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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
2.二律背反
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48話 「幕は開かれた」

「お前ら今日はどこに泊まるか決めてんのか?」


淹れ直された紅茶を啜りながらルカはこちらに目を上げる。

その視線を受けてちらりと横目で麗音を窺うと、既に欠片になっているクッキーを頬張っていた麗音が「ンート」ともごもご口を動かした。


「マチのソトの宿を予約してイル」


「あれ、そうなの?」


「ソウダ」


聞いたエレンが思わず反応するのに麗音はうんうんと頷く。俺も初耳だ。そういうのは初めから言っといてください。

そんなこちらの意志疎通不具合をしれっと流してクッキーを口に放り込んだルカは、また悠然とカップを傾けた。


こっちに入り直すの大変じゃねぇ?」


「術で入り直すカラ平気ダ」


「ジュツ? ……その“ジュツ”ってのがどんなのかは知らんが、万が一のために招待状書いてやろうか?」


「イイのカ?」


「おう、それ持ってれば衛兵なんかにそうそう止められねぇよ」


怪しい庶民が衛兵に止められないってルカの家はどんだけ強いんだ。

エレンの見立て通り、国外から来ているだけあってルカはとてつもないお金持ちらしい。

本人はいたって庶民的なのにな。黒コートさんたちも苦労してたみたいだし、いつもこんな風に事件に首突っ込んだりしてるのだろうか。


まじまじとオレが見ている間に執事に葉書とペンを持って来させたルカは、さらさらと葉書に文字を数行書き込んで封筒の中に入れる。それにたらりと熱した赤い蝋を垂らし金属製の印を押し付けた。そうしてできた封には口が長くて牙が生えてて尻尾が長い、ぐるりと丸まった動物の紋章が見える。


「……ワニ?」


俺の呟きに小首を傾げたルカは紋章に注がれた視線に気付き「あぁ、」と声を漏らした。


「オレの家、湖の近くなんだよ。だから紋章がワニらしい」


「へぇ……?」


「えっ、それってかなり遠いじゃん!」


「まぁな」


えっと、湖、とは……?

ぱちぱちと目を瞬かせる俺にエレンが補足説明を入れてくれる。


「世界地図の真ん中にぽっかり大きな穴が開いてたでしょ、あれが湖」


「あー、あれか」


「ヴェントで湖に出るなら首都からぐるっと山を越えないといけないんだよねー……あたしもまだ二回ぐらいしか見たことないよ」


「エレンも?」


「ものすっごく遠いからね」


なるほど。俺も一度見てみたいな。ルカから封筒を受け取りつつまだ見ぬ湖畔に思いを馳せる。

そんな俺を見て麗音がやれやれと首を振った。


「仕事してりゃイヤでも行くコトになるダロ」


「そうなの? 楽しみにしとく」


「楽しみにできル仕事だったらイイケドナ」


「…………」


そりゃそうだ。今だって貴族街ってわくわくするものなんだろうけど、人身売買って聞いてからドキドキとムカムカしかしない。ここだって普段は、というか周りを気にしなければいい街なのかもしれない。

顔を顰めているとふとカップをソーサーに置いてルカが立ち上がった。


「そうだ、夕飯ぐらいは食べて行くだろ?」


「え、いやでも悪いし……」


「イタダキマス」


「麗音!」


慌てて辞退をしようとする俺とエレンに被せて麗音が声を張り上げる。おいそこ! コンラッドもさっきから知らんぷりを通してたくせに一瞬目を光らせたのしっかり見たからな!

わあわあと途端にうるさくなる俺たちにルカは声を上げて笑った。


「ははっ、とっておきのご馳走を食わせてやるよ」


「喪服!!! オマエ、イイヤツだナ!!!!」


「……喪服(それ)はやめてくれ」



*****



ルカの言う“とっておき”は凄かった。金持ちの本気なめてた。

ワインで煮込んでソテーにされた肉はとろっとろ。トマトスープはあっさりとしつつトマトの酸味と他の野菜の甘みが活きていて、パンはふわふわで香ばしい。更にデザートに出されたムースは口当たりなめらかでくどくなく、スッとしたミントの香りがした。

正直、こんないい夕飯食べたことがないと思う。値段的な意味でも。


「これがここでできる精一杯なんだ。品数少なくて悪ぃな」


「イヤ、腹一杯ダ」


「美味しかった……」


「す、すごかった……」


「……あぁ」


「そりゃあよかった」


ごちそうさまと一緒に漏らした俺たちの呻きにルカがニヤリと笑う。もう完敗でございます……。

平伏した俺たちはそれから食後の紅茶を一杯頂いて一息ついた。

ミルクとシロップを大量投入した、紅茶というのもおこがましいものを、ティーカップに半ば頭を突っ込んで味わっていた麗音が「ソウいやオマエ」とテーブルの上からエレンを見上げる。


「アノ優男とヤクソクしてたんじゃナイのカ」


「あっ! そうだよエレン、行かなくちゃ!」


バッと勢いよく振り返ると、エレンはカタカタと震えながらカップを傾けている。

…………あれ?


