140話 開戦 1
城壁の陰に隠れた俺達の耳に、男の長ったらしく傲慢な言葉が聞こえる。
俺は城壁の陰に隠れつつ、この男達の様子を観察し、今俺達が置かれている状況を頭の中で整理した。
この降伏勧告をしに来た騎馬武者の部隊の数はそれ程多くない。馬に跨り、黒く輝く鎧を纏って完全武装しているが、その数はドラルが言った様に300程度だ。
この部隊から、約1km程後方では、雑多な武具の軍団が国境に建てられた煉瓦の壁を続々と越えて来ている。この軍団は、ザッと見ただけで3万は居る。
そして国境の向こう側...... エルド帝国領内には、未だ7万近い軍団が不気味に佇んでいた。
陣形から察するに、国境を越えたこの3万の軍団は先遣部隊で、国境の向こう側に居る7万近い軍団がこの大軍勢の主力部隊という事だろう。
対する俺達ラルキア王国軍第1連隊は、敵に最も近い西側にその兵力の大半、2000名を配置し、籠城の構えを取っている。
この2000名の中には、第7駐屯地の面々や、俺やヴァルツァー達の義勇兵部隊も含まれていた。
そんな俺達義勇兵部隊ヒメユリは、西側の城壁の最も突出した部分...... 【稜堡】と呼ばれる突端状の城壁部に身を隠していた。
「お前達に与える猶予は半刻だ!この半刻の間に降伏の意思有れば、砦に白旗を掲げよ!
半刻を過ぎても白旗を掲げなければ、降伏の意思は無い物と見なし、我等が軍勢が鎧袖一触、お前達を討ち亡ぼす事となるだろう!」
「へっ、誰が降伏なんかするってんだ」
声を張り上げる騎馬武者に届かない様、近くに居るシュタークが小さく呟く。
シュタークの近くに居た第7駐屯地の隊員達も、同意する様に首を縦に振るが、声を発する者は居ない。
凄いな.....
俺はそう感じ、心の底から彼等を尊敬した。
俺達を含め、この第1連隊駐屯地に居る全隊員は、前日連隊長のグロウさんからある命令を受けていた。
それは、【例え敵が目の前に来ても、ワシの命が有るまで決して言葉を発するな。決して姿を見せるな】という命令だった。
この命令はグロウさん達が考え付いた作戦に基づいての指示なのだが、彼等はグロウさんの命令を忠実に守り、姿を隠し口を紡いでいる。
前方に数万の大軍勢が居るのにも関わらずだ。
これは彼等がグロウさんの作戦を、そしてその考えを心から信じている事の表れでもある。
普通こんな状況に置かれれば、錯乱して叫び出す者、闇雲に攻撃をする者が出ても可笑しくない筈だ。
だがクリーガ達も俺達と同様に城壁に身を隠し、敵を必ず倒すと闘志を漲らせて、その瞬間を今や遅しと待っていた。
「...... 総員反転!先遣軍に合流するぞ!」
第1連隊駐屯地からなんの反応もない事を不審に思ったのか、エルド帝国の騎馬武者達は一同不思議そうな顔をしつつ、後方に向き直り駆け出した。
「ふぅ...... どうやら俺達の存在はバレなかったみたいだな」
「あぁ。後はグロウさんの作戦が上手くいけば...... 勝機はあるな」
「にしてもミカドの兄ちゃん。兄ちゃん達が持ってるそりゃなんだ?それに、さっきまで色々用意してたみたいだが...... そいつは武器なのか?」
騎馬隊が去った事と、グロウさんの命令が無かった事で、少し余裕の出たらしいアルやクリーガが俺の持つHK416Dに目を向ける。
そう言えば、少し前からチラチラと視線を感じていた。
「まぁ、そうだな。此奴はエルド帝国のくそったれ共を地獄に招待する為の魔法具だよ」
「魔法具だぁ?んな魔法具見た事ねぇが...... 」
「心配しなくても、此奴の力は直ぐに証明して見せるさ」
「へぇ。まぁ、なんにせよ俺達ぁミカドの兄ちゃん達に期待してるんだ。頼むぜ?」
「任せてくれ。足手纏いにはならねぇよ」
俺は一瞬だけ苦笑いし、言い慣れてしまった嘘を付いた。
正直な所、銃火器の存在はおおっぴらにしたく無い。だが、ここで銃火器を使わずして何時使うと言うのか。
少数のラルキア王国軍が強大なエルド帝国軍に勝つには、俺達が銃火器を用いて敵を撃退するしか無いのだ。
