56話 『共犯者』
今回はエレン視点です。
「こ、こは……?」
ぐらぐらとぼやける視界をこじ開けて、辺りを見渡してみれば、揺れる松明と赤茶のレンガ、それと太い鉄格子が見えた。どうやら、あたしは鉄格子の内側にいるらしい。
「おやおや、目を覚ましちまった」
「分量間違ったか?」
「んなはずねぇよ、ちゃあんと計ったろ」
分量? 計った? 薬の話かなあ。あたし薬は効きづらい方だから、いつも多めにねって言ってるのに、ラドってば絶対言うとおりにしてくれないんだから。だからいっつも治るまでに時間がかかって――――
……と、そこまで考えてふわふわとしていた思考がクリアになってきた。
ラド? いや、こんな下品な声がラドなわけがない。ラドの声はもっと冬の晴れた日の空気のようにからっとしていて、青々とした木々のように柔らかい。
ぱちぱちと瞬きして声の主を振り返ると、二人の男が下卑た笑みを浮かべながらあたしを見おろしていた。驚いて身体を強張らせると、二人の笑みが強まる。
反射的に、脚を振り上げていた。ぺたりと座り込んでいた床を左足で蹴って跳ね上がると、男の脇腹に右脚を叩き込む。ぐらりとよろめいた男の顔面に頭突きをして蹲らせると、振り向いてもう一人のみぞおちに肘を入れた。
身体を二つに折った男を飛び越えて逃げ出そうとしたとき、後ろでよろよろと立ち上がった男にグイと髪を力一杯掴まれる。地肌を引っ張られる痛みにバランスを崩し、床に尻もちをついてしまった。
「っにすんだこのガキィ……」
「痛い目見てぇのか? あ゛ァ?」
ドスの効いた声ですごんでくる男たちを睨みつける。こめかみに青筋を浮かべた一人が手を伸ばして来て、それに噛み付いてやろうと口を大きく開けたとき、向かい側の鉄格子の奥から気だるげな声が聞こえた。
「おーいそこの、新入り? あんま抵抗しねーほうがいいぞ。そうすりゃ馬鹿共だって手ェ出すわけにもいかねーんだから」
あたしとこいつらの他に誰かいるなんて思わなかった。
慌てて声をかけられた方を見ると、ハッとするほど綺麗な青年が壁にもたれかかって座っていた。
だるそうながらも鋭く光っている目は珍しい薄桃色。スッと通った鼻筋に、雪のような真白の肌。髪は伸び放題なのにサラサラと金色に輝き、彼はそれを退屈そうに細く節くれだった指にくるくると巻き付けている。麻のシャツはよれよれで、黒のパンツは土埃に汚れていた。
「あ゛ぁん? 商品ごときが口出ししてんじゃねぇよ!」
「てめーらホンット阿保だな。商品だから、だろーが」
「どういう意味だ!」
「オレ達は『商品』だぜ? 手ぇ出したら上に怒られんじゃねーの? てめーらどうせ下っ端だろ」
「っ、こんな状況でよくそんな口が回るもんだなァ!」
「お褒めに与り光栄。てめーらはもっと頭回せよ」
やれやれ、と肩をすくめた青年に、あたしと対峙していた男たちはチッと舌打ちを落として鉄格子に付いている扉をくぐる。それから乱暴に鍵を掛けると、去り際に青年の方の鉄格子をそれぞれ蹴りつけてから、部屋を出て行った。
「あ、ありがとう、ござい、ました」
「いーえ。こっちこそスカッとしたぜ、あんたに蹴り入れられた時の馬鹿共の顔ったら」
からからと笑った男の人はあぐらをかいた膝に肘を乗せて、あたしを舐めるように見る。
「で、あんた、名前は?」
「……エレン、です」
「オレはシャノン。んな構えんなよ」
「あ、うん」
なんか調子狂うなあ。見た目と中身のギャップも凄いし。
最近ラドやフースケ、レーネとしかほとんどまともに会話していなかったあたしは小さく溜息をつく。
外見はお伽噺に出てくる王子様みたいなのに、中身は王子様どころかちょっと大通りのギルド長に似ている。
「あんたさ、狩人か格闘家?」
「どっちも違うよ。ハンターギルドに所属してて、色んなところを回ってるの。……今はちょっと一ヶ所に腰を落ち着けてるんだけど」
「ふーん。ハリには旅行で?」
「仕事かな」
「へえ。どんぐらい転々としてた? さっきの身のこなし、かなりのもんだったぜ」
「六年……かな。狩りで生計を立ててた村にいたから、その前からそこそこ身体は動かしてたけど……」
「おもしれー」
……何が?
