の形に特徴がある。
ゴドロムは騎士や魔法使いを背後に引き連れていた。双方で何か言い争いをしている。
「シャリング……」
僕は駆け寄ろうとする山神先輩を止めた。
「待ってください。シャリングが何か言っています」
「もう、戦争はやめにしたい」
シャリングはソファーから立ち上がっていた。竜人族の長が立ったままうなずく。
竜人族は、三種族の中で人間とはもっとも遠い。冷静で論理的な種族だが、それだけに獣人族とは相性が悪い。発声器官が違うせいか、声もカン高かった。
「その件については、私も同意した。人間とのこれ以上の戦いは無益だ。我が一族の友であるシャリングの願いに従おうと思う」
「愚かな……」
ゴドロムは吐き捨てるように言った。
「ようやく魔族の連合が成立したのです。獣人族はルフロニア軍と既に戦端を開いている。今さら止められませんよ。それにルフロニアはヒュミラ様と裏切りの魔女を手にしている。取り戻す機会は今しかありません」
シャリングは眉をひそめた。
「だが、それならヒュミラ様はどうして裏切りの魔女やシエナ姫と一緒にいたのだろう。あの時は、獣人族の女も一緒だった。捕らわれの身とは思えない。ヒュミラ様には何か、別のお考えがあるのではないだろうか」
ゴドロムはその皺の深い頬をつり上げた。笑い、なのだろうか。
「別に考える必要はありません。あなたは今、自分の置かれているお立場をお分かりですか」
「どういうことだ?」
「あなたは、ただの飾りなのですよ。偉大な二人の魔王の十分の一の力もない。ましてやラフロイに勝てる実力など、あるわけもない。お忘れではないでしょう。それでも、あなたは父親の夢を追いたいと私に泣きついてきた。虚栄心は評価しますが、お飾りならお飾りらしくしていることです」
「ゴドロム、貴様は私を愚弄するのか」
ゴドロムはぐふっと、喉を鳴らした。
「そう思うなら、そう思われても構いません。ただ、盟約を破ると言うなら、それ相応のペナルティーを払っていただく必要があります。忘れていらっしゃるかも知れませんが、私の元には盟約の人質としてお預かりしているシャリング様のご子息がおられます。約束を破ったら、その方がどうなるとお思いですか」
「卑怯な。あれはただ、盟約のための方便だと言ったではないか……」
「人質とは、そういうものですよ。いざという時に死んでいただくための道具。私には、そんなことも知らない方がいることの方が不思議です。さあ、つまらない考えはお捨てなさい。私の言う通りにすれば、あなたはまた魔王を名乗ることができる。そのためのお膳立てなら、いくらでもして差し上げましょう」
今だ。
僕は息を大きく吸った。いよいよ出番だ。
「シャリング、もういい。よくやった。後は、僕たちに任せてくれ」
空気が変わる瞬間を僕は知った。僕らに気づいた人間たちの目が丸くなる。そして、やや遅れて表情が生命を失ったように青ざめる。
僕は余裕綽々の笑みってやつをを浮かべてやった。あざけったわけじゃない。これも必要な演出だ。
全員が一斉に僕たちに気づいた。もちろんゴドロムも。奴は僕がシェザートだった時にも面識がある。
「いつからそこに……。いや、それより。まさか、信じられん。お前はあの最強の魔王、シェザートなのか」
「最近も会いましたよ。そっちが勝手に気づかなかっただけです。僕は大切な息子、シャリングを脅すような真似を見逃さない。そしてもう、僕らはこの世界から逃げることをやめる。あなたが暗躍できるような隙間はもう、世界のどこにもありません」
僕に続いて鳥人族の長も声を上げた。
「私は鳥人族の長、ブラントだ。私の一族はシェザート様に従う。シャリング様が説く、人間との和平を全面的に支持する」
「バカな……」
ゴドロムは明らかに狼狽していた。
「だが、まだだ。まだ獣人がいる。奴らは今でも戦争の最中だ。勝手な和平交渉など、認めるわけがない」
突然、目の前の空間が蜃気楼のように揺らいだ。虚像かと思った姿が、急にはっきりと形をとりはじめる。小柄な体。そしてがっしりとした獣のような体が、同時に目の前に現れた。
