72話 「鯛も一人は旨からず」
中途半端なところで終わっていたので、加筆という形でまとめて投稿させていただきます。
木製の扉を繰り返しノックする乾いた音で目が覚めた。どうやら考え事をしている間に寝入ってしまっていたらしい。
寝起きでしぱしぱする瞼を擦り、いつの間にか俺の膝の上に移動してきていた麗音を持ち上げて肩に乗せる。うとうととまどろみながらもしがみついたのを確認し、扉を開けた。
「はぁい」
「食事の用意が整いました。お連れ様は既にダイニングでお待ちです」
「うわっそうなのか、ありがとうございます」
もうとっくに二人とも部屋を出てたんだ。慌てる俺にベスト姿の年若い男の人がにこりと笑う。この人も執事さんなのかな。
「お二人が部屋を出てからそう時間も経っておりませんので」
「すみません……」
「いえいえ」
こちらです、と迷いなく廊下を進む執事さん|(仮)に付いていく。相変わらずコツコツと高く鳴る足音と広い屋敷、続く奇妙な沈黙につるりと言葉が滑り出た。
「あの、ルカのことなんですけど」
「はい」
ルカの言う『やるべきこと』って何だか知ってますか、と訊こうとして、寸でのところで踏みとどまる。あの複雑な表情の理由をこの人から聞くのは何だかズルい気がした。
少し口ごもった後、不思議そうに待つ執事さんへ代わりに当たり障りのないような疑問を口にする。
「きょ、兄弟とかいるんですか?」
「……ルカ様に兄弟、ですか」
ほんの少し眉根を寄せた執事さんにあわあわと両手を胸の前で振った。ここでまた妙な誤解を生むのはまっぴら御免だ。
「い、いやっ違うんです! ルカの家の内情を知りたいとかそういうんじゃなくて、たださっきルカと目の色が同じ姉弟がいてそれでたまたまそれでルカを思い出したっていうか、ルカが面倒見いいから弟とか妹とかそれともお手本になるような上の兄姉がいるのかなとかむしろ全部いても不思議じゃないっていうか、」
「……いらっしゃいませんよ」
「へ?」
「ルカ様にご兄弟はいらっしゃいません」
「そうなんですか……意外」
「……意外ですか?」
「意外ですよ。俺たちにすごく気を配ってくれるし、しっかり者だし、賢いし。あと何となくちょっと次男坊っぽいと思ってました」
「フースケ様はルカ様をよく見てらっしゃるのですね」
「え、そうかな」
思わず敬語も外れて首を傾げれば執事さんが立ち止まる。気が付けばダイニングの扉が目の前に迫っていた。どうやら無意識に階段を下りていたらしい。
ぽかんと両手扉を見上げる俺に執事さんは唇に人差し指を当て微笑んでみせる。
「どうか私が話したというのは内密に……」
「え? 兄弟がいないってことしか聞いてませんけど、それでも?」
「ルカ様に露見しますと『何勝手に人の事話してんだ!』などと拗ねられ、たちまち減給されてしまいますから」
「あ、あはは……」
本当にここの従業員さんたちとルカって仲が良いなあ。貴族社会のことなんてさっぱりわからない俺でもここでの従業員の扱いが破格にいいのは分かる。
それは雇用主がルカではなくルカの父だからなのか、それともルカの何かがそうさせるのか。
空笑いを溢しつつ肩からずり落ちそうになった麗音を支えたとき、扉が開いて呆れ顔のルカが姿を現した。
「何やってんだ? 早く来いって」
「あ、そうだ、遅れてごめん!」
「何もルカ様自ら来られなくても」
「うるせぇ、自分の家でぐらいオレの好きにさせろ」
苦々しく言い返したルカの声で目を覚ましたのか、麗音が急に俺の手の中で身じろぐ。次いでスンスンと辺りの匂いを嗅ぐような素振りを見せた後、勢いよく起き上がった。
麗音の頭が頬に直撃して地味に痛い。
「メシのニオイ!」
「お前本当鼻いいな。今に運ばれてくるから席に座って待ってろよ」
「オイ聞いたかフースケ! サッサと座るゾ!」
「いや寝起きなのにテンション高すぎ……」
俺の頭をぴょんと踏み台にして飛んだ麗音は、扉を押さえているルカの横を通り過ぎてダイニングの中へと入っていく。疲れはそこそこ取れたらしく、ふらつくこともない後ろ姿にホッと胸を撫で下ろした。
さて、俺もみんな待たせちゃってるし、早く席につかないと。
麗音を追いかけダイニングに入る。隣のコンラッドと何やら話し込んでいたエレンがふと俺に視線を移し笑みを浮かべた。
「フースケってば、寝てたの?」
「寝てたというか……気が付いたら意識が飛んでて……二人はちゃんと休めた?」
「もちろん!」