首を傾げるあたしをにやにやと見つめながらも、シャノンは何かぐるぐると計算しているようだった。かさついた薄い唇を指でなぞって、再び何気なく話しかけてくる。自然体を演じていたけれど、あたしには、さっきよりも真剣みを帯びた声のように感じられた。
「なぁ、あんた、ピンとか持ってねーよな」
ピン。その言葉に、あたしは初めて自分の格好を顧みる。メイスはもちろん手元に無い。
胴当てを兼ねていたコルセットは外され、ズボンに潜ませていた小型ナイフが無くなっていた。ついでに二つに纏めていたはずの髪の毛も下ろされている。あのリボン、ちょっとお気に入りだったのに。コルセットもきっと紐を全部切られちゃってるんだろうなあ。
少し意気消沈しつつ、答える。
「……ごめん、ピンは無いや」
「そっか。じゃ、あんま使いたくねんだけど」
よいしょ、と身を起こしたシャノンがショートブーツをごそごそと弄る。するとどこからか刃がごく小さな短剣、というよりナイフ、を取り出した。
「……それ、なに?」
「仕込み刀ってやつ。すぐ刃こぼれするからヤなんだよな」
なんて言いつつ檻に付いている鍵穴を仕込み刀で雑に引っ掻き始める。暫く沈黙にガチャガチャと金属音だけが響いていたが、何分もしないうちに呆気なく鍵は開いてしまった。
「よっし」
ギィ、と静かな音を立ててシャノンは檻を出る。
立ち上がった彼は、また美しかった。ぼさぼさに腰元まで伸びている金糸はそれでも滑らかに背を流れ、身長もラドほどじゃないけれど高い。スラリと何でもないように立っていてもあまり隙が無く、身のこなしはまるで野良猫のようだ。
ぽかん、と口を開けてシャノンを見上げていたあたしに、シャノンは屈んで目線を合わせる。
「こっから出よーぜ。あんたがいれば百人力だ」
「……あなた、何者?」
「今はコックだったかな」
「……今?」
「そ。オレもあんたと同じで色んなとこ転々としてんだ。修理屋から靴磨き、コックに医者の真似事まで、なんでもやんぜ」
「……どうして今まで一人で逃げなかったの?」
「オレそんなガツガツ戦えねーの。歳だし。逃げ出してもすぐに捕まっちまったら警備が厳重になるだけだろ」
「……歳?」
「オレそこそこ歳いってんだよ」
見えねーだろ、と片眉を上げてみせるシャノンにコクコクと頷いた。
どう見たって十を二つを少し越えたぐらいの歳にしか見えない。
「ま、そのせいで捕まったんだけどな。……でも、あんたとなら、出られる」
鉄格子の間をすり抜けて差し出された手をじっと見つめる。
正直まだ頭がくらくらしていて、意識を失う前のことを思い出そうとすると、脳が警報を鳴らす。確か、確か、あたしは。信じ込んで、それで。
じわりと滲む視界に見えていた肌色が消えたかと思うと、頭をがしがしと撫でられた。その力強さにまた目の前がぼやける。
「辛いことは今考えんな。そういうのはこの状況をどうにかしてからだ」
「……うん」
「出んぞ」
「うん」
ぐし、と袖で目元を拭うと改めて差し出された手を握り返した。ひょろりとしているくせに案外強い力で引っ張られ立ち上がる。と、立ちくらみがしてたたらを踏んだ。いけない。首を軽く振って、ぐいぐいと凝り固まった身体をほぐす。
ここにはラドも、フースケもレーネもいない。シャノンも戦うのは得意じゃないって言ってた。だったらあたしが頑張らなきゃ。
程なくして、シャノンが閉ざされていた錠を難なく開けてしまう。錆びた音を鳴らして開いた扉をくぐり、檻を出た。
小さく深呼吸。心を落ち着けてから顔を上げればシャノンは「よし」と満足げに頷く。
「そんじゃ、よろしくエレン」
「こちらこそ、よろしく!」
にんまりと悪どい笑みを浮かべるシャノンに、あたしもせいぜい意地悪気に笑ってみせた。