そのうちの一人。新海先輩が得意げに親指を立てた。いや、ここでは大魔王ヒュミラと言った方がいい。
「後輩くん、待たせたね」
「私は獣人族の長、ポドロッチだ。私が一族はヒュミラ様の命に全面的に従う。大魔王様の命令ならば人間のみならず、トカゲや鳥とも仲良くしよう」
獣人族の長は、そう言いながらも竜人や鳥人に暗い視線を投げた。本当はまだ納得していないという顔だ。
ゴドロムは部下たちを見たが、誰も視線を合わせようともしない。彼は舌打ちをした。
「だが、私にはまだ人質がいる。シャリング様のご子息様だ。シェザートよ。お前にとっては孫になるのだぞ。さぞや恋しいだろう。最強の魔王でも、爪をはがされ、泣き叫ぶ姿を見たくはないはずだ」
また、空間が揺らいだ。蜃気楼のように。ただ、今度は地響きを伴っている。
そこには、けろりとした顔の先生がいた。魔力がピリピリしている。まったく、自分を抑えるのが苦手な人だ。
「人質というのは、この少年かい?」
先生は角のある少年の肩を抱いていた。
「お前はまさか。ラ、ラフロイ……」
「ゴドロム、約束を覚えているかい。次にこういうことをしたら、君を公開裁判にかけると教えたはずだ。戦争をあおり、世界を混乱に陥らせた罪だ。どんな判決が出るか楽しみだよ」
一緒に現れた会長が前に進み出た。
「うちは人間の代表を連れて来たで。セニア姫とロシェや。別の国にもみんな使者を送った。もう、逃げる場所はどこにもないで」
「シエナ姫……」
ゴドロムはがっくりと肩を落とした。
「なるほど。どうにもならんはずだ。二人の魔王に、勇者。冗談にしても出来すぎている。力だけなら操るすべもあるが、そこにシエナ様まで加わったのでは勝負にもならん」
「見苦しい真似はせんこった。裁判はきちんと受けさせたる。
正直に罪を認めれば、まだ可能性はあるで。うちらが求めるのは、生贄を求めるような世界やない。たぶん死刑判決が出るやろうけど、世界がまとまったお祝いや。減刑もあるんやないかと、うちは見込んどる」
「あなたは全てを見透していおられる。気がついていなかったかもしれませんが、私と姫様は似ているのですよ。もし私の側にあなたが居てくだされば、世界を支配することもたやすかったでしょうに……」
「ちっとも似とらんよ。うちらが大切にしとるんは愛と友情と、ほんのちょっぴりの遊び心や。おまえには、何一つあらへん」
「遊び心、ですか」
「心に余裕のない人間には、ええ考えなんて浮かぶわけあらへん。それがおまえと、うちらとの差や。心を入れ換えん限り、永遠にうちらには勝てへんで」
会長は堂々と言い放った。胸を張り、ドヤ顔で。普通なら恥ずかしいようなセリフも、この人が言うと不思議と納得できてしまう。
ゴドロムは崩れるようにソファーに埋まった。
「なるほど。私は、負けるべくして負けたということですか。あなたが戻ってきたとき、気づいておくべきでしたな」
声にも力がない。僕はこの男の諦めの表情を初めて見た。何度も僕らを苦しめたしぶとさも、さすがにもう打ち止めだろう。
「さあ、アホの相手はもうええやろ。とりあえず向こうの世界に戻るで。あっちはもう、八時半や。あと一時間しかない。朝食バイキングを食べ損ねたら、由美に恨まれるさかいな」
「うん、恨む」
新海先輩がまっすぐにうなずいた。こんな場面でも、気をつかって否定したりはしない。この人はそういう人だ。
「シャリング、これから一緒に朝食をどうだい? お母さんと三人で。旅館は予約がないと無理だけど、向こうの世界にはファミレスっていうものがあるんだ」
僕は自分よりもずっと年上の息子に声をかけた。山神先輩が、目を潤ませながらうなずいている。気持ちは同じだ。僕にはそれがわかる。
「はい、シェザート様。いえ、お父さん。喜んで……」
僕らは記憶だけでなく、家族も取り戻した。
ここはもう、僕にとって見知らぬ異世界ではなくなっていた。