43話 「におい」
にこにこと上機嫌に笑う神父さんに連れられて、俺たちは近くの教会に立ち寄ることになった。
レストランのすぐそこからまた少し歩いて、辿り着いた真っ白な建物。大きな木製の扉は両手開きで、それを神父さんが引き開ければ、中にはまるで異世界のような空間が広がっていた。
いや異世界なんだけど……ってツッコミはもう何度しただろうか。
静かで厳かな教会内の一番奥には、きらきらと日光を通したステンドグラスが色付いた影を作り、その影に照らされるように大きな台座の上に乗ったこれまた大きな像が安置されている。
ステンドグラスは何色ものガラスで描いた幾何学模様が並んでいた。円形、三角形、扇形と様々な模様を組み合わせて作られたそれは、細かいことは何も分からない俺でも溜息をつきそうになる程に綺麗だ。
そのステンドグラスの手前にある像には、沢山の動物たちと真ん中に一人の人間が彫られている。人間は動物よりもいくらか大きく、顔が無い。
右手に王冠、左手に色が付いた六つの玉を持っていて、色はそれぞれ水色、青、赤、黄、緑、オレンジ?に彩られている。オレンジよりはちょっと茶色っぽいかもしれない。
像自体は古そうなのに玉だけは何度か塗り直されたのか、全てつるりとステンドグラス越しの光を反射して輝いていた。
ふと人間の足元に視線を落とせば、初めは気が付かなかったが動物たちの後ろにずらりと十字架が並んでいる。それはまるで墓のようで。
「ん? 何か面白いものでもあったかい?」
像に見入っていた俺は、神父さんに声を掛けられてハッと我に返った。しまった、と慌ててとっくに腰を落ち着けているコンラッドに駆け寄る。
もう一度前をそろりと窺えば、ステンドグラスと像を前に何列も並んでいる長椅子の一番前にエレンが落ち着かなく座っているのが見えた。
「ハヤク座レ」
麗音に髪を引っ張って急かされ、ようやく椅子に腰を下ろすと、神父さんが紙袋を懐から取り出して「どうぞ」と差し出してくる。
受け取ったそれを恐る恐る開けてみると、中には白いふかふかしたパンがいくつも詰まっていて。美味しそう、とパンのいい匂いを思いっきり吸い込んだところで、ふと人工的な花の匂いが鼻をついた。
これは、神父さんの香水の匂い? 柔軟剤なんて代物がこの世界にあるわけないし。
聖職者なのに香水なんてしてるんだ、と困惑から思わず眉を寄せて神父さんを見上げると、俺が不服そうに見えたのか眉を下げて苦笑する。
「今はこれしか持っていないんだ、ごめんね」
「あ、いえ、ありがとうございます……」
「ありがとうございます」
「いえいえ」と微笑む神父さんに一礼をして、少し離れたエレンの方へと向かうその背中を目で追った。ふわり、と花の香りがそのあとに残る。
いや、とりあえず今は香水は置いておこう。聖職者が香水付けるのかってのも俺の勝手な偏見なわけだし。
思考をバッサリと断ち切って、素早く紙袋から二つパンを取り出す。
神父さんが前を向いている今のうちに、とコンラッドに残りを袋ごと渡しつつ、急いで麗音を膝の上に呼び寄せた。怪訝そうに近寄って来た麗音に椅子の陰に隠れてパンを渡す。
早速齧り付いているコンラッドと麗音を横目に、まじまじとパンを観察してみる。
拠点で食べていたパンよりも格段にふわふわで、出来立てなのかまだ少し温かい。
どこも凝ったようには思えない普通のパンに見えるが、原材料が違うのだろうか。それとも釜が違うのか。
値段は雲泥の差だろうな。
……少ししょっぱい気持ちになったが気を取り直して一口。
微かにミルクとバターの味がしてほんのりと甘かった。美味い。
