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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
2.二律背反
53/76

53話 「推考、よくあさ」

朝、目が覚めたのは早かった。壁が薄くて鳥の声がいつもよりクリアに聞こえてきたからかもしれない。麗音が隣にいないので、気を遣うこと無くガバリと布団を剥ぐ。

それから軽く部屋の中で一人稽古をして。

稽古で流れた汗と、昨日なんだかんだで風呂に入れなかったせいで埃っぽいのを流したくて、風呂を借りようと部屋を出た。


本当にここの防犯システムはしっかりしているらしい。廊下を幾ばくか歩いたところで、足音に気付いたのであろう屋敷の人に行き当たる。


「すみません、えっと、風呂を貸していただくことって、できますか?」


「風呂……ですか……」


ダメだったかな。男の人が口ごもるのに眉を下げれば、彼は慌てて口を開いた。


「実は、お湯を沸かしてなくて……今焚いて来ますので、もう少々お待ちしてくただくことになってしまうのですが……」


あまりにも申し訳なさそうに言う彼に、「あっいえそんな、お気遣いなく! 水があれば十分なので!」なんて口走ってしまったのが運の尽きだった。


案内された風呂場はどちらかというとひんやりとしており、大きな浴槽は空っぽ。男の人が顔を真っ赤にして運んできた大きな水瓶の中にはぬるま湯が入っており、どうやらこれで身体を流せということらしかった。

とりあえずお礼を言って、漏れそうになる溜息を押し殺す。そもそもは俺が急に「風呂を貸して」って言ったのが悪いわけですし。むしろ仕事を増やしてしまって申し訳ない。

……現代がどれだけ恵まれた環境かってのが分かるな。

諦めて服を脱いだ俺は、粛々と上品な花の香りがする石鹸を泡立てた。





かつん、かつん、とどうしても鳴ってしまう足音をお供に廊下を一人で歩く。水を浴びた直後はガタガタと震えたものだが、しっかりと身体を拭けば別荘の中が温かいので風邪を引く心配は無さそうだった。

なかなか乾かない髪の水気を雑にタオルで拭き取っていると、右手でこめかみを押してしまい、びりりとした痛みが身体を走る。不思議に思いながらもう一度そっとそこを撫でてみると小さなコブができていた。こんなのいつ……。

――――あぁ、コンラッドの弓が当たったときのか。

軽く頭を振ってみるが少し鈍くジーンとするだけで、動くのには支障が無さそうなのに安堵する。現に今さっきまで気が付かなかったぐらいだったしな。


何とか引っ込まないかなぁ、とコブを撫でさすりながら用意された自分の部屋に戻ろうとした時だった。

ガチャリと手前側のドアが開き、中からコンラッドがするりと出てきた。麗音はいないので、どうせぐっすりと惰眠を貪っているのだろう。


「……お、おはよう」


「あぁ。……風呂」


「あ、うん。部屋で少し身体動かしたから風呂借りたんだ」


そうか。

コンラッドがぽつりと呟いたのを最後に、会話が止まる。わしわしと俺がタオルで頭を拭く音だけが廊下に反響してとても居心地が悪い。

……こんなことならお言葉に甘えて大人しく風呂を焚いてもらえばよかった。

だが気まずい空気にめげてたまるか、と引き攣り笑顔で勢いよく捲し立てる。


「ああそうだ、コンラッドも風呂借りてきたら? 残念ながら湯は張られてなかったけど、身体流すだけでもだいぶさっぱりと、」


「すまなかった」


…………はい?

俺の言葉を遮って放たれた謝罪に思わず瞬きを繰り返した。コンラッドは能面のような無表情を崩さないまま、淡々と言葉を続ける。


「昨日。油断した」


「え、えーっと、でも元々は俺がエレンに『行けば?』って言ったのが悪かったわけで……」


「おれとネルが字を習ったのは、あいつだった」


「!」


急な驚きの吐露に思わず息を呑む。え、え? いや『学校の先生』とは言ってたけど……え?


「計算の仕方を習ったのも、食前後の挨拶を習ったのも、難しい言い回しや敬語を習ったのもあいつだった」


「そんなの……」


「それでも、あいつに対して気を抜いていい理由にはならない」


絶句。

六年前の学校の先生って言ったって、俺はてっきり教育実習生の程度ものだと思っていたのに。そんな、そんな深い繋がりがあったのか。

それなのに客観的に見て「怪しい」って言ってくれたり、あんなハッタリを仕掛けてくれたりしたのに。


「ごめん、そんな、俺、知らなくて」


「言っていない」


「いやでも、二人の古い知り合いっていうのは分かってたし、もっと俺が気を付けていればよかった……」


髪から落ちた雫がシャツの襟を濡らしていく。そこからじわじわと全身の体温が下がっていくような気がした。

コンラッドが起きた安心感からか、今にも床に穴が開いて地の底へ落ちて行ってしまいそうな心地になる。俺がしっかりしないと、ダメなのに。

黙りこくってしまった俺たちに、重い重い沈黙が落ちた。


そんな時コンラッドの背後からコツリと足音がして、俯いていた顔を恐る恐る上げる。

と、向こうから歩いてきたルカと目が合った。彼が飄々と片手を挙げるのを半ば呆然と見やる。昨日の晩から一転、また黒いシャツとズボン姿だ。


「起きたか。まったく、お前ら朝から辛気臭い顔しやがって。レーネは?」


「……多分、寝てるんじゃないかな」


「……あいつもあいつで緊張感が必要だな」


苦笑いをしたルカがふと俺を見て軽く目を瞬かせた。自らのこめかみに手を当てて、俺に向かって示す。


「どうしたんだ、その(コブ)


「え? ……あーっと、俺もさっき気付いて、」


「おれだろう」


小さく口を開いたコンラッドに俺とルカが一斉に振り返った。ちらりと切れ長の目で俺を、というかコブを見て、目を細める。


「教会に入った後の記憶は朧気だが……違うか?」


「やっ、ちが! ……わなくも、ないけど」


口からぽろりと肯定の言葉が飛び出してしまい、内心頭を抱えた。俺のバカ! 何でバカ正直に言っちゃうかなぁ!

