魔女の苦悩
※ ※ ※
国境の城は、まるで童話のお姫様の住む城のように美しかった。周囲には堀がめぐらされいて、外敵が侵入するのは容易ではない。いくつもある高い塔が侵入者を常に見張っている。
「ゴドロムの趣味や。税金をいくらかけたんか、わからんくらいやけど。今まで役に立ったことはない。けりがついたら、いっそのこと壊してしまいたいくらいや」
会長が城を見上げながら、憎々しげにいった。
「わかっとると思うけど、目的はゴドロムの奴を捕らえることや。向こうに行って相手の戦力を見極めたら、うちが合図をする。
そしたら御子神くんが飛び出して、ゴドロムを羽交い締めにして連れてくるんや。後は由美が素早く全員を転送する。雑魚には構わない。ええな」
僕らは全員、うなずいた。
城の周囲はテントでびっしりと埋まっている。ルフロニアのものとは違うから、竜人の部隊だろう。ミヒャルケは三千人くらいといったけど、もっといそうだ。それだけでも、かなりの威圧感がある。
ミヒャルケは獣の耳をぴくりと動かした。
「ヒュミラ様、ここで待ちましょう。使者はもう、出してあります」
「ミケ、よし」
「にゃん……」
ミヒャルケは両手を握って、胸の前にそろえた。なんかかわいい。すりすりしたい。こんなにかわいい人たちと、人間はどうして戦争なんかしたんだろう。
すぐに城からの使いと共に使者が戻ってきた。
「ゴドロム様は応接室でお待ちです。お伴は五人まで。三人ずつ、転送魔法でご案内します」
そういうと、城からの使いは腰をかがめて魔法陣を地面に敷き始めた。
その魔法使いの顔を僕は覚えていた。王宮でゴドロムと対決した時、隣にいた奴だ。あの場面にいたということは、かなりの手練れなのだろう。
僕はちょっとびくっとしたけど、わざと気がつかなかったふりをした。先生の魔法に間違いはない。先生がいったのなら大丈夫だ。堂々としていればいい。心の中でそう繰り返す。
先生や新海先輩なら、まとめて全員を転送しただろうけど。その魔法使いは、もったいぶったようにやたらと長い呪文を唱えた。
最初にミヒャルケと新海先輩、会長。次に僕と山神先輩、セニア姫。人数の関係でユメルは待機することになった。
僕は気がついた。山神先輩が強く僕の手を握りしめている。
「守ってね」
聞こえないような小さな声で先輩がいった。
「守ります」
僕はしっかりと答えた。今までとは違う厳しい状況だけど。何があっても守ってみせる。僕は心にそう誓った。
城の中は豪華なホテルのようだった。
下手くそな転送魔法のせいで、少し吐き気がした。頭もくらくらする。
ゴドロムは応接室の奥にあるソファーに腰かけていた。つい何か月か前までは、公爵としてルフロニア王国の実権を握っていた男だ。
一時は国王よりも権力があったらしい。
セニア姫も、もう少しでゴドロムの長男の愛人にされるところだった。パーティーの仲間と先生の活躍で阻止したけど、王国そのものが乗っ取られる寸前だった。
忘れもしない。あの憎々しい顔。
でも、なるべく気にしないようにした。今は作戦中だ。魔法が解けるようなことをして、すべてを台無しにしたくない。
ゴドロムの後ろには五人の魔法使いと五人の騎士がいた。
「これはこれは、ミヒャルケ様。今日はどうされたのです。ご連絡をいただけたなら、こちらから出向きましたのに……」
嘘だ。そんな気があるのなら、こんなに慎重に防備を固めたりしない。魔法使いも騎士も、いつでも戦いを始められるような緊張感がある。
「ゴドロム殿、今日は父上からの指示で参りました。獣人族の長、ポドロッチからの伝言です。
昨日の朝、ルフロニア王国の主力部隊と戦闘になりました。聖騎士団にもかなりの打撃を与えましたが、我が方も痛手を受けました。今は互いににらみあっているような状況です」
「なるほど」
「そこでかねてからの約束通り、ゴドロム殿も進軍を開始していただきたい。王都を脅かされれば、ルフロニア軍も引き返すしかありません。我々は労せずして背後を突けるということです」
ミヒャルケは動揺することなく言い切った。
会長が用意したセリフだったが、新海先輩の命令なら完璧に従う。そこはさすがだ。
「おっしゃるとおりですが、我々の戦力はまだ、十分ではありません。鳥人族が静観していますからね。ルフロニア王国そのものを滅ぼすには、戦力が足りません」
「竜人がいるでしょう。もう、かなりの数が集まっているように見えましたが。あれでも不安ですか」
