50話 「夜に耳あり」
祝50回目。全然進まない……。
数刻前に通り抜けた門を再び潜る。すっかり萎んでしまっている庭の花を横目に、コンラッドを引き摺って小道を辿っていくと、すぐに大きな両手扉に行き当たった。
迷惑をかけるのは既に覚悟の上だ、ここまで来ておいて無駄に躊躇っている暇はない。一つ深呼吸をして扉の脇のドアノッカーを鳴らした。
カン、カン、と夜闇に硬い音が溶けていく。
と、扉越しに誰かの気配を感じた。
「どちらさまですか?」
太くて低い声。どうやら夜間の警備を任されている人間のようだ。
麗音も少し負担してくれてるとはいえ、今にも膝をついてしまいそうなほどに重いコンラッドを担ぎ直し、俺は声を張った。
「今日の昼に伺いました、風介です。あの、ルカ……さんに会わせてもらえないでしょうか」
「本日は既に就寝なされております。また明日、出直してきてください」
「どうしても会いたいんです! お願いします!」
「取り次ぐことはできません」
何度も何度も言い募るが、それを全く意に介さない淡々とした声に、俺はだんだんと腹が立ってきた。逆恨みもいいところだが、生憎と今は簡単に諦められるほど余裕がない。
こっちが非常識なのは分かってる。こんな夜更けに屋敷の主人を出せないのも分かってる。ここは俺が引くべきところだってのはもっともっと分かってる。
でも俺だって冷静じゃないんだ。仲間が一人いなくなって、もう一人もこうやって止むを得ず眠らせてしまって、どうしたらいいか分からないんだ。
だってこっちにきて間もないときのように、今は俺と麗音しかいないんだよ。
ギリ、と無意識に噛み締めていた奥歯が嫌な音を立てた。
俺が黙ってしまっても扉の向こうの男は動こうとしない。ここから俺が去るまでそうやって扉の前で威圧しているのだろう。
ごめん、ごめんなさい。もう手が無い俺は、今から最低なことをする。
意を決して絞り出した声は、地を這うように低かった。
「……マレビトって、知ってますか」
「は?」
「俺、マレビトなんです」
「何を……」
ガン、と玄関の石畳の上に乱暴にゴルフバッグを置くと、男が緊張したのが伝わってくる。
続けて、向こうにも聞こえるように、わざと大きな音を立ててチャックを開けてやった。
「こんな扉を壊すくらい、俺にとっては簡単なことなんですよ」
「!」
「ルカを呼んでください」
「脅しか……!」
「……扉越しにでも、会わせてもらえるなら何もしません。どうします?」
バタバタバタ、と玄関に人が集まってくる足音が聞こえる。
まずいな。本当に壊す気は無いんだけど……このままじゃ捕まってしまいそうだ。
やっぱり慣れないことはするもんじゃない。
「忍び込めば良かったナ」
「それはそれで面倒なことになってた気がする」
麗音と同時に溜息が漏れた。まぁ、今の方がかなり面倒臭いと思うけど。
それでも、このハッタリを仕掛けちゃった以上、やり通すしかないか……。
小さく息を吸い込んで、ふー、と細く息を吐き出す。それから、腹の底に力を籠めて声を張り上げた。
「そこに人が集まってますね? 昼間ここで働いていた人がいれば、聞いてみてください。“フースケ”という客がいたかどうかを。それで俺の言っていることの真偽が分かるはずです」
さわ、と空気が揺れる。ごめんなさい。
「お願いします、ルカに取り次いでください。……じゃないと、ここを無理矢理押し通ることになってしまいます。俺は、そんなことはしたくない」
「……オマエ思いっ切り悪役ダナ」
「……麗音は黙ってて」
ざわめく気配が手に取るように分かって、思わず生唾を呑み込む。念のためにバズーカを持ち上げ、ゴルフバッグを取り去っておいた。
心臓がバクバクと高鳴って落ち着かない。こんな脅迫まがいなことをしたのは、当たり前だけど、初めてだ。震える手でコンラッドが肩からずり落ちないように掴む。
どうか、どうか、穏便に事が済みますように……!
