「水木」(中編-1)
昔、冬景色というものに憧れていた。生憎、太平洋側の温帯ではそんなものは拝めないだろう。だからこそ、興味深かったのではないかと思う。コンクリートで道路は舗装され、空は雲一つない。
「へくしゅん」
昨晩は風が強かった。そんな時に、星を外で眺めていたのが原因かもしれない。体が小刻みに震え、頭の片隅がじんじんする。
再び、咳が出る。それも一回では済まなかった。
突然、冷水の中に放り込まれた錯覚に陥る。最初の異変は足の痺れなのだろうか、思うように足を踏み出せず転んでしまう。石の上だった。だけど痛いという感情が不思議と芽生えなかった。次に腕の異常に気付く。立とうと信号を送っているのにぴくりとも動かない。
冬の冷気に当てられたせいなのだろうか、焦るどころか冷静に思考していた。
だからなのだろうか、私はこんな単純なことにも気づけていなかったのだ。私は殆ど呼吸をしていなかった。息をどれほど吸おうとしても満たされない。余りにも十分量とかけ離れた空気しか吸えない。遠すぎる当たり前、私の体はもう既に諦めていた。
(また……ですか……無事……に……生還できれば……いいのですけど)
既に考えるのも手一杯になってきた。感覚はもうほとんど残っていない。黒とも白ともとれない不思議な無色に覆われた世界。風に吹き飛ばされた木の葉らしきものが腕に落ちる。綿なのか、それとも鉄片なのか。もう触感も零に等しかった。
ありきたりの通学路。毎日通るそこにはもはや何の感情も抱かない……筈だった。
道端に少女が一人倒れていた。最寄りの駅から電車で二十分。そこの駅の近くに生徒数1200人近くの大きな私立高校がある。この制服はそこの生徒のものだった筈だ。
慌てつつ、最初に人影の有無を確認する。これは「彼女を助けて、関係を持ちなさい!」という天啓なのかもしれない、という邪な感情も芽生えていたからかもしれない。残念ながら? 周囲に人はいなかった。
とりあえず、学校で習った通りに少女に近寄って声をかける。こんな時位、体に触ってもセクハラとは言われないとは思う。けど、心配になったので腕を揺する。
『近くで見たら、静物みたいな雰囲気の可愛さがある』という第一印象は兎も角として、少女からの反応が全くない。冷静そうな少女と対照的に鼓動が速くなる。慌てた手付きで携帯を操作する。いつもならもっと速く動かせるのに、指の震えは収まってくれない。
1・1・9、一生使わないと思っていた番号を打ち込み、待機する。
『火事ですか、救急ですか』
「救急です。――にて女子高校生が倒れていました。声を掛けましたが、反応はありませんでした。後、電話番号は090-4――」
後で聞かれると思うことを出来る限り話しておく。
『呼吸はしていますか』
……筈だったのに少女の様態を忘れていたらしい。
「時々途絶えますがしています」
『外傷はありますか』
「見た所ありません。付近にも原因が見当たりません」
『分かりました。様態が悪化しない限り、患者から離れず待機していてください。もし通行人が他に来た場合、誘導等の協力を申し込んでください』
そう言って会話が終了する。無事に終わったことに息を大きく吐き、安堵する。
数分後、特に様態が変化することなく救急車が到着した。