ラルキア王国の存亡は、俺達ヒメユリの持つ銃火器に掛かっていると言っても過言では無い。
太陽の光を受け、HK416Dは怪しく輝いていた。
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「無人だと?」
「はっ。我等が降伏勧告をしても、砦はまるで無人の如く、なんの反応も御座いませんでした」
「そうか...... ご苦労。後方の軍にもこの事を伝えに行け」
「ははっ!」
「無人...... 無人か!ラルキア王国軍の腰抜け共め!我等に恐れをなし逃げ去ったな!」
煉瓦の壁を背に、配下の部隊に橋頭堡の構築を命令し終わった龍の鎧の将軍は、先程の騎馬武者の報告を聞き、叫ぶ。
将軍は拳を握りしめ前方の砦を睨んだ。
「アスタロト大将軍。先の報告が事実なら、このまま我等は進軍し武功を立てましょう!」
「左様。王国軍が居ないとなれば、無人の砦を占領するなど、赤子の手を捻るような物。我等がラルキア王国の地を占領した第1の軍となりましょうぞ」
龍の鎧を纏いし将軍の後ろには、若いながらも貫禄のある2人の男が居た。
彼等はビルドルブ配下の次期覇龍7将軍候補、ベリトやサブナックと同様、アスタロトの下で鍛錬を積む次期覇龍7将軍候補の将軍達だった。
彼等も先程の部隊の報告を聞いており、今が好機とばかりに、勇ましく自身の考えを述べる。
自分の下で学び、日々成長する頼もしい将軍達の言葉を聞き、アスタロトは口角を上げた。
「うむ!お前達の言う通りだ!よかろう!お前達は奴隷軍・正規軍を率い、砦へ迎え!俺は龍騎兵隊と共に砦を占領する!」
「「ははっ!」」
アスタロトの後ろに控えて居た男達は頭を下げ、走り出す。
その姿を一瞥したアスタロトは、目線を前方の砦...... ラルキア王国軍第1連隊駐屯地へ改めて向けた。
「槍働で武功を立てる事は叶わなかったが、まぁ良い。
代わりに俺の名はラルキア王国の地を占領した将軍として、歴史に刻まれるだろう......
歴史に我が名が残るか...... ふふ。悪い気はせぬな。なれば俺の名、千年先の未来まで轟かせてみせようぞ!
先遣軍、橋頭堡の構築は中止だ!ラルキア王国を蹂躙するぞ!進軍開始!」
アスタロトは右腕を振り上げる。
甲高い金管楽器と銅鑼の音が木霊し、アスタロトが率いる先遣軍、計3万と500人が行進を開始した。
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所変わって、アスタロト率いる先遣軍から更に1km後方。
エルド帝国領内に待機していたビルドルブ率いるラルキア王国征服中央軍、主力にも、先程降伏勧告をした部隊が報告に戻っていた。
この降伏勧告をした部隊は、偵察隊の役目も兼ねており、この部隊の報告を聞いたビルドルブ一同は訝しげに前方を見つめていた。
「ビルドルブのおっさん、本当にラルキア王国軍は撤退したんすかね?」
「この軍勢を前に勝ち目は無いとみて、無用な損害を避けたのでしょうか」
何とも言えない表情を浮かべるビルドルブの様子を見て、青髪の将軍サブナックと赤髪の将軍ベリトが声を掛ける。
「偵察隊の話を聞く限りでは撤退した様だな。ベリトの言う様に、この大軍が相手では勝ち目が無いと見たのだろう...... だが...... 」
妙だ。
未だ大きな戦を体験していないとは言え、実力で60万を超す軍の上位の座を掴んだビルドルブはそう感じた。ビルドルブは思考を巡らせる。
以前この地へ偵察に来た際、目の前の砦には確かにラルキア王国軍の部隊が居た。
ラルキア王国軍は過去にあったエルド帝国との戦争の際、国境周辺で籠城作戦を行い、善戦した経験がある。
ならば此度もその時の経験を元に、国境周辺の砦に立て籠り籠城作戦を敢行するのだと思っていたが、その国境前の砦に王国軍の姿は無い様だ......
今回のラルキア王国征服軍は、以前の人間大陸戦争時以上の兵力を揃えている。
王国軍はこの圧倒的兵力差では籠城作戦も厳しいと見て、国境から後退し、後方で防衛力の強化に努めているのか?