カチ、ととうとう震えから歯が鳴ったとき、扉の向こうから鋭い声が聞こえた。
ビクリと肩を揺らすが生憎扉は厚く、騒然とする場の空気しか伝わってこない。
そして、暫しの沈黙。
沈黙が去るのを待っていたのはほんの一分ほどだったはずなのに、俺には何十分かにも感じられる時間だった。自分の心臓の音が耳元で聞こえる。
ややあって、バン!と盛大な音を立てて玄関扉が開かれた。屋敷の中から差し込んだオレンジの光が、暗闇に突っ立っていた俺と麗音を照らす。
ハッと顔を上げると、昼間とは違って白いワイシャツと茶色のチノパンを身に着けたルカが、僅かに息を切らして立っていた。
「っフースケ!」
「ルカ! どうしよう、俺、おれ……!」
ルカの顔を見た途端、安堵感から今更混乱が湧き上がってきて、思わずくしゃりと顔が歪む。
ちらりとそんな俺と、目を物理的に光らせている麗音と、ぐったりと俺の肩に腕を回したコンラッドを見回したのち、ルカは真剣味を帯びた表情で頷いた。
「今すぐ話を聞こう」
「ごめん、迷惑かけて。あと、脅すなんて酷いことした」
「別にいい。ほら、コンラッドは俺が背負ってやるから、早く中に入れ」
ありがとう、と呟いて頭を下げると、ルカは溜息を吐く。そして俺の髪をやや雑に掴んで頭を持ち上げたあとで「それなら、とりあえず先にその鉄の筒を仕舞ってくれ」と小さく悪戯気な笑みを溢した。
「エレンが誘拐された?」
「……うん」
目を瞠るルカに俺は頷いてアイスティーを啜る。冷たくて甘みのある茶が強張った喉を潤し、知らず知らずのうちに、ほぅ、と柔らかい息を漏らした。
ここはルカの部屋。玄関ホールでまたもや色々とすったもんだが起こった後、ルカが痺れを切らして俺たちを自室に引っ張り込んだのだ。
そうして通された部屋を一瞥したところ、どうならルカが就寝しているというのは嘘だったらしい。テーブルの上の読みかけの本には栞が挟まっていて、赤いリボンが覗いていた。
それから、この部屋にベッドが見当たらないところからして、この部屋に加えて更に自分の寝室まであるらしいことが窺える。
さっきコンラッドを横たえたソファーも、ふかふかとしていて一人部屋には大きすぎるサイズだったし。やっぱり金持ちは違うな……。
現実味が無くぼんやりとした頭でそんなことを考えていると、手帳を片手に何かを思案していたルカが、ふと口を開いた。
「そういや、お前らは誰と待ち合わせしていたんだ?」
「ん? ええっと、最近この街に来た牧師さんで、アーリックさんっていう……」
「はぁ? 最近? 何言ってんだ、|アーリックは何年か前からこの街の牧師だろ?」
「え?」
「……ナルホド」
思わず顔を見合わせる俺たちに、部屋を勝手に物色していた麗音が唸って、俺の肩に降りてくる。
「オイ喪服、赤毛娘の誘拐ゲンバは教会ダ。ツイデにステンドグラスには穴が開いてイタ」
「だから喪服は止めてくれって。……穴?」
そうだ、ステンドグラスにコンラッドがギリギリ通れるぐらいの穴が開いてたっけ。
「あの穴ってさ、多分犯人が入って来た時の穴だよね? だとすると、犯人はアーリックさんが出て行った窓から逃げて行ったのかな」
カチャカチャとアイスティーとミルクをマドラーでかき混ぜながら首を傾げれば、麗音が瞬く間に呆れ顔になった。
「……オマエ、硝子のハヘンがドコに散ってタか覚えてナイのカ」
「え、外でしょ? ……あ!!」
破片が外に散らばっていたってことは、ステンドグラスを内側から割ったってことか!
外から入ってくるときに開いたなら内側にガラス片が無いとおかしいもんな。
「……あれ、じゃあ、犯人はどこから入ったの?」
「待て、その前に、お前らはどこにいたんだ?」
「俺と麗音とコンラッドは教会の扉の外にいたよ。うーん、犯人は窓から入って来たのかなあ……」
「窓?」
「アーリックさんが『犯人を追いかける』って言って、窓から出て行ったんだ。だから――――」
「……おかしいだろ」
口元に手を当てたルカが、手帳に長方形を書く。
俺がそれを覗き込むと、ルカは一つ一つ確認するようにゆっくりと上の辺に『ステンドグラス』、横の辺に『マド』、底辺に『イリグチ』と書き込んだ。
そのまま長方形の外、『イリグチ』に沿うように丸を三つ並べる。これは俺と麗音とコンラッドか。
「こういった状況で、エレンとアーリックは中にいたんだろ?」
長方形の真ん中に丸を二つ書く。
「で、お前が言った通り犯人が窓から入って来たとする」
『マド』を突き抜けた矢印はそのまま丸の片方に突き刺さり、方向転換して『ステンドグラス』から長方形の外に出た。
「なら、どうしてアーリックは窓から追った? ステンドグラスには穴が開いていたんだろ?」
「あっ! ……いや、違う、コンラッドが、通り抜けるときに周りを割って穴を大きく広げてた。だから多分、アーリックさんが出て行けるサイズじゃなかったんだよ」
「なるほど。――――それじゃあ、お前は?」
「ん?」
「その穴は、お前が通ることのできる大きさだったか?」
じぃ、と俺を射抜くルカの視線に耐え切れず、ついと俯く。
正直、あのステンドグラスの穴のことを考えようとすると、どうしてもコンラッドが何度も何度も短弓を打ちつけた光景を思い出してしまう。ガシャン、というガラスの割れる音が今でも耳に付き纏って離れない。
そんなんで穴の大きさがどうのって言われても……。
何も答えられず無言で唇を噛み締めた俺に、麗音が助け舟を出した。
「イヤ、アレは通れナイナ。アイツがカナリ割り広げて、潜れた程度の大きさダ」
「かなり……?」
「弓でガッツンガッツンやっテ、サン発程蹴ってたカナ」
「それはかなりだな」
『アイツ』でコンラッドの方を見る麗音に、ルカは路地裏での出来事を思い出したのか、口端を引き攣らせて目を逸らす。
「……だが、これでステンドグラスの穴については分かった。……フースケは身長も体格も大きい方じゃなく、むしろどちらかと言えば小さい方だ。そのフースケが通れない穴だとすると、」
「ジュッチュウハック、ソトに逃げたと見せかけるタメ、ダナ」
「待って、それじゃあ、」
ガバリと顔を上げた俺に、ルカと麗音が渋い顔で頷いた。
「……あぁ」
「マンマとイッパイ食わされたナ」
「アーリックさんが、誘拐犯……?」
自分が零した言葉に、俺は目の前が真っ暗になったような気がした。