ふ、と目を伏せるコンラッドにあわあわと焦って必死にフォローを入れる。


「でっでも! 俺石頭だから! 全然痛みは無くて!」


「……」


「ほんと! 大丈夫だから!」


「……」


「ってフースケも言ってることだし、あんま気に病むなよ。フースケ、後で氷嚢をやるから遅いだろうが冷やしとけ」


「あ、ありがと」


フォローも、氷嚢も。

やれやれ、と溜息をつくルカに何だか違和感。よくよく目を凝らしてみると、なんだか顔全体が少し白っぽい……?


「……あれ、もしかしてルカ、化粧してる?」


「ん? あぁ、ちょっとな。それよりもコンラッド、湯を用意したから風呂場で浴びて来い。それから朝食な。着替えは必要か?」


首を横に振って部屋に戻って行くコンラッドの背中に「風呂場はこの階の階段越えた向こう側にある」と声をかけて、ルカはこちらに振り向く。と、少しバツの悪い顔をした。


「……お前も入り直すか?」


「いや、大丈夫」


おずおずと訊いてくるルカに苦笑してタオルを首に掛ける。ルカが来ると、何だか少し空気が軽くなったように感じる。

元々俺とコンラッドは二人で話すことが少ないのもあるけど、……今はエレンがいないから、俺たちの間の歯車が錆びついてしまっているような心地がして、話すと酷く息がしにくくなったんだ。

こういう時に平静でいないと、大切なことも見落としてしまうのは十分に向こうも分かってると思うんだけど……やっぱそうもいかないよな。俺だってできてない。

纏わりつく固い雰囲気を首を一振りして追い払うと、俺はルカに向き直った。


「いやあ、氷嚢から朝飯まで用意してもらって、ほんとごめんね」


「気にすんなよ。オレのためでもあるんだから」


それより、とルカは尻ポケットからなにやらぐちゃぐちゃと書き記された手帳の切れ端を取り出す。裏から透けた文字をなんとか読めば、どうやらどこかの住所らしいことが辛うじて分かる。


「昨日の、いくつか候補は上がったんだ」


「え、うそ、早い」


「もう少し狭めたいからまだ何も言えんが……とりあえずレーネには見せておこうと思う」


「うん、俺もそれがいいと思うよ。俺たちはまだここの地理に疎いから、見せられてもよく分からないだろうし」


頷けばルカはホッとしたように切れ端をポケットに戻す。麗音はここの地理に明るいと知って安心したのだろう。

それじゃあ準備してくるね、と踵を返そうとした俺を「そうだ」とルカが呼び止めた。


「お前ら朝食とったらすぐ出るか?」


「そのつもり、だけど」


「だったらまずは教会を探ってみろ」


何で? そう口に出す前に首を傾げれば、ルカは少し視線を巡らせる。そうしてゆっくりと確かめるように言葉を紡いだ。


「お前昨日祭壇の傷が云々って言ってただろ」


「教会の? うん」


「あれエレンがやったんじゃねぇの?」


「え……あっそうか、鈍器!」


鈍器と言えば一番身近なのはメイスじゃないか! なんで気付かなかったんだ……!

湿った髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜれば、冷えた雫が指先の体温を奪う。それを乱暴にシャツの裾で拭って、ルカに目を戻した。


「……それで?」


「あぁ、少なくとも、エレンはそこで何秒か暴れたわけだろ。だったらまだ何か残されているかもしれない。……アーリックがとっくに隠滅した可能性もあるが」


あー……アーリックさん。教会に戻って来ている可能性もあるのか。何もなかったような顔をして、俺たちの前に姿を現す可能性も……。


「もし居たら、どうしよう」


「こっちは敵だと知ってんだ、叩きのめしておけ」


「……でももし、」


「無実だったとしても、本当に善良な牧師様ならちゃんと話せば分かってくれるんじゃねぇの? エレンとコンラッドとは結構深い知り合いなんだろ」


難しい顔をするルカに目を丸くした。


「もしかして、さっきの聞いてたの?」


「そりゃあんだけ廊下でデカい声で話されれば聞こえるに決まってんだろ」


憮然とした声にハッとして頷く。防犯システム的にか。そういやそうだったな。


「とりあえず分かった、教会に行ってみることにするよ」


「おう。朝食が準備できたら呼びに来るから、それまでにレーネ起こしておけよ」


ひらりと片手を振って踵を返すルカに、俺はビシリと固まった。

麗音を、起こす……?

ぎこちない動きで、真横の扉を横目で窺う。コンラッドに割り当てられた部屋だ。

…………さて、どうやって起こそうか。

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