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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
2.二律背反
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74話 「求めよ、然らば与えられん」

「ルカ、入っていいー?」


当たり前ではあるが、あの地下水路よりもよっぽど薄く頑丈な扉をノックする。奥から返ってくる「どーぞ」という若干眠たげな声に少し躊躇って、ゆっくりと押し開けた。

一日ぶりに訪れたルカの部屋は薄暗く、あちらこちらに紙切れが散乱していた。

部屋の主はソファに腰かけ、覇気のない赤色の目をぱちぱちと瞬かせている。


「……わり、今起きたんだ。すぐ片づけっから」


「手伝うよ」


ルカが立ち上がってカーテンを開く。途端、部屋に降り注ぐ爽やかな日光に唸って、ルカは足元の書類を拾った。

俺もそれを見て本棚のそばにしゃがみ、散らばっていたメモを拾い上げる。

のそのそと動き回るルカを横目に、俺はそっと紙面へ目を落とした。もちろん、見ちゃダメそうなものだったらすぐに机の上に戻す心づもりで。


文字は意外に読みやすく綺麗なものだった。急いでいたのだろう、流れるような筆跡はインクの濃淡がバラバラで、端には苛立ちが伝わってくるようなぐちゃぐちゃとした線が見える。分かる分かる、書いてる途中でペンの出が悪くなるとノートやらの隅っこに意味のない線を描いたりするよね。

苦笑しつつ文字を解読していくと、紙にはおそらく建物名と多分その住所、それから注意事項が並んでいるだけだった。

ええと……美術館、劇場、博物館……ああ、これって取引場候補をリストアップしてたときのメモかな。

しかしその量がすごい。B4ぐらいの紙にびっしりと書かれた情報は、そのほとんどに切り捨てるような横線が引かれている。残されているのは四つ、五つほどだろうか。


ちらりとソファーを挟んだ向こう側で動く小麦色の後頭部を窺う。それが止まり振り向きそうな気配を察して、俺は慌てて目を逸らした。誤魔化すように本棚から落ちそうになっていた本を押し戻す。

ふああ、と大きなあくびが背中越しに聞こえた。


「もうそっちに残ってないか?」


「う、うん。これ以外は、たぶん」


「悪いな。今茶でも淹れてやるからそこ座ってろ」


「ルカが?」


「オレ以外に誰がいるんだよ」


呆れ顔を俺に向け、ルカはゴツゴツとしたポットを手に取る。きっと元々お茶を淹れるつもりではあったのだろう、どうやらそれは保温性のあるものらしい。

次いでガラスのポットと缶、それからソーサー付きカップをどこからか取り出し目の前のテーブルに並べた。缶の中の茶葉をスプーンで掬いポットに落とす。ポットの少し上からお湯を注ぎ、蓋をして赤色の砂時計をひっくり返した。

残りの湯を注いだカップは白磁に朱色と金で模様が描かれている、上品なもので。拠点にあるカップもなかなかのものだと思ってるけど、やっぱり金持ちが使うものは違う。

ここに来て何度目かの感想を抱き、大人しくソファーに収まっているとルカが視線を上げ、ばっちりと目が合った。

何か言わなければいけない気がして、口を開く。


「え……っと、ルカが持ってるものって赤が多いんだね。やっぱり目の色から?」


「あぁ、それもあるんだがこの赤は――――……いや、丁度いいな。全部話す」


……ん?

ただの世間話のはずが、ルカが背筋を伸ばしたので俺もつられて居住まいを正した。炎のような瞳に射抜かれる。何とかそれを受け止めつつ、ごくりと生唾を吞み込んだ。


「オレの本名はルチアーノ、ルチアーノ・ヴェルメリアだ。ロヴェーショの三大侯爵家の一つ、ヴェルメリア家の嫡男にして正統な後継者」


「へ、」


「この赤色はヴェルメリア・グロウと言って、オレの家ではどういうわけか代々この色の瞳が受け継がれている。だから、家の……まあ、印みたいなもんだ」


開いた口が塞がらない俺を前にルカは落ちきった砂時計をどかし、色が綺麗に出た紅茶を二つのカップに注いでいく。

それが目の前に差し出され、琥珀色の水面に映った自分の顔を少し眺めてから俺はそろそろと視線を上げた。


「し、失礼ながらマレビトだから言ってること全然わかんなかったけど、ルカ、いや、ルチアーノさん? がすごく偉い人なのは分かった、りました」


「ルカでいい。それに取って付けたような敬語もいらねぇ」


むすりとルカが唇を尖らせる。


「家がデカいってだけだ。オレはお前らにやりこめられた、ただの貴族の不良息子だよ。そもそもヴェントのマレビトとロヴェーショの貴族の間に身分も何もあるわけねぇだろ」


「そ、それはそうかもしれない……?」


「かも、じゃなくて、そうなんだよ。ただしあいつらには言うなよ。お前と違って多分オレの家のことも知ってっからな」


「分かった。……せっかく友達になれたのに、よそよそしくされたくないよね」


「違ぇよ! 気を遣わせたら悪ぃから! そんだけだ!」


少し顔を赤くして怒鳴ったルカは、丁度よく外で鳴いた鳥に早朝だということを思い出したのか、ハッとして声量を落とした。小さく咳払いをして紅茶を啜る。そんなルカに俺もにやりと笑ってカップに口を付けた。