それぞれ無言で食べ進めていると、麗音がふがふがと言葉を発しようとしているのに気付く。
「オイオマエ、アレはダレダ?」
「あ、そうだ、」
麗音が言うのに便乗して声を上げると、二人に睨まれる。
……あーっと、ボリューム落とせってことだよね。そういや麗音が見えてないどころか声も聞こえてない人がいるんだった。
「俺も、それ、聞きたかったんだ……」
二人を窺いつつそろそろと声の大きさを抑えていくと、半ば囁いているくらいの音量でお許しが出たので、ほっと息をつく。
この大きさなら丁度、前で話しているエレンと神父さんの声に隠れるようだ。
広い教会の中では音が反響してるから、そんなに気を遣わなくてもいいと思うんだけどなぁ。言わないけど。
まあ、念には念をってやつだろう。
「アーリック。派遣されて村に来ていた牧師だ」
「ふぅん、牧師さんか。でもエレンは『せんせい』っていってたけど」
「地方の村での牧師の仕事は、教会で教師の真似事をすることだ」
「つまり、エレンとコンラッドの学校の先生ってことか」
コンラッドの無言の肯定。
なるほどなあ……だから二人とも基本敬語だったんだな。
合点がいって一人頷いていると、口いっぱいに詰め込んでいたパンを飲み込んだ麗音が「ソレナラ」と頭を傾ける。
「オマエと赤毛娘のアノ反応はナンダ?」
「反応?」
「ハァ? フースケも思ってたダロ、ソイツラの様子がオカシイってナ」
あぁ、と納得して相槌を打つ。
コンラッドのあの演技?とエレンの挙動不審さは確かに疑問だった。
何があったのかは分からないけど、少なくとも俺に見せてた態度が全て演技で、さっきのが素ってのは無いと思うし……。
むぐ、と黙ったコンラッドに麗音は追い打ちをかける。
「オマエがフースケのマネをしてマデ、アイツを欺きたかったのはナゼダ?」
「お、俺の真似……?」
「フースケは分かってナカったのカ? 明らかにオマエのマネだったダロ」
「違う」
「嘘ツケ」
「……参考にしただけだ」
「参考?」
驚いて目を丸くする俺に、麗音に指摘されてむすりと口をへの字に曲げていたコンラッドがふと視線を寄越す。
俺が何だよ、と首を傾げるのを見たくないとでも言うように、前を向いた彼はパンに噛り付きながら付け足した。
「少しくらい腑抜けていた方が余計な警戒をされずに済む」
「腑抜けって」
「頭が緩い、の方が良かったか」
「どっちも酷い」
「……マァ、馬鹿のマネをシタ理由は分かっタ」
「そのルビの使い方やめろっていつも言ってるだろ」
歯を剥き出して威嚇する俺を放って、麗音がべちんべちんと俺の膝を強く叩く。コンラッドの話を催促してるんだろうけど……痛いです。
麗音の尻尾を引っ張って抗議してみるものの、歯牙にもかけずサイコキネシスで抜け出される始末。
これはもう俺をスルーして会話がそのまま続行されるのを察して溜息。いつものことだ。
暫くは二人の話を聞いていよう、とパンをちぎっては口に入れる。
そうして急かされたコンラッドはと言えば、苦虫を噛み潰したような、非常に、とてつもなく、最高に嫌そうな顔をして渋々と口を開いた。
「ネルの初恋の相手だ」
「は、はつっ!?」
「ナルホドナ。ダカラ気に入らナカったのカ」
「そ、そんなに嫌なら話なんてさせなきゃよかっただろ……?」
「……ネルの行動を、制約する気はない」
「オマエってヤツはホンットーに面倒だナ」
ぽかんと口を開けて何度か瞬きを繰り返す。
黙って聞いていようと思ったのに思わず口を開いてしまった。
……だってこれは反応せずにはいられないだろ。