それはよかった。
帰ってきた時よりも表情が明るい二人ににっこりと笑ってエレンの正面の席に座る。
いつの間にか角の席に腰を下ろしていたルカが仏頂面で、ちらと閉めたばかりの扉を見た。
「……あのさ」
「ん?」
「あいつ、お前に何話した?」
「えっと……別に何も?」
「……ふぅん」
あの人にわざわざ口止めしされたし、本当に大したことは話していないしな。だからそんなに疑いの眼差しで見られても……。
妙な空気が漂うダイニングにエレンが首をかしげてコンラッドを窺ったとき、ちりんとどこからか軽い鈴の音がして今度は反対側の扉が開かれた。
「お待たせしました」
ダイニングに入ってきたのは女の人が五人。一人リーダーのような人が「お待たせしました」と頭を下げるのに、俺たちの前に他の人が料理を置いて行ってくれる。
まずはシャンパングラスのようなものに入れられたサラダ。前菜なのだろう。
変な音が出ないように、ガラスに傷を付けないように、震えるフォークでサラダを口に運ぶ。野菜はみずみずしく甘みがあり、パリッと心地良い歯ごたえ。オリーブの香りがするドレッシングは丁度いい塩加減で油っぽくなく後味もスッキリだ。
ぺろりとサラダを食べ終えフォークを置くと、まだ一皿目なのに何だか胃が落ち着いたような気がする。不思議に思ったが、すぐに合点がいった。
そういえば俺、今朝早めの朝食を食べてから何も食べてないんだった。エレンもコンラッドも、多分麗音も同じだろう。
空っぽだった胃に食べ物が入り、ぐうと鳴ってしまいそうで焦っていると、すぐにスープが運ばれてきた。湯気が立っていないので冷製スープだろうか。
スプーンで掬って一口。
とろりとなめらかな口当たりのそれはジャガイモの味がする。少しだけ舌の上にデンプンが残り、野菜の甘みが広がった。美味しい。
夢中で掬った二口めにはホタテが入っていて思わず唸る。……金持ちめ。
むぐむぐと火の通った柔らかいホタテを咀嚼していると、ルカがカチャ、とスプーンを置いた。一同の視線が集まる。
「と、まぁ、こっからはパン、魚、ソルベ、肉、チーズ、フルーツ、デザート、コーヒープチフールと続くんだが」
「ウゲ」
「……こら麗音」
間髪入れず不満の声を上げた麗音と諫める俺に苦笑したルカは、わざとらしく空咳をして言葉を続ける。
「今日は疲れただろうし、品数が少なくて量が多くて美味い料理を食わせてやる」
「オマエ話が分かルナ!」
「……麗音」
いくらなんでも露骨すぎ。確かに俺も嬉しいけど。ちらと正面を見ればコンラッドも目を輝かせ、エレンすらそわそわと落ち着きがない。
うむ、と満足げに頷いたルカが合図をすると魚料理とパンが運ばれてきた。
白身魚はどうやらムニエルのようで、色付いた薄い衣にトマトとハーブが散らされているのが目に鮮やかだ。パンは美味しそうなきつね色で、砕いたクルミが混ぜ込まれている。
「お魚だ!」
エレンが控えめに歓声を上げる。そのあまりの喜びように目を瞬かせた。魚が好物なのかな。
疑問に思う俺に気が付いたのだろう、エレンは少し照れながら解説してくれる。
「魚は中央湖か大きな川でしか獲れないから貴重なんだよ」
国々の真ん中の大きな湖は中央湖って言うのか。頭に新たな情報を叩き込んで、そういや……とこっちに来てからの料理を思い出す。確かにこっちにでは肉ばかり食べてたっけ。
二人が料理に手を付けたのを見て、俺もムニエルにナイフを入れる。さくり、と微かな手ごたえ。切れ目を入れただけなのにもういい匂いが漂ってくる。骨は綺麗に取り除かれていた。
ゴクンと咀嚼していたパンを飲み込みエレンが言葉を続ける。
「傷みやすいから運搬も困難で、高級食のひとつなんだ。あたしも一年に一度食べられるかどうか……」
「そんなに!?」
「フースケの世界にも魚がいるの?」
「うん、俺の住んでる国は魚がたくさん獲れるよ。値段も肉と同じくらいかなあ。最近漁獲量がどうのとかは聞くけど」
「へぇえ……!」
エレンの感嘆の声を聞きながら切り分けたムニエルを口に運ぶ。カリッとした衣に身がふわふわと柔らかい。鱈のようだ。トマトの酸味と鼻に抜けるハーブ、それにニンニクが効いていてとても美味しい。ちぎったパンもほんのり甘く、香ばしいクルミの食感がムニエルとよく合った。
美味しい食事をいただきながらくだらないことを話して、笑って。
久しぶりに何の気兼ねもなくリラックスした一時を、俺たちはのんびり過ごしたのだった。




