73話 「蛇の足より」
コンコン、と木の扉を叩くと「はぁい」と軽やかな声が返ってくる。くちくなった腹をしきりにさする麗音を頭に乗せ、俺は隣の部屋の扉を開けた。
内装は俺の部屋とあまり変わらないようだ。カーテンが仄かに桃色をしているとか、長いロウソクが刺さっているスタンドの装飾が違うとか、その程度の違いに収まっている。
机の上にずらりと並べた武器の前にコンラッドが陣取り、真剣な顔で手入れをしていた。
「フースケ、どうしたの?」
かけられた声にそちらを向けば、エレンがベッドの上で紐の切れたコルセットと格闘していて。汚れた服を着替え、長い髪をポニーテールにしたエレンはどこかさっぱりとしている。
彼女が目を瞬かせるのに思わず苦笑いをした。
「ちょっと話したいことがあって」
「話したいこと?」
「うん、シャノンのことなんだけど……」
微妙に目を逸らしながら言うと、エレンが向かいのコンラッドのベッドを「座っていいよ」と示す。お言葉に甘えて腰掛け、とりあえず麗音を頭の上からベッドへ降ろした。
コンラッドが研いでいた短剣を置いて椅子ごと俺とエレンのほうへ振り向く。
「シャノンって確か、あの姉弟を信頼できるおばあさんのところに連れて行く、って言ってたんだよね?」
「そうなんだけど、明日こっちに戻ってくるんだって」
「どういうことだ」
口を挟むコンラッドに少し驚くが、何とか表に出さず言葉を続けた。
「俺たちに付いて来たいって言ってた」
「……へ?」
エレンが気の抜けた声を上げ、コンラッドが僅かに目を細める。麗音はというとベッドに降ろしたはずが俺の膝にすり寄ってきていた。すっかりいつもの調子に戻ったように見えたが、やはり疲れはまだまだ取れていないようだ。
その麗音の頭を撫でていると、エレンが床に足をつきベッドから身を乗り出す。
「いやいやいや何で!?」
「えーっと、そろそろ一人でやっていくのがつらくなった、とか言ってたかな」
「ピンピンしてたよ!? そりゃまあ戦闘面は不安かもしれないけど、あたしと一緒にいたとき殆どシャノンが全部世話してくれてたようなものだし、絶対一人でもやっていけるって!」
「イヤなのカ?」
ぽつりと落とされた麗音の真っ当な疑問にエレンはムグと口を噤んだ。一同の視線から逃げるように俯く。
「別に……そういうわけじゃ、ないけど……」
「ドウいうワケダ?」
「うぐぐ……」
とうとう唸ってしまったエレンをコンラッドが心なしかハラハラと見つめている。アーリックさんの次はシャノンか……! とか考えているのだろうか。
それともただ単に追い詰められたエレンにどう助け舟を出そうか迷っているのか。
そんな二人を意に介さず麗音が大きなあくびをこぼした。再び催促。
「カッコ悪いところたくさん見せちゃったから……恥ずかしい、し、気まずい……」
「なんだ」
「なんだじゃないよ!」
波乱の予感を打ち壊したエレンの言葉に安堵すると、頬を紅潮させたエレンがワッと顔を覆う。
「泣きそうになっちゃったりとか、弱音みたいなのも吐いちゃったし! 『子供扱いして!』とか怒っておきながらホントにあたし子供みたいで……」
「大丈夫だよ、シャノン十を三つ歳? 過ぎとか言ってたし。……エレン何歳?」
「じゅ、じゅうとはち……」
十と八? 十八歳ってことかな。
「同い年だったんだ! それなら一回り以上年上なんだし、兄みたいなものだって! 平気平気!」
「フースケぇ、他人事だと思って……」
「ソウダ! 普段のフースケのがよっぽど情けナイカラ平気ダゾ!」
「ちょっと麗音さん」
「次からはおれがいるから、全部おれに言え」
「ありがとうラド! でもそういうことじゃないよ!」
火のついたように騒がしくなった室内に麗音がコホンと空咳。
ハッと我に返り座り直した一同をじろりと見回して猫口を開いた。
「デ、オマエらは結局、シャノンとやらを仲間に入れルのは賛成ナノカ?」
「俺は賛成。たくさん助けてもらったし、一緒にいてくれたら心強いなって」
「さ、賛成……記憶は吹っ飛ばしたいけど……」
そうして自然と視線はコンラッドに集まる。腕を組んで考え込んでいたコンラッドは眉間にぐっと深い皺を寄せ、口をひん曲げながら微かに頷いた。金色の瞳が剣呑な光を宿す。
「……警戒対象が一人から二人に増えても大して変わらない」
「ちょっと待て。その一人はもしかしなくても俺か? 俺だな?」
「……」
「否定してよ!」
涙ながらに訴える俺に、いつも通りツンとそっぽを向く。エレンが苦笑して「まぁまぁ」と胸の前で両手をひらひらと振った。それからコンラッドを毅然とした眼差しで見やる。
「ラドもこれ以上意地張るなら二人に苦手なものバラしちゃうからね!」
ギクリ、とコンラッドの身体が目に見えて強張った。もしかしてそれって前にエレンが言ってた『もう一つの弱点』ってやつかな。……気になる。
俺と麗音のソワソワした空気を察したのか、当の本人に思い切りねめつけられるがあまり怖くない。
「ねぇねぇ、なになに?」
「ハヤク言えヨ」
「……今は関係無いだろう。それより」
「シャノンがどうやってあたしたちと合流するか、だよね」
苦々しく顔を顰め反論し話題を逸らすコンラッドに、エレンがにやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべてから助け舟を出した。
だが、確かにそうだ。シャノンは「明日には戻ってくる」って言ってただけで、どうやってもう一度会うだとか、そういう話は全くしていない。一応「どうせルカって奴の家に泊まるんだろ」とは聞いたけど……シャノンにルカの別荘が分かるとも思えないし……。
「行きみたいに馬車に乗って出るんなら、街の外ですれ違っちゃうかもしれない」
「むむ……」
「仕方ナイナァ」
「……麗音?」
膝の上で丸まっていた麗音が身を起こし、肩へよじ登ってくる。
「アシタもキシに会わなきゃならナイカラ、ツイデに見テきてやるヨ」
「え、まだやることがあるの?」
「アイツらがホウコクショを作成スルのに付き合わさレルんダ」
「へぇ……」
それはまた大変な。“ジュウブツ”も楽じゃないんだな、とぼんやり思う。
そういやすっかり忘れてたけど、この仕事って宰相からの依頼だったっけ。ってことは、もしかしなくてもかなり大規模な組織だったってことだよね。
それが、俺たち三人とシャノンで制圧できるような人数と広さのアジトに潜伏してるのってあり得るのかな。
「……オイ、聞いてるカ、フースケ」
小さな白い手で頬をぶにぶにと押され、ようやく麗音の問いかけに気が付く。
「えっごめん何?」
「ダァカァラァ……」
面倒そうにつらつらと同じ説明を繰り返してくれる麗音に誤魔化し笑いを返しながら、俺は再び思考の渦に落ちていくのを止められなかった。
どうにも、まだ終わっていないような気がするのだ。




