07話 「入手と不得手と奥の手と」
「やあ、待たせてすまなかったな」
「遅イ」
「こら、麗音。……特に急ぎの用もないですし、お構いなく」
依然と高飛車な態度の麗音を諌めて、マーカスさんに向き直る。
奥から戻ってきたマーカスさんは何故か黒いゴルフバッグを背負っていた。
随分古そうに見えるそれはきっとじいちゃんの私物なのだろう。
この世界にゴルフがあるようには到底思えないし。
俺が黒いそれに視線を注いでいるのに気が付いたのか、「ああ、これか?」とバッグを肩から降ろす。
……チャックを開けたゴルフバッグから現れたのは黒光りするバズーカだった。高さは腰の上くらい、筒の直径はバレーボールほどである。
「な、ななな、なん、」
「これはな、君の祖父さんがここに託していった武器だよ」
「心して扱エ」
麗音とマーカスさんの声は耳に入っているものの、突然目の前に出現した重火器から目が離せない。
そのままじりじりと後退する俺にマーカスさんは柔らかく笑いかけた。
傍にあるものとのギャップがありすぎる。
「そういえば“ニホン”は平和な国なんだったか。それならいきなりこんなもの見せられて戸惑うのは無理もない」
「フーゴのコトだし詳しく話してなかったんダロ。ついでだからマーカス説明しろヨ」
「はいはい、どうせ最初からそのつもりで連れて来たんでしょう」
ふう、と溜息を吐いてマーカスさんは鈍色の筒を持ち上げる。
発射口は向けられていないが、背筋を緊張が駆け抜けるのを感じた。
ガチャリと不気味な音を店内に響かせながらひっくり返したり筒を覗き込んだりして、最終チェックを行うマーカスさんを俺は固唾を飲んで見守る。
特におかしなところは見つからなかったのか、マーカスさんはそれをゴルフバッグにしまい直して俺に手渡した。
「これは異世界の武器なんだろうが、俺はフーゴが設計した形に金属を加工しただけだ。これだけじゃちゃんとした武器にはならないんだよ。
その証拠に弾は装填できないし引き金を引いても何も発射されない」
「……どういうことですか?」
「これはマレビトの術を予備動作なしで繰り出せる道具なんだ。拠点の術部屋に陣があっただろう? それの中心にこれを置いて予め術を記録しておけば、引き金を引くだけでそれが発射されるというわけさ」
「それは、すごいですね」
「だろう? 術もマレビトしか使えないものだからね。万が一奪われても安心だ。まあ、術は一つしか記録できないし、変更するときはまた長い時間をかけて術を掛け直さなきゃいけないのだけれど」
くすくすとおかしそうに笑うマーカスさんは好戦的な光を瞳に宿していて、ぞくりと皮膚が粟立つ。
これが戦場に出ている人との差なのか、マーカスさんの元々の気性の荒さなのかは分からないが人を竦ませる何かがあった。
麗音が隣で「獣カヨ」と吐き捨てる。
「……あの、じいちゃんがもし無茶を言ったならすみませんでした。でもその、大切に使わせていただきます」
「修理や手入れが必要な時はいつでもおいで」
「ありがとうございます」
黒のゴルフバッグを背負うと重量はそうでもないのにずっしりと重く肩にのしかかる。
わざわざ重火器の形にしたのは俺が人を殺す感触を味わわないようにというじいちゃんの気遣いなのだろうか。
それでも、命を奪うという行為を平然と受け入れるべきではないのだろうな、と何となく現実味が無いような気がする頭でぼんやりと考えた。
******
「そういえば今までフーゴがいない間に拠点の管理をしていたのもマーカスだゾ」
「はい?」
屋敷へ帰る道すがら、麗音は思い出したように呟いた。
俺がぐりんと勢いよく振り返ると、何をそんなに驚いているのかとも言いたげな顔で見つめ返してくる。
「オマエ、食糧がいっぱいあったのトカ、武器庫が綺麗なのトカ、不思議に思わなかったのカ?」
「思ってたけどマーカスさんだなんて気付くわけないだろ!」
ちゃんとお礼言いたかった! と路肩で頭を抱える俺に麗音は不思議そうに身体を傾けた。
*****
屋敷に戻ったあと、ひんやりと薄暗い石造りの階段を下り、俺は食糧庫の扉を開ける。
キッチンから持ってきたバスケットに人参、じゃが芋、玉ねぎ、干し肉まで放り込んで、ふと手を止めた。
正直言うと料理はそんなに得意ではない。
それでもカレーぐらいならなんとか作れるかな、とこうやって地下まで下りて来たのだが。
この世界にルゥがないことをすっかり忘れていた。
カレールーの作り方なんて知るわけがない。カレー粉と片栗粉? あとトマトとかも入れた方がいいのか?