ちらりと二人を見れば、ゆっくりと一度首を振るコンラッドを麗音がじとりと呆れたような目で見ている。
いや、目は閉じていて見えないけど、多分呆れているんだなと何となく分かる。
かく言う俺も流石に面倒臭いと思った。凄く拗らせてるよ。大丈夫かこいつ。
そんな俺たちにコンラッドは不本意だと言うように顔を顰めた。
「まさか、それだけで目の敵にするわけがないだろう。あいつは何処か胡散臭い」
「え、そうかな? 俺は普通に人が好さそうって言うか、にこにこ笑ってて優しそうな人だなーと思ってたんだけど」
「非の打ち所がない人間というのは不気味だ。おれは昔からあいつが苦手だった」
「ええっ、苦手!?」
「ネルには言うな」
「は、はい……」
コンラッドの『苦手』という言葉に声のトーンが跳ね上がる。
だがそれもその後に落とされた地を這うような声音に沈静化されて。
大人しく冷めきったパンの残りを片付けてしまうと、麗音がたしんたしんと幾度も俺の膝を叩いた。
何かを考えているときの麗音の癖だ。
「フム。オマエの演技がウマくいってルとしても、信用できソウにナイカ」
「そうなの?」
「7:3で怪しいナ。ムカシから知ってるコイツが『ウサン臭イ』って言ってるんダ、ワザワザ危険な賭けをするコトもナイダロ。……というカ、ソモソモ敵味方なんて関係ナイ。所詮グウゼン会った知り合いだしナ」
「それもそうか。ってことは、アーリックさんと別れたらさっき決めた通り?」
「ウーム……ソレなんダガ」
麗音は眉間に皺を寄せてもそもそとパンを齧る。
俺も紙袋からもう一つパンを貰って、空になった紙袋をくしゃくしゃと潰すコンラッドとと揃って麗音を見た。
「赤毛娘は平気ナノカ?」
「何が?」
「オマエのサルマネをブチ壊したりしナイのカって聞いてンダヨ。アノ優男がハツコイのヒトなんダロ?」
「しない。ネルはそこまで馬鹿ではない。おれの意図くらい察しているはずだ。……疑問には思っているだろうが」
目を逸らしつつ苦し気に断言するコンラッドに「ソウカ」と麗音が頷く。
エレンを信用しているのはよぉぉく分かったけど、馬鹿ってところで俺を見るのをやめてほしい。そりゃ二人よりちょっとはバカかもしれないけどさぁ!
ムッとして、大口を開けてパンを一口。手と服に落ちたパンくずを払っていると、麗音がそっぽを向いているコンラッドの服を掴み、揺らした。
「オマエ、別れギワにアイツからナニか聞けナイカ」
「情報を引き出せと」
「アイツの前では赤毛娘は役に立たナイダロ」
「…………」
そんなことない、とも言いきれないのか。
さっきのエレンの発言からして、アーリックさんにメロメロで使い物にならないってわけではないけど……どこか落ち着きがないような気がする。
少なくとも、いつものしっかりしたお姉さんって雰囲気がないのは確かだ。
……お姉さんっても多分同い年くらいだけどな!
暫く経ってみても一向に止める気配がない麗音とコンラッドのにらめっこを前に、深くため息をつく。
えっと、だからつまり? どういうことになったんだ?
疑問符を飛ばす俺を見て二人は同時に息を吐いた。そのやれやれ、って顔すごい腹立つ。
「マ、なるヨウになるカ」
麗音の呟きにこっくりと頷いて、コンラッドは幾分かすっきりした表情で遠くのエレンを見る。その彼の袖を、麗音がもう一度引っ張った。
コンラッドの視線が戻る。
「トコロでオマエ、サッキからメッチャ喋るナ」
「何処かの誰かを参考になどしてしまったからだろうが、馬鹿みたいに口が滑る」
「ハヤク治るとイイナ」
「あぁ」
「さすがに傷つく」