「ううううん、そろそろいかなきゃねねね」


「……ダメだ、バグってる。どうしようコンラッド」


「……」


「……コンラッド?」


ちらりとエレンを挟んだ向こうに顔を向ければ、コンラッドまでも心底困ったような顔をしてエレンを見つめていた。いつもなら睨まれてもおかしくないところなのに、吊り上がるはずの眉毛は僅かに下がっている。……やばい、こっちも相当参ってる。


「アーモウ! 兎ニモ角ニモ向かわなきゃ始まらナイダロ! ……ホラ立て、行くゾ!!」


「うん」


「はい……」


「…………」


麗音の一喝で一同はのそりと腰を上げた。正面に座っていたルカが同じように席を立ちながら訝し気に目を細める。


「お前らそんなんで大丈夫か」


「うーん、どうだろ」


無理かも、とへらりと笑ってみせるとルカは呆れたように息をついた。

麗音は唸りながら歩くエレンと若干挙動不審でエレンを見守るコンラッドの前を行き、ぎゃんぎゃんと怒鳴っている。叱咤激励なのだろうか。


「……オレは暫くここに居るから」


「うん。何か分かったらまた来るよ」


「そうしてくれると助かる。オレもめぼしい情報が手に入ればお前らに知らせたいしな」


「ありがとう……ええと、それじゃ」


「あぁ」


ルカがひらりと片手を振るのに俺も手を振り返せば、すぐにその姿は扉に遮られた。それにちょっと寂しさを覚えてそっと手を下ろす。ルカに次会った時はちゃんとお礼しないとな。


…………でも今は。

げんなりと進行方向に視線をやる。夕暮れの静かな街の中、一応騒ぎはしないがあまりにも不審な一団がよろよろと歩いていた。

いや、まだここはルカの家の庭だからいいけどさあ。

落としそうになった溜息を口を押えて飲み込むと、麗音が俺に向かって声を張り上げた。


「フースケ! ナニやってンダ! 早く来イ!!」


「……今行く」



*****



教会に着くのはあっという間だった。嫌だ、行きたくない、と思っている時に限って体感時間が短くなるというアレだ。歯医者の待ち時間とか。テストの日の朝とか。

はあ、ととうとう溜息をつくと、沈みかけの日にちかちかとステンドグラスが反射して目が痛む。もう一度息を吐き、目尻を揉み解した。

現在俺の隣ではエレンがそわそわと落ち着きが無く、コンラッドは徐々に眉間の皺が不覚なっていき、麗音は満腹でうとうとし始めている。これ俺どうすりゃいいの。


そんな困り果てていた俺にとっては救いの足音がぱたぱたと聞こえてきた。


「ごめんね、思ったより遅くなってしまって」


「……いえ、今来たところなので」


コンラッドが眉間の皺を解いて軽く頭を下げた。俺もそれに倣うとアーリックさんは優しく笑って両手を振る。


「そんな畏まらないで、ね?」


うーん、やっぱり優しい人だ。

確かにコンラッドの話を聞くと「完璧すぎて怖い! 不気味!」って思うし、麗音も『7:3(ナナサン)で怪しい』って言ってたけど、俺から見ればそんなに……うーん。

内心うんうん唸っている俺を置いて教会の扉がギィ、と開く。どうやら扉は開けたままで、俺とコンラッドは外に立って待つことになったらしい。

立っているの大変でしょ、よければ僕が送っていくから帰っててもいいよ、と申し出たアーリックさんはコンラッドがばっちり退けたみたいだ。


「麗音、起きてよ麗音」


「起きてル」


もうほんとこいつは……。呆れつつ麗音をぐらぐらと揺らす。

そうすれば閉じている目擦ってもにもにと動く麗音の頬に、唐突に長い指がぶすりと刺さる。


「……オイ」


ぶすりぶすり。

恐る恐る指を辿って隣を見ると、コンラッドが真顔で麗音の頬を突いていた。呆気に取られて一つ、二つ瞬き。……もっと面白そうな顔して突けばいいのに、その目はどこかぼんやりとしている。心配なのを紛らわせようとしているの、か?


「ヤメ、……ヤメロ!」


「…………」


可愛くない男と一匹の触れ合いに口端が引き攣るのを我慢できなかった。

……でもまあ、それでコンラッドが落ち着くなら麗音には生贄になってもらいましょう。

見て見ぬ振りをして教会に背を預け、天を仰ぐ。日はとっくに地平線へと沈み、赤紫と濃紺が混じり合った空に星が輝く綺麗な夜だった。



――――ガシャン!と不躾な騒音が静寂を切り裂くまでは。

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