……分からない。分からないからシチューに変更しよう。
シチューの材料は大体カレーと一緒だから――――、ってシチューにもルゥが必要でした。
こうなったらもう、肉焼いてレタスとバゲットに挟んで食うか。
本当は焼き肉のタレをたっぷりからめてじゅーじゅー焼きたいんだが、まあ、塩コショウで我慢しよう。
次に異世界に来る時には、大量のルゥとインスタント食品と焼き肉のタレを持ち込むことにする。
俺はバスケットの中身を元の場所に戻しつつ、涙を堪えて決意を固めるのだった。
日が完全に落ちて人工的な明かりが屋敷を包む中、俺は少し室温が上がったキッチンを後にする。
皿を並べながら空き部屋でゴロゴロしていた麗音を呼び寄せて、藍染のエプロン――クローゼットから発掘した――を綺麗に畳んだ。
ほどなくして姿を見せた麗音はふらふらと覚束なく揺れる。
昼寝をしていたのだろう、寝ぼけながらもテーブルの上を見るとあからさまに顔を歪ませた。
それを見て、さっと用意していた素早く砂糖とハチミツをたっぷり入れたホットミルクをテーブルに置く。
途端に辺りに漂う甘い匂い。
とりあえずはそれで勘弁してくれたのか、麗音が大人しく腰掛けて粗末な食事に口を付けたのを確認して俺も手を合わせた。
「――――で、ナンダあの飯ハ。昼よりちゃっちかったゾ」
「……カレーもシチューも作れなかったんだよ。悪いか」
「悪イ」
「…………」
ホットミルクごときで追撃を免れられるような相手じゃなかったか、と肩を落とす。
これは早いとこ食事が作れる仲間を見つけないとまずいな。
むやみに外食する金も無いだろうし。
……ああ、「金も無い」で思い出した。
ダイニングの入り口に立てかけられた黒いゴルフバッグを横目で見て、ぷりぷりと不機嫌そうにしている麗音に尋ねる。
「さっきのさ、術ってどうやって使うの? じいちゃんからはマレビトだけに使える術としか聞いてないんだけど」
「術部屋にアル本でも勝手に読めヨ」
麗音さん、ちょっとくらい説明してくれてもいいと思います。
ちぇ、と唇を尖らせると「ちょっとダケだからナ」と術部屋に付いてきてくれる。
気分屋で短気で偉そうだけど、もしかすると意外に世話焼きだったりして。
くつりと喉を鳴らすと額に尻尾ビンタをお見舞いされた。
それ地味に痛いからやめてほしい。
******
術部屋は暗かった。
窓は一つもなく、麗音が着火して回っているロウソクが燭台の影を何倍もの大きさにして灰色の壁で不気味に揺らめかせる。
ロウソク以外に光源はないようだった。
おずおずと部屋に足を踏み入れると、床に描かれた陣が仄かに碧く輝き始める。
とは言ってもファンタジーでよくあるキラキラ~っとしたのではなく、ぼんやりと光る蛍光塗料の青バージョンって感じ。
麗音には反応しないで、俺が入ると光ったということはマレビト感知機能とかが付いているのかな。
それともこれも術ってやつなのだろうか。
そわそわと部屋を見渡していると、目を引いたのは小さな机。
一応、陣を踏まないように気を付けて大きな円を描きながらそれに近づいた。
机の上にはホテルのロビーにあるような羽の付いたペンとペン立て、それから弁柄色の表紙に青磁色の飾り模様が付いた本。
鼻が付きそうな程に近くで見ると表紙は皮で出来ているようだった。
「グダグダと説明スルより自分で体験したほうが早いダロ」
部屋の中心辺りでふよふよと浮いた麗音は、ふああと欠伸を漏らした。