しかし、そうだったとしても疑問がある。
そもそも、仮に王国軍が撤退したのならば、何故このタイミングで撤退出来たのか...... このラルキア王国への侵攻は、先程偵察隊が宣戦を布告するまで第2級機密情報として、外部に漏れ無い様、正規軍には箝口令まで敷かれていた。
ラルキア王国に恨みを持つ純粋なエルド帝国臣民で構成された正規軍が、この侵略情報を漏らすとは考えられない。となると、考えうる可能性としては軍内や政界にラルキア王国の密偵が忍び込み、事前に侵攻を察知していた.....?
「あ!ビルドルブ殿!アスタロト殿の軍が!」
「む......!?」
「なっ!アスタロト大将の軍が動いてる!?」
「アスタロト大将軍!敵が居ない事を良い事に抜け駆けされたのか!?」
「......全軍に伝達! 進軍用意だ!嫌な予感がする!各部隊はラルキア王国国境を越えた後、迅速に橋頭堡を作りアスタロトを追え!急ぐぞ!」
「「は、はっ!」」
様々な憶測がビルドルブの頭を駆け巡る。
すると、特務兵站軍が大将軍、グラシャが声を荒げて先方を指差す。
「アスタロトめ!功を焦ったか!」
遥か前方では、アスタロト大将が率いる先遣軍が、今まさに目の前の砦に攻め込もうと動き出していた。
ビルドルブは予めアスタロトに、降伏勧告の後半刻はその場で待機しつつ、ラルキア王国侵攻の足掛かりとなる橋頭堡の構築をする様にと命じていたのだが、アスタロトは降伏する王国軍が居ないと見るや否や、橋頭堡の構築を取り止め、無人の砦を占領する為に無断で行動を開始したのだ。
ビルドルブの脳裏に不吉な予感が走る。
覇龍7将軍の序列4位を授かる闘将は、そんな不吉な予感を消し飛ばそうと声を張り上げ、エルド帝国領内に待機していたラルキア王国征服軍・中央軍の主力...... 6万の正規軍と1万弱の奴隷軍計7万。
そして、兵站特務軍500に急遽進軍を命じたのだった。
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「進め進め!偵察隊の報告では砦に敵は居ないとの事だ!我等がこの戦争で敵地を占領した最初の軍になるぞ!
進めぇ!我等が先遣軍大将アスタロト大将軍が武功1位を手になさるのだ!」
「皆、敵が来るぞ...... 用意は良いか?」
「「「「「っ!」」」」」
漆黒の波が第1連隊駐屯地へ迫る。
俺は直ぐにでも攻撃出来るように、HK416Dにマガジンを差し込み、コッキングレバーを引いて弾丸を薬室に装填する。
セシル達ヒメユリの隊員も、俺と同じ動作をして直ぐにでも攻撃が出来る態勢を整え、頷く。
駐屯地と帝国軍の距離は、500m...... 400m......と確実に縮まっている。
駐屯地と敵の距離、大凡200m......100m...... そして敵との距離が50mを切った。
その時だった。
「今だ!ラルキア王国軍第1連隊隊員達よ!軍旗を掲げい!」
「「「「「おぉぉおお!!!」」」」」
「な、なにぃ!?」
大地にグロウさんの怒号と、王国軍人達の雄叫びが響き渡った。
その雄叫びを皮切りに、駐屯地には無数の旗が掲げられる。
その数たるや膨大で、なんと2000本以上の軍旗とラルキア王国の国旗が掲げられたのだ。
この光景を見たエルド帝国軍の一部は大混乱に陥った。
それもその筈。無人だと言われていた砦に、いきなり何千本も旗が翻ったのだ。
しかも眼下に数万の敵が迫っていても尚、王国軍は怯む様子すら無い。
生まれ育った国の危機に、王国軍の面々は阿修羅となっていた。
「バカな!?砦は無人では無かったのか!」
「見ろ!王国軍は3000は居るぞ!偵察隊め!敵が居る事を見抜けなかったのか!」
俺の居る場所からも、帝国軍が動揺している様子が見て取れた。しかも膨大な旗を見て、帝国軍はこの駐屯地に配備されている兵力を多く見積もった様だ。
シュタークやクリーガ、アルは雄叫びを挙げ軍旗を、国旗を掲げる。
他の隊員達も同様に、其々が旗を掲げた。何本もの旗が風を受け、バタバタとたなびく。
これはグロウさんの考えた作戦の一部だった。
グロウさんは、強大なエルド帝国と兵の数で劣るラルキア王国軍が正面から戦うのは無謀だと自覚しており、策を用いて味方の損害を極力防ぎ耐え忍んで、籠城戦をする事を基本方針として定めていた。
この場に留まり耐え忍べば、平和条約に従い他国の軍が侵略国家...... 今回の場合で言えば、エルド帝国と戦う為に駆け付けてくれる。
今の第1連隊がエルド帝国と戦うには、この他国からの援軍を待つ他無かったのだ。
しかし、ならこの援軍が来るまでどうやって耐え忍べば良いのか。
策を用いて籠城戦をすると口で言うのは簡単だが、この策の出来次第では下手をすると開戦直後に自滅すらしかねる。
そこでグロウさんを始め、此処に駐屯していた参謀やカリーナさん達が協議し、計画、立案したのがこの【エルド帝国邀撃作戦】だった。
この作戦は全3つの段階で構成されており、第1段階は出来るだけエルド帝国に自分達の存在を知られず、油断させる事が絶対条件として上げられていた。
つまり解りやすく言えば、エルド帝国邀撃作戦とは『第1連隊駐屯地を無人に見せかけて、帝国軍がのこのこ近付いてきたら一気に攻撃して出鼻を挫き、援軍が来るまで時間を稼ぐぞ!』と言う作戦だった。
そして、このエルド帝国邀撃作戦の第1段階の【第1連隊駐屯地を無人に見立て、帝国軍の油断を誘う】と言う作戦は見事に成功し、現時点を持って邀撃作戦は第2段階へと移行した。
「王国の荒廃この一戦にあり!各員一層奮励努力せよ!
