76話 「昔話」
「――――そう」
それは朝食後、食後の紅茶を頂いている時。
ルカから事件の収束を聞いたエレンが静かな声音で呟いた。
あまりにも温度の低いそれに目を丸くしてエレンを見る。いや、別に他のリアクションを求めていたわけじゃないんだけど。
エレンは俺を見て、はたと口元に手を当ると、ぎこちなく力のない笑みを浮かべた。
「ごめん、ちょっと……現実味が無くて」
そりゃそうだ。一昨日少し話しただけの俺でもまだ踏ん切りがつかなくてふわふわしてるんだ。
小さい頃お世話になっていたというエレンとコンラッドが、あっさりと事実を受け入れられるわけがないだろう。
「あのね、先生が悪い人だったっていうのは分かるし、あれだけの犯罪を犯した悪人に重い刑が与えられるのは当然だと思うの。でも、なんていうかその、……駄目だね、あたしがこうだから今回付け込まれちゃったのに」
「仕方ないよ。エレンとコンラッドとは全く方向性が違うけどさ、俺もこの間マレビトをじいちゃんから譲られて、今まで十八年も一緒にいた家族がそんな役目を受け持っていたなんて知らなかったし、正直まだ現実味は湧かない。でも、」
少し息が詰まった。部屋に戻るなり『キシのヤツらんトコ行くカラ』と出て行ってしまった麗音を脳裏に思い浮べる。
「これからちゃんと全部受け入れて、慣れていければいいなって思ってる。――――だからエレンとコンラッドも、今無理して受け入れなくて、いいんだよ」
「……うん、ありがとう」
やっぱり昨晩のエレンは空元気だったのだろう、弱々しい笑みは変わらなかったが、どこか目に光が戻ってきたような気がした。ほっと息を吐く。
そんな俺たちを大人しく見ていたルカが微かに重い空気を晴らそうとしたのか、カップ片手に口を開いた。
「そういや、お前らは何で故郷から出てきたんだ? アーリックが嫌になったわけじゃないんだろ?」
ぴし、と空気が軽くなるどころか、凍り付いた。恐る恐るテーブル越しの斜め前を見遣ると、コンラッドが暗い金の瞳を光らせていて。
「……悪ぃ、踏み込み過ぎたか」
「大丈夫。二人にはたくさん助けてもらったし、話すべきだよね。そんなに面白い話じゃないんだけど」
苦笑するエレンが隣のコンラッドを小突く。諌められたコンラッドは不機嫌そうに、しかし心配げにエレンを見つめた。
エレンはその視線を受け流して話し始める。
「ええっと、フースケには言ったけど、あたしとコンラッドは比較的最近開拓された村出身なの。その村は狩りで生計を立てている村で、弓が使えるのが当然だったんだよね。こっちで言うと、そうだなあ……文字が書けるようなものかな」
「そんなに」
「そうそう、本当に当たり前だったの。で、あたしは弓が使えなかったのね」
あっさり放たれた言葉に思わずカップを傾けていた手が止まる。
確かに、弓を使うのはコンラッドだけだし、エレンが弓を引いているところは見たことない。
「練習量の問題じゃなくて、たぶん才能が無さ過ぎたの。これでもかなり特訓したんだけど、フースケが軽く一ヶ月練習したら余裕で抜かされると思う。それで村中から、というか、家族にまで馬鹿にされてて。で、それとは逆に、ラドは天才だった」
コンラッドに対して“天才”という言葉を使うエレンに目を見開く。前他人に言われたときはあんなに怒ったのに。
驚く俺に気が付かないエレンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ラドも、本当は天才じゃなかったんだよね。でも、あまりにも上手だから村中から天才として遠巻きにされてた。ラドの家族にまで。……ちょっとあたしと似てるよね」
そこで窺うようにコンラッドを横目で見る。コンラッドが僅かに頷くのに、エレンは目を閉じ、決心したように俺とルカを見据えた。
「ラドのお父さんが凄くプライドの高い人で、村一番の弓の腕を持ってたんだけど。それをラドがあっさり超したから拗ねちゃって、ラドに全部丸投げして狩りに出なくなったんだよね。そんなんだから、村であたしとラドだけが浮いていた。いくつかの村が集まってできた村だからね、広いんだ。その中で、二人だけ」
「あたしはもう、毎晩毎晩、皆が寝てからずっと弓の練習をしてたよ。弓さえ普通に使えるようになれれば仲間に入れてくれるんだから、そりゃ頑張るよね。でもいくらやっても上手くならない。あるとき、気分転換に場所を変えようとしたら、今までは気が付かなかった矢を放つ音とそれが何かに命中する音が微かに聞こえてきたの」
それがラドね、と懐かしむような、寂しいような顔をしてエレンは笑う。
「ラドは天才なんかじゃなかった。弓を与えられたときから毎日毎日血のにじむような練習を繰り返して上手くなってた。あたし、村で一番練習してるのは自分だと思ってたから衝撃だったな」
