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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
1.一樹之陰
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04話 「シュークリーム・トリップ」

辺りから香る草のにおいに目を開けると、そこは一面の緑だった。


……おかしい。

ちょっと前までは生ぬるい空気が押し込められた部屋の中、白い壁と水色のカーテンに対峙して突っ立っていたはずだ。


木々の間をすり抜ける清涼な風に、まざまざとこの空間の異常さを思い知らされる。


一体何があったのか。

いつの間にかじっとりと汗ばんでいた首筋を吹き抜ける風が冷やして、俺はぶるりと身震いした。



ひとまず冷静さを取り戻そうと、ぐるりと周囲を見渡す。

どうやら今俺が立っているのは、森の中で円形に木が途絶えている広場じみた場所の脇。

ええっと、上空から見たらぽっかりとハゲているように見えるところがすぐ横に広がっているって言えばなんとなく分かるだろうか。

薄暗い足元からほんの三メートルほど先に太陽に照らされて輝く芝が見える。

きらきらと光る若草色がなんだか目に染みて、視線を逸らしぼんやりと上を向いた。


俺の頭の上にあったのは真っ逆さまに落ちていくような、ただただ深い緑。

木々で遮られて日の光が届かないのだろう。

思わず言葉を失うが、枝葉の隙間からちらりと覗く濃い青空に、なんとか呼吸を取り戻す。

そのまま俺は呆然と森がざわめく音を聞きながら、時折吹く爽やかな風に身を委ねていた。


草の香りと頭蓋骨のてっぺんを擽るような葉や枝が擦れる音に、ふと目を閉じる前に聞こえたあの音色が蘇る。



耳奥で音が反響するたびに、じわりと砂地に水が染み込んでいくようにゆっくりと現状を把握していった。

――――ああ、そうか。


目を瞑る寸前に響いたのは件の風鈴の音。

とすると、ここが例の「異世界」とやらなんだな。


……『対話』だなんだと勿体つけておきながら、シュークリーム一つで異世界に飛ばされるなんてありえないだろとか全然思ってない。

思ってたとしても言わない。


納得できないところは多々あるものの。

とりあえず俺は不満を全部飲み込んで、俺はようやく木々の先をしっかりと見据えることができた。



******



――――さて、これからどうしよう。


「向こうに行ったら掘っ立て小屋がある」なんてじいちゃんは言ってたけど、そもそもその小屋の場所知らないし。地図も無いし。麗音はいないし。


大体、こんな森の中に連れて来るなんてどういうことだ。

もし狼とか熊とか出てきてガブリとやられたら麗音のせいだからな。

なんてぶつぶつと内心で愚痴をぶちまけながら、辺りを散策する。


見通しはあまり良くないけれど変な動物の鳴き声はしないし、ついでに動物が草を掻き分ける音もしない。とりあえずは大丈夫かな。

うん、安全確保は大事。


一つの大木の根元に腰掛けて、無意識に浅くなっていた呼吸を整えた。

初めての異世界でひとりぼっちとか心細いなんてものじゃない。



頭を抱えて蹲っていると不意に腕を引く弱い力を感じる。

大きさからして猫か小型犬くらいか。森に犬猫がいるのかは分からないけれど。

少し気になるが、憔悴しきった今の俺には相手をしてあげる余裕はなかった。

悪いなと思いつつ、やんわりと自分の腕を小動物から取り上げる。

溜息を漏らして、立てた膝に両手で頬杖をついた。



暫くすると今度はドンと少し強く肩に衝撃。

もしかしてさっきの動物が飛び上がってタックルしてきたのだろうか。

……まさか怪我をしてたりして。

もしお腹が空いていて俺にタックルしてるんだったら、今は食べ物持ってないし謝るしかないかなあ。


幾分か重い心持ちでゆっくり小動物に向き直ると、そこには小さい釣鐘のような変な生き物が憮然とした表情でふわふわと浮いていた。


「フースケは案外冷たい人間ダナ!」


「……え、っと…………もしかして、麗音?」


聞き覚えのある声――元の世界にいた頃とは違ってきちんと言葉を発しているようだった――におそるおそる尋ねると、釣鐘もどき、もとい麗音は鷹揚おうように頷いた。

あまりのトランスフォームに思わずまじまじと見入ってしまう。