紅茶からはリンゴの香りが柔らかく漂い、一口飲んでみるとスッと鼻から通る清涼感にさっぱりとした後味。ミントも混ざっているようだ。紅茶のことはよく分からないが、早朝に飲むのにはぴったりだと感じる。

もう少しだけ飲み進めて、「そういえば」と声をあげた。


「でも、そんな凄い家のルカが、どうしてここに……っていうか、ヴェント(こっち)の問題に関わっちゃって大丈夫だった?」


「不良息子だから問題ねぇよ。ヴェントの騎士もオレの悪評は知ってたみたいだったから、例の友人んとこの客とだけ記録しといてもらった。貸しはあったしな」


「貸し?」


「レーネが来て、騎士の奴らに早馬を出したのはオレだから。まあ一応手を貸したってことにはなるだろ。そんな無茶なこと言ったわけでもねぇし二つ返事で了承されたぜ。……そういやレーネは?」


「まだ寝てるよ。一度起こしたんだけど、『ンなモン、オマエがいれば十分ダロ』って二度寝した。……あのさ、どうして『不良息子』なの、って訊いてもいい?」


「そりゃ一人息子なのにこんなとこほっつき歩いてるからだろ」


ルカがカップの中身を飲み干し、二杯目を注ぐ。ついでに俺もおかわりの有無を聞かれたが辞退した。これから朝食だし、あまり飲みすぎるのもいけない。


「オレ、期限付きで好きなことさせてもらってんだよ。ハリ(ここ)には友人訪ねてきたってのも嘘じゃねぇけど、ヴェントに来たかったからってのもある」


ヴェントに? ロヴェーショではできないことでもあるのだろうか。


「『やるべきことがある』ってルカが前に言ってたよね。『こんな立場今すぐ放り出したいくらいだ』とも。それが関係ある?」


「大アリだな」


頷いたルカがゆっくりとミルクを入れた紅茶を啜り、ほう、と湿った溜息をついた。


「……兄を、探してる」


「兄? でも、あの人、ルカに兄弟はいないって……」


「ほーぉ?」


「あっ」


しまった。慌てて口をふさぐ。あの人にルカには言うなって言われてたんだった。どうしよう。どうしよう。

狼狽する俺をじとりとした目で見たルカは、しばらくして合点がいったように眉間に皺を寄せた。ぐにゃりと顔を歪ませ「聞かなかったことにしておいてやるよ」と吐き捨てる。

俺はホッと胸を撫で下ろした。


「兄はオレが九つのときに突然家を出て行った。子供ながらに『普通』じゃない兄だとは思っていたが、ある朝目が覚めたらまるで初めから存在していなかったかのように、部屋の中がすっからかんになっててな。未だにどうやって出てったのか分かんねぇんだ」


「え、でも、ルカほどの家だったら大掛かりな捜索とかするんじゃないの?」


「……血が、半分しか繋がってねぇんだよ。兄は直系じゃなかった。そのくせ頭が良くて何でもできたから家の奴らもどうしたものか持て余してたらしい。だから厄介払いができてせいせいしたんだろうな、さっさと捜索は打ち切られた。所詮貴族のガキが一人で生きていけるわけがない、もう野垂れ死にしてるだろって」


家の奴ら、という言葉に引っ掛かりを覚える。兄以外はまるで家族じゃないと言っているようだ。

……でも、兄が出て行って喜ぶような人たちを家族だと思いたくないのは、分かるかな。


「ルカはさ、そのお兄さんを見つけて、連れて帰りたいの?」


「え」


ルカは俺の問いに「その考えはなかった」というような、唖然とした顔を見せた。

しばらく俺の目をじっと覗き込んでから、静かに濁った水面に視線を落とす。


「一目でいいから、会いたい。できれば礼も言いたい。もっと我儘を言うなら連絡も取り合えるようになりたい」


「大好きだったんだな」


「まぁな。オレの全ての根源みたいなもんだし。オレが『変わり者』とか言われるようになったのは確実に兄貴のせいだ」


「そんなに変わった人だったんだ」


「……あの人の一番の不幸は貴族ウチに生まれたことだろうな」


ぽつん、と落とされた呟きは嘆いているような、憂いているような、けれどもどこかで諦めているような声色で。思わず眉を下げた俺に口元だけで笑み、ルカは長く細い息を吐いた。

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