「でもほら、あたしは弓の使える人たちが敵みたいなものだったから、ラドのことも苦手だったんだよね。お高く留まっちゃって、みたいなさ。少し見直したけど、すぐにフンってそっぽ向いて練習を再開させたの。それから何本か射って、ふと横を見たら藪からラドがひょっこり顔を出してたんだよ。もうあたしビックリしちゃって」
少し膨れたような顔をしているコンラッドを前に、俺はシャノンの言葉を思い出していた。
『確かに才能もあったんだろうが、多分何万回、下手したら何十万回も反復練習して身に付けたんじゃねーの』『強いて言うなら、努力の天才ってやつだな』とかなんとか。
シャノンの言うことは当たっていた。
「そしたら第一声が『駄目だ』だよ!? 喧嘩売ってるのかと思ったよね」
でもその性格は昔から変わらないのか。呆れを通り越して尊敬の念すら浮かぶ。
「でも頭ごなしの批判じゃなくて、『狙いを定めるのが下手だから、多分近接武器ならいけると思う』、『明日の晩も、この時間に来い』って。次の日の夜、戸惑いながら半信半疑でラドのところへ行ったら、木の棒をポンと渡されて『これで練習しろ』って言われてさ。村では狩りは弓でってこだわってたけど、要するに仕留めればいいんだから罠にかけてタコ殴りにするのもアリだろ、とも言うの。あたしもうおかしくって、笑っちゃった。……不思議だった。今の今までずっと重く感じてた弓を、引かなくてもいいんだって思った途端パーッと目の前が明るくなったみたいで」
エレンは軽く言っているけど、相当辛かったんだろうな、と何となく思った。六年前から旅してるって言ってたから……十二歳? コンラッドと仲良くなった時の話だから多分それより下だ。そんな歳で毎晩毎晩遅くまで弓の練習って。しかもそれで上達しないって、俺なら耐えられない。
俺も似たようなものだけど、師範が居たからそこまで苦労はしなかった。自分で自分の成長が分かったし、叱られるのは怖かったけどあまり理不尽なことは言わない人だし。
「それからいつも二人で一緒にいるようになった。あたしはラドが努力の人だって分かってる。ラドもあたしを絶対馬鹿にしない。だから二人でいれば何も怖くなかった。でもね、」
エレンが言葉を切る。紅茶で喉を潤して、ふぅ、と溜息をついた。
「ラドはモテたの。めちゃくちゃモテたの。顔はいいし、背もぐんぐん伸びてきてたし、弓が上手だから村で有数の金持ちだったし。優良物件すぎたんだよね。それが、落ちこぼれのあたしと一緒にいる。もう終わったことだからグチグチ言いたくないんだけど――――酷かった。ほんと、酷かったの。ラドに隠してたけどすぐバレたくらいに」
何が酷かったのかは聞かずとも分かる。顔をしかめた俺の横で、ルカは黙って聞いていた。
「ラドの家族もその時には全員ラドに依存してて、とうとう毎晩秘密で会ってたのも明るみになって。あたしは夜中出歩いちゃ駄目になったし、ラドはあたしに近付くなって言い含められたらしいの。そっから、二週間ぐらい後かな。コンコン、って寝室の窓を静かに叩く音がして、慌てて開けたら外にラドが立ってた」
一緒にここから逃げよう、って。
「あたしもラドも子供だったでしょ? 二つ返事で村を飛び出したよ。ラドは弓の腕があったし、あたしは先生のところにしょっちゅう通ってたから一通りの常識は覚えていた。それで何とかなっちゃって、今に至るってわけ」
「……アーリックさんは、」
「村の外から来た奴だったから、弓の腕がどうのってのはよく分からなかったんじゃねぇの」
ルカの言葉にエレンは頷く。
「……そっか」
「そんだけ! 面白くなかったでしょ?」
面白くは、なかったな。
二人のルーツを知れたのは嬉しかったけど、言いたくなかったことを無理矢理吐かせてしまったような気がして、何となくもやもやする。
ちらとルカと視線を合わせると、コンラッドが「おれは」と呟いた。
「人参が嫌いだ」
「……は?」
「……ん? え、ニンジン?」
口端をひん曲げて非常に不本意そうにブツブツと口を動かす。
「あの硬いのか柔らかいのかよく分からない噛み応えが気持ち悪い。すりおろしたのも匂いが駄目だ。鮮やかな橙色も嫌いだ」
突然何を言い出すんだこの人は。目をぱちぱちと瞬かせる俺とルカに対し、エレンはくつくつと声を上げて笑い出した。
「ラドのばーか。どうせあたしばっかりに嫌なこと話させて申し訳ないーとか思ったんでしょ」
「……不公平だろう」
「変なとこ真面目だよね」
一昨日ぶりに明るい笑みを見せるエレンと、それを安堵の瞳で見返すコンラッドに、上手くできているなぁと思った。ちぐはぐで正反対だけど、どこかそっくりでお互いを思いやっている。素直に羨ましい。
二人に釣られるように穏やかな気持ちになっていくのに、さっきから黙りこくっているルカを横目で見ると、ルカは呆れたような顔をしていた。
「……お前も大変だな」
昨晩も言われた言葉に首を傾げる。
……何がだろう。




