再会
街中で見つけたのは偶然だった。
「――マリー!」
アルバートが名前を叫べば、編んだ栗色の髪が揺れて振り返った。
一日も忘れた日なんてないその顔を見て、思わず人混みの中をかき分けて走る。
アルバートはマリーの肩をつかんで揺らした。
「マリー! どれだけ捜したと思っているんだ! なぜ急に姿を消したりっ……」
「あ、あの……?」
しかし、つかんだ細い肩がびくりと震えた。
驚きと戸惑いが混ざった声が返ってくる。
マリーの顔に怯えた表情が浮かんだのを見て、アルバートは様子がおかしいことにやっと気づいた。
アルバートの姿を映した瞳は、けれどそれを望んでいないように揺れている。
マリーは目を瞬かせながら、小さな声を零す。
「どちら様でしょうか……?」
その言葉を聞いたアルバートは音を立てて息を飲んだ。
聞き慣れた声。
見知った顔。
けれど。
その表情に、アルバートが夢にまで見た笑顔はなかった。
まるで見知らぬ相手に向けるように、困惑した様子だけが浮かんでいる。
「マリー……?」
「確かにマリーは私の名前ですが……騎士様に知り合いはおりません……」
からかっているのだろうかと、アルバートは思った。
けれど、マリーはそんな性格ではない。
何よりも怯えたように揺れる瞳が、それが演技でないことを物語っていた。
思わずアルバートは体を後退させて、マリーの肩から手を離した。
「……強くつかんでしまい、すまない……」
「いえ……」
手を離した瞬間、その表情が安堵したように変わる。
触れないことに安心しているという事実に、アルバートの心が小さな悲鳴を上げた。
マリーがアルバートにそんな表情を向けたことなど、今まで一度もなかった。
彼女は本当にマリーではないのだろうか。
顔のよく似た名前が同じだけの別人なのだろうか。
そんなあり得ないことを思ってしまうほど、アルバートには目の前のことが信じられなかった。
「あの、申し訳ありませんが買い出しの途中なので戻らないと……」
そう言ったマリーの手には、市場で買ったらしき食材が抱えられていた。
立ち去ろうと足を動かしたマリーの前に、アルバートは反射的に立ちはだかる。
騎士の知り合いはいないと言って怯えた表情をしたけれど。
間違いなく彼女はマリーだと、アルバートは強くそう思った。
ここで別れたら、きっともう二度と会えない。
「どこに行くんだ? 今、君はどこにいるんだ?」
「え……」
矢継ぎ早に問うアルバートに、マリーは戸惑ったような表情を浮かべた。
カラン、と扉の鐘が鳴る。
その音に気づいて、カウンターの奥から人影が現れた。
「マリー? 遅かったじゃない、お願いしていた物はあった?」
「あの、ローザ……」
明るい声音に、マリーが困惑を隠しきれない様子で声を重ねる。
その瞬間、明るい声は止み、マリーの隣に並ぶ人物を見た目が細められた。
向けられる目が良い感情を抱いていないことを感じながら、アルバートはマリーの方を向いた。
「これはどこへ置けば良い?」
「マリーを手伝ってくださったのですか? ありがとうございます、食材はそこのカウンターへ置いてください」
しかし、マリーが答えるより早く、ローザと呼ばれた女性の方が返事をする。
その表情は先ほどの様子が見間違いかと思うほど笑みを浮かべていたが、声は空気が張り詰めるような鋭さがあった。
食堂らしき店内には他に人はおらず、だからこそ声がよく響く。
「マリー。戻ってきたばかりで悪いけど、果物の追加を頼んで良い?」
「ええ、あの……」
「お客様には私がお茶を出しておくから」
マリーはアルバートを気にかけたが、畳みかけるようにローザが言葉を続ける。
それでも気にした様子を浮かべながら、少し急ぐような足取りで再び店を出て行った。
その背を見送るアルバートに、カウンターの中からローザの声が届く。
「どうぞ。しがない食堂のお茶が、伯爵家の騎士様の口に合うか分からないけれど」
ローザの言葉にアルバートは眉をひそめた。
帯剣しているので騎士ということは予想がつくだろうが、伯爵家までは予想で当てきれないはずだ。
そんなアルバートの考えも予想ずみだったのか、ローザは視線だけを上げて見た。
「あなたのことはマリーから聞いていたわ。私とマリーは同じ孤児院出身で、姉妹のように育ち何でも話したわ」
ローザの顔に、先ほどまでの張りつけたような笑みはない。
厳しい、まるで親の仇を見るような目でアルバートを睨む。
貴族に対して許された言葉づかいではなかったが、アルバートは何も言わず黙ってその言葉に耳を傾けた。
「騎士の恋人ができたとき、マリーは照れながら笑って話してくれたわ。相手が伯爵家の人で、身分が違いすぎると困っていたことも。それでも一緒にいるだけで幸せだって、あんな嬉しそうなマリーを見たことがなかったわ」
マリーはあまり自分のことを話す性格ではなかった。
いつも楽しそうに笑っていたので同じ気持ちであることは分かっていたが、そんな風に思ってくれていたことをアルバートは初めて知った。
そんなアルバートを、崖から突き落とすような言葉が告げられる。
「それがあの日、恋人が宰相令嬢と結婚するから自分は愛人になるのだと、泣きながらやってきたわ」
ローザの目がアルバートを睨みつけた。
「マリーは、好きな人が他の女性と結婚するのを見たくないと、あなたのことを忘れたいと泣いて言ってたわ……っ」
ローザの張り上げた声が店内に響く。
空気が震えるほどのそれに、アルバートは身動き一つできなかった。
マリーがあの日の会話を聞いていたことも、それが理由で姿を消したことも、今になってようやく全てを知った。
声を張り上げていたローザだったが、しかし次の瞬間その勢いとは真逆に、嗚咽を零すような声で続けた。
「だから、マリーは忘れ草を求めたのよ……」
「忘れ草……!?」
アルバートはその言葉に耳を疑った。
「あなたと出会ったことも、恋人になったことも、裏切られた日のことも、今のあの子は全て忘れたわ……」
アルバートの目の前が真っ暗になるようだった――。