アルバートの焦燥
「――アルバート。マリー嬢はまだ見つからないのか……?」
同僚のカイルの声はどこか重たかった。
その理由は、姿を消してからもう三ヵ月がたとうとしているせいだろう。
だから、アルバートもまた重たい声で呟いた。
「何の手掛かりもない。女官長も、彼女の同僚も、何一つ知らないらしい……」
マリーが突然姿を消してから、アルバートは彼女の行方を捜した。
しかし女官長も突然辞表を出されて理由が分からないらしく、同僚たちも心当たりがないという。
孤児だったマリーには帰る家はない。
幼少期を過ごしていたという孤児院にも足を運んでみたけれど、訪れていないということだった。
マリーが好きだった湖にも、よく一緒に出掛けた店にも行ったが、来た気配はなかった。
何か事件に巻き込まれたのではと思い調べてみたが、それらしき情報もなかった。
マリーが消えて初めの一ヵ月は必死に捜した。
けれど何の情報もなく二ヵ月目になると、心配の中になぜ急に消えたのだろうかという疑問を感じるようになった。
そうして三ヵ月がたち、焦燥に変わるようになってきた。
「……悪い。宰相と約束をしている」
「アルバート……」
椅子から立ち上がって部屋を出ていくアルバートを、カイルが何か言いたそうに目で追う。
その視線を背に感じながら、アルバートは扉を閉めた。
重いため息が零れる。
それは無意識だったが、アルバートの気を重くさせる。
宰相と約束をしていると言ってカイルの前から去ったのに、足はなかなか進もうとしない。
時間に遅れては失礼になる。
そう思うのに、再びため息が零れ落ちた。
こんな予定ではなかったと、アルバートは心の中で思った。
伯爵家の三男に生まれたアルバートにとって、宰相令嬢との婚約話は周囲が羨むような幸運だった。
貴族に生まれても、爵位を継ぐ長子以外は自分で生計を立てなければならない。
爵位を継げるか否かで地位も扱いも大きく差が出る。
騎士としての出世にも限りがある。
しかし、宰相令嬢と結婚すれば、将来を約束されたも同然だ。
宰相の後ろ盾があれば高い地位まで出世を望むことも夢ではない。
由緒正しき家柄から妻を迎え、地位と名誉の全てが手に入れば、男として周囲からも一目を置かれる。
そして、マリーを愛人として側におけば、公私ともに充実した日々を送れるはずだった。
けれど決してマリーのことを軽んじていたわけではなかった。
貴族の家柄に生まれ、政略結婚は当たり前で、妻とは別に愛人を持つ生活もよく知っていた。
平民であるマリーと結婚することは、アルバートの実家である伯爵家が決して許すはずがない。
正式な妻には無理だが、別に屋敷を用意して何不自由ない暮らしを保証しようと考えていた。
マリーとの間に身分差があることは分かっていたけれど、優しい性格で一緒にいて心地良く、手放したくないと思うほど大切だった。
そう考えていたのに、マリーは突然姿を消してしまった。
アルバートの心に、なぜという思いだけが残る。
「俺は、その程度の存在だったのか……」
やるせない思いが零れ落ちる。
けれど、やらなければならないことは山ほどあった。
マリーのことだけに構っている時間はない。
宰相令嬢との婚約はまだ話を持ち掛けられている段階で、正式に結ぶためには令嬢にも足繁く会いに行かなければならない。
忙しければマリーのこともいずれ忘れられるだろう。
そう、自然と薄れていくはずだ。
アルバートはそう思っていた――。
「――アルバート。顔色が悪い、寝ていないのか?」
その声に、アルバートは椅子から飛び起きた。
まだ職務中なのに、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。
カイルが心配そうに視線を向けていた。
「……夜、眠れないんだ」
このところ毎晩寝つきが悪く、眠ってもすぐに目を覚ましてしまうことが続いていた。
宰相令嬢との婚約話は順調に進んでいて、将来のためにも決して仕事の失敗は許
されないというのに、眠れないせいで疲れがたまる。
仕事は以前から忙しかった。
それでも眠れないなんてことはなかったのに。
「……マリーの顔が見たい」
椅子に深く倒れ込み、手で顔を覆いながらぽつりと零した。
返事は返ってこない。
カイルが聞いているのか聞こえていないのか、目を覆ったアルバートには分からなかった。
けれど、一度口にしてしまうと、せき止められていた水が流れるように、言葉を抑えることはできなかった。
「あの笑顔をもう一度見たい……」
前まではどんなに仕事が忙しいときでも、どうにか時間を作ってマリーと会っていた。
ほんのわずかな時間しかなく、一言二言しか話をできないときもあった。
それでも、少しでもマリーの顔を見るだけで、疲れが癒されていたことをアルバートは今になって気づいた。
マリーに会いたいと、無性にそんなことを思う。
忙しければ忘れてしまうだろうという考えとは裏腹に、思いが日々募っていく。
むしろ忘れるために自分から仕事を請け負って忙しくしているのに、余計にマリーのことを考えるようになった。
――アルバート様。
マリーの笑顔や声を思い出す。
いつも真っ直ぐな笑顔を向けて、アルバートの名を呼んだ。
手を触れると恥ずかしそう頬を赤らめた。
それでも、いつだって笑顔を向けてくれた。
夢でマリーを見るのに、手を伸ばせばその瞬間に目が覚めてしまう。
そうしてマリーのいない空しい現実が押し寄せてくるのだ。
最近では、夢を見ることが嫌で眠ることを怖いとさえ思う。
もう一度。
できることならば。
もう一度マリーに会いたいと、アルバートは願った。