ただの風鈴だった体は二倍くらいの大きさに変化していた。

色や模様は風鈴だった頃とあまり変わっていないようだが、半透明で涼しげだった硝子の身体が今でははっきりと色付いている。ついでにぷにぷにしている。

そしてその乳白色の身体には、アーモンドによく似ている、これまたぷにぷにとした短い手と足が二つずつくっついていた。どうやって物を掴むのか気になるところだ。

目は数学の授業で散々苦しめられた覚えのあるθシータみたいな形をしていて、口は漫画でよく見る『3』を横倒しにしたような猫口。

鼻は見当たらないがただの風鈴の姿でもいろいろ敏感だったやつのことだ。きっと匂いくらい鼻が無くても分かるのだろう。

短冊の部分はというと少し上がきゅっと細くなっていて(たぶん舌と紐だった部分だろう)、まるで尻尾のように長方形の薄っぺらいのが身体からぶら下がっている。

何の飾り気も無い白い和紙だったそれは、順に水色、青色、藍色と波のような模様が三つ、長方形の半分より下のあたりに斜めに流れていた。


昔やったゲームに似たようなキャラがいたような、いなかったような。


そんな変わり果てた麗音が、呆けた俺の目の前で美味しそうにシュークリームを頬張っている。


……シュークリーム、そういや持ってたっけ。

こっちに来た時には既に右手に無かったからすっかり忘れてた。


ガツガツとカスタードクリームに顔を突っ込んで貪る麗音に呆れつつも、俺は強張っていた身体の力が抜けるのを感じていた。


「シュークリーム、美味しい?」


「驚きのウマさダ」


「……それはよかった」



******



口元にクリームを付けたまま、麗音がホバリングしながらきょろきょろと辺りを見渡している。

これで麗音まで道が分からないとかだったらどうしよう、とヒヤヒヤしていたのだが、その心配は無かったようで。

「付いて来いヨ」と言い残すと迷いなく進み始めた。


ふよふよと木々の間を縫うように飛ぶ麗音を視界から外さないように注意して、のんびりと歩く。

アスファルトとは違う柔らかな草と土の感触が心地いい。

一人だと無性に不安を駆り立てられた深い緑も、昨日から酷使し続けた脳を目からじんわり染み渡っていくように癒してくれた。


上機嫌で付いて来る俺を見て、麗音は決まりが悪そうにその場でふわりと旋回する。


「……悪かったナ」


「うん?」


「お、オマエ一人にしたコト反省してなくもないって言ってんダヨ!」


「ああそれね。別にいいよ」


「怒らないのカ?」


「そりゃあさっきまではムカついてたけど」


でもちゃんと麗音が来てくれたから、別にいいよ。


素直になれない麗音に顔を綻ばせると、べしりと尻尾?で叩かれる。

それ、そんな使い方もできるんだ。

ついつい気になって目の前で揺れる白い長方形を手の中に収めると、するりと抜けだして遠くに逃げられる。

さっきより早いスピードで進む麗音を慌てて小走りで追いかけた。



やっとのことで麗音の隣に並ぶと、俺の方を見もせずにつらつらと語り出す。


「転移の術は疲れるんダヨ。オマエが地面に転がしたしゅーくりぃむを追ったら動けなくなったカラ、飛べる体力が回復するまでじっとしてたんだゾ」


「それじゃあ、こんなところに転移したのは?」


「…………ソレは、ソノ、しゅーくりぃむが食べたくてダナ」


「はい?」


「無我夢中で術を使ったカラ小屋の近くの森に放り出されたんだヨ!」


ヤケになって胸を張る麗音に俺は溜息をつく。

でも小屋の近くということは、あのままずっと一人でも、彷徨っていれば小屋が見つかる可能性は無きにしも非ずだったんだな。

そこはちょっと安心。


「で、でもナ、全部が全部しゅーくりぃむのためだったワケでもないゾ。オマエがお人好しだって確信してたカラ連れて来たんダ」


お人好し、ってそれは褒められているのだろうか。


じいちゃんにもよくお人好しだ、莫迦だって言われてたなあ、なんて口の端を引き攣らせる。


「フツウ、自分にだけ声が聞こえるムキブツなんかに昨日の今日で食べ物を持って来たりしないダロ」


だけどぼそりと呟かれた言葉は小さかったけど隠し切れない喜びが滲んでいて。

俺は思わず麗音を撫でくり回したのだった。

やっと異世界にトリップしました。

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