「もちろん、竜人が力を貸してくれるのなら問題ありません。ですが、竜人の血は冷えていますからね。彼らは出兵に条件を出してきました」
「あのトカゲ共が、何といってきたんです」
「それは……」
ここにいる敵に、問題になるほどの大物はいない。僕一人でもどうにかなる。会長が合図の目配せをした、その瞬間だった。
突然、ドンという音と共に男が入ってきた。特別に大きくはない。せいぜい僕と同じくらいだ。でも巨大な魔力が突風のように感じられる。
それは竜人ではなかった。
最初は人間だと思った。灰色のシャツにズボン。牙もないし耳も尖ってはいない。
ただ、額に盛り上がるような角があった。鹿の袋角のように軟らかそうだったが、それは確かに角だった。
「ゴドロム、獣人が来ているのだろう。なぜ私を呼ばぬ。ヒュミラ様は見つかったのか、裏切りの魔女は捕らえたのか。私には、聞く権利がある」
「シャリング様……」
ゴドロムとミヒャルケが同時につぶやいた。
並の相手ではない。それは僕にでもわかる。魔力と、体にまとった気とでもいうもの……。この男の前でゴドロムをさらうことは不可能だ。たぶん僕よりずっと速い。
会長が僕を見て、首を振った。計画変更の合図だ。とりあえず情報収集だけして引き返す。もしもの場合はそう決めてある。
シャリングと呼ばれた男は、ミヒャルケをにらむように見た。
「おまえはミヒャルケだな。裏切りの魔女はどこにいる。もし知っているなら、私に引き渡せ。遠慮をすることはない。あの女はもう私の母ではない。我が手で殺してくれる」
「知りません。我らはただ、ヒュミラ様を取り戻そうとして挙兵したのです。裏切りの魔女も復活しているのですか」
「ゴドロムは、ヒュミラ様と一緒に間違いなく見たそうだ。そうだな?」
「はい……」
ゴドロムは確かに、にやりと笑った。
利用できるものは何でも利用する。魔族を思うがままに操ってやる。顔にそう書いてあった。
でも、こっちには新海先輩がいる。最初の大魔王は魔族のカリスマだ。他の魔族は獣人のように絶対服従じゃないだろうけど、話をすれば耳を傾けるはずだ。
まだ、不利になったわけじゃない。
シャリングのことは不確定要素だったけど、情報を集めて仕切り直せば、必ず反撃のための糸口はある。
でも、僕らの作戦はそこで頓挫した。
山神先輩が泣いていた。嗚咽というのだろう。喉に引っかかるような、苦しい泣き声。胸をしめつけるような声……。
魔力が膨張している。魔王のような圧倒的なものじゃないけど、いつもの先輩の何倍もある。
「シャリング、ごめんなさい。あんなに小さいあなたを利用して、放り出して。寂しかったでしょう。苦しかったでしょう」
「獣人が、何を言う」
「私をよく見て。見ればわかるはずよ。恨まれても仕方がないわ。殺すと言うなら、それでもいい。私はみんなを裏切った魔女よ。でも、シャリング。後生だから、私の声を聞いて。もう一度だけ私を見て……」
山神先輩の言葉で、めくらましの魔法は解けた。空気が一瞬で変わる。
シャリングが、ゴドロムが驚いたような表情になった。護衛の兵士は剣を抜き、魔法使いは杖を構えた。
「貴様は、シエナ姫だな」
ゴドロムが攻撃の合図をする直前に、会長も叫んでいた。
「由美、撤退や。魔法陣がなくてもできるやろ。いや、できんでもやるんや。このままやと、真凛が壊れてしまう」
新海先輩が大きくうなずくのが見えた。素早く呪文を唱える。
白い光に塗りつぶされていく世界の中で、視界が完全に消えてしまうまで。僕はシャリングと呼ばれた男を見ていた。
その魔族の青年の表情には、当惑と苦悩が浮かんでいた。そして唇に言葉が。お母さんという形が確かに作られていた。
※ ※ ※
敵の攻撃が届く前に、僕らは異世界の門を通って自分たちの世界に戻っていた。
「御子神くん」
山神先輩がいった。
「どうしよう。私、ひどいことした。あの人のために全部、犠牲にして。戦争もして、自分の子どもまで利用して。人間も、魔族もいっぱい死なせたのに……」
先輩は涙でぐちゃぐちゃになった目で、僕を見上げた。
「それなのに、御子神くんを好きになっちゃった。あの人のためだけに生きてきたはずなのに。私、御子神くんを好きになっちゃった」
自分を責めるように泣きながら、涙と一緒に自分の血を絞り出そうとでもするように。山神先輩は自分の肩に爪を立ててかきむしった。皮膚が破れて血がにじんでも。先輩は時折、息をつまらせながら泣き続けた。