ラルキア王国の強者達よ!エルド帝国軍に矢と攻撃魔法の雨を浴びせい!!」
「「「「「おぉぉお!!」」」」」
「っ!」
前方から困惑したエルド帝国軍の叫びが聞こえる。
そこへ間を置かず、俺達から少し離れた城壁に姿を見せたグロウさんは叫んだ。
その言葉が俺の心を貫く。
この言葉を、俺は知っていたからだ。
( 最も、俺の知っている言葉は、『王国』じゃなくて『皇国』なのだが...... )
皇国の荒廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。
ミリタリー趣味を齧った人なら、この言葉を1回は聞いた事が有るだろう。
この言葉は今から100年以上前...... 日本とロシアが戦った日露戦争時の1905年5月27、28日に行われた、日本海海戦と呼ばれる戦いの直前、日本艦隊の総司令官の東郷平八郎が、指揮下の日本海軍艦艇に送った訓示だ。
ちなみにこの言葉の意味を現代風に訳すと、『日本がロシアに勝ち栄えるか、負けて廃れるかはこの戦いに掛かっている。
皆、今まで以上に頑張って、頑張って、頑張り抜け!絶対に勝つぞ!』と言う意味合いになる。
日露戦争時のロシアは、当時世界最強と名高いバルチック艦隊を従えて、日本に軍事的圧力を加えていた。
それに対し当時の日本は、国土の安全保障上の問題から、ロシアの軍事的圧力に危機感を募らせていた。
この言葉には、日本は絶対に負けられない。もし負けたら、日本がロシアの脅威に晒されるという強い危機感が籠っていた。
日本男児たる者、この言葉を聞いて燃えない筈がない。
世界や国は違えど、自分の国の危機を前にした軍人はかくも同じ物なのか。
いや...... むしろラルキア王国軍の方が鬼気迫っていた。
もしこの戦争に負ける事があれば、エルド帝国はラルキア王国全土を征服し、ラルキア王国は無くなってしまうからだ。
グロウさんのこの短い言葉は、王国軍人達を奮い立たせるには充分過ぎた。
白銀の鎧を纏いし猛者達の咆哮を聞き、俺も魂が熱く燃えるのを感じた。
負けない。否、負けられない。
俺の第2の故郷を踏み躙ろうとする奴等に俺は負けない!
俺は叫んだ。
「行くぞヒメユリ!敵は前方のエルド帝国軍!遠慮はいらねぇ!鉛玉と爆風の嵐で盛大に出迎えてやれ!!」
「「「「サー!イエス・サー!」」」」
「総員!所定の位置でアイツ等を持て!作戦開始だぁあ!!」
俺の叫びと同時に、シュターク達ラルキア王国軍が矢と攻撃魔法の雨を降らせた。
そして俺達ヒメユリは、対エルド帝国用に用意した【ある物】を手に、城壁に乗り上げ、眼下のエルド帝国軍を睨み付ける。
「!み、ミカド!!」
邀撃作戦は第2段階...... 【混乱した帝国軍に打撃を与える】へ移行し、今まさに火線を開こうとしたその瞬間、セシルの絶叫が木霊した。
此処までご覧頂きありがとうございます。
次回投稿は、5/17日。21:00頃です。
今月は諸事情で予定通りの更新が難しくなる可能性がございます。ご了承下さいませ。