いつの間にかロウソクにはすべて火が灯されており、無機質な部屋を橙色の暖かい光で包んでいる。碧色の陣と相まって、かの有名なイギリスのファンタジー小説みたいだ。
……いやここは実際に異世界なんだった。
「ソノ本、持ってミロ」
俺がさっきまで見ていた本をちらりと見て興味なさげにそっぽを向く。
説明してくれるって言ったのに人任せすぎないか。
高い所にあるロウソクに火を点けてくれたのはありがたいけれど。
気を取り直して分厚い本を手に取ると、右の手の甲に焼けたような痛みが走った。
いきなり襲いかかった激痛に動転して本を取り落とす。
少し足元を滑って止まった本は陣と同じ光をぼんやりと発していた。
ぱたた、と指の先から落ちた血の雫が静かな室内で僅かな音を鳴らす。
「っぐ、あ」
「すぐ止まル。じっとしてロ」
どこからか持ってきた布で麗音が手の甲に滲んだ赤を拭う。
手の甲には太い線の円で囲まれた麗音の短冊尻尾の模様が彫り込まれていた。
「あ、え?」
俺がまじまじと見つめている中、抉られて皮膚の下の肉が見えていた道路標識のような模様が塞がっていく。
綺麗に治った傷は淡い水色に色付いて擦っても抓っても消えない。
「ソノ模様は所謂“シルシ”ってやつダ。ソレが無いとマレビトの術は使えナイ」
「んんと、本人認証みたいな感じ?」
「アノ牛の耳に付いてルやつカ? まあ大体あってル」
「違う」
牛って。
俺はうんうんと満足げに頷く麗音の尻尾を引っ掴んで上下に振り回した。
「そういうことは早く言って! 心臓止まるかと思っただろ!!」
「止まらなくて良かったナ」
「鬼!!!」
「残念、オマエん家の家宝ダ」
散々振り回されて目を回した麗音を机に寝かせて、床に放り出されていた本を拾い上げる。まだ淡い光を放つそれは仄かに温かい。
思っていたより柔らかい表紙を開くと、ひとりでに洋紙皮でできているページがぱらぱらと捲られていく。
同時に脳に膨大な術式が流れ込んだ。
「れ、麗音! 麗音! 今度は何!?」
「知るカ」
「ごめんって! 俺が悪かったから、明日街でお菓子買ってくるから、これ説明して!!」
「……仕方ないナ!」
甘党め! と言いたいのをぐっと我慢。
ここで機嫌を損ねたらまた拗ねてしまうかもしれない。
……あれ、異世界に飛ばされる前も同じようなこと考えた気がする。
「ソノ術の奔流を耐えれば自動で術が使えるようにナル」
「どういうこと?」
「ンー、例エバ火球の術を使いたかったとするダロ? そしたらソノ本から術式を探して暗記して唱えなくても自動でオマエの脳が、手が、口が勝手に紡いでくれるんダ」
「えっなにそれ便利」
「ダロ? さっきマーカスに渡された術式短縮器具を使わナイと相当の時間を消費するコトにはなるんだけどナ」
ふわりと机から浮き上がって俺の周りをくるくるとまわる麗音を目で追いながら、首を傾げる。
「えーと、それじゃあさ、この術を発動するのに条件ってあるの?」
「基本的にソノ本があれば術は使えるゾ。陣が無いと倍の時間かかるケド」
「陣が術の発動時間を短縮するもので、さっきのバズーカはそれを更に短縮できるってことか」
「ばずーかとやらに一度に記憶させられるのは一つの術ダケだけどナ」
「ふうむ」
なかなか難しそうだが便利なのは確かだ。あとで使える術を確認しておこう。
ずきずきと痛む頭を振って、俺は脳が膨大な術式を取り込むのに集中した。
「蒼い」はくすんだ青色、「碧い」は澄んだ青色を指すらしいです。