38話 「ふるさと」
「麗音ーコーヒー入ったよー」
「ンググ……」
俺がほかほかと湯気を立てているカップを二つ持ってダイニングに入ると、麗音の呻く声に迎えられる。
どうしたのさ、とカップを目の前に置きながら尋ねれば、眉間に皺を寄せたまま麗音はガバリとこちらを向いた。
「うおっ」
「遅イ!」
「え、コーヒーが?」
「アイツらドコで油売ってンダ!!」
「そっちか。そんなこと俺に言われてもなぁ」
喚く麗音を尻目にアツアツのコーヒーを啜る。
それを見て麗音も渋々とカップに口を付けた。
カップが宙にふわりと浮き上がる。
麗音が苛つきを込めて机に打ちつけられる尻尾は忙しなく、たしんたしんとダイニングに音を響かせた。
俺は仕方ないなあ、と溜息をついてカップをテーブルに置く。
「じゃあ早いけど昼ご飯にする? バゲット焼いてジャム塗って食べようか?」
「オマエの昼飯食ウくらいなら待ツ」
「あっそう……」
置いたばかりのカップを持ち上げて脱力する俺の腕を、麗音がふにふにの手で叩いて安心シロ、と軽く頷いた。
「オマエの飯がマズイって言ってルんじゃナイ。ソモソモ、オマエの飯はウマイとかマズイとか関係ナイからな」
「……それ前にも聞いた気がするぞ」
「料理しナイんダカラ評価の付けようがナイダロ」
「こっち来てすぐにサンドイッチとか作ったろ」
「野菜切って挟んだダケじゃネーカ」
「うぐぐ……」
今度は俺が呻く番だった。
言うだけ言ってストレス発散したのか麗音はしれっとした顔でコーヒーを啜っている。
そんなに言うなら麗音が料理してくれたっていいじゃん。
食べられない料理作るよりいいじゃん。
……エレンとコンラッドがいるんだからいいじゃん。
「ソンなんダカラ成長しナイ」
「うるせー」
威嚇するように麗音に向かって歯を剥いたとき、玄関の方からガチャン、と音がした。
二人分の話し声。
麗音がちびちびと飲んでいたカップから勢いよく顔を上げた。
「キタ!」
「あっこら、待て!」
びゅん、と風を切る音が聞こえてくるぐらいのスピードで、玄関に突進していく麗音の後を追いかける。
「うわぁっ」と焦る声が聞こえて足音が止まった。
「バカ、そんなに勢いよく飛び出したら危ないだろ!」
「ウルセー馬鹿って言う方が馬鹿ダ」
「フースケ!」
麗音を窘めて回収。
ぎゃいぎゃいと耳元で騒ぐ麗音を抑え込んでいると、弾んだ声が聞こえて前を向く。
五日ぶりに見るエレンは、茜色の癖っ毛をリボンで結んだ耳横のツインテールを揺らしながら、ピカピカとエメラルドを輝かせていた。
カニオンを倒しに行った時とは違い、シンプルなワンピースに身を包んでいる。
肩からはポシェットがぶら下がり、布で隠したメイスを背中に背負っていた。
コンラッドは変わらず黒髪をぼさぼさと跳ねさせ、鋭い金の瞳で俺を射抜いている。怖い。
服装はフル装備から一枚上着を脱いだだけで、エレンと違って太腿の短剣も短弓も剥き出しのまま身に着けていた。
腰にはいつものウエストポーチが引っ付いている。
「おかえり!」
「……ただいま」
挨拶に挨拶を返すと朗らかに笑ったエレンは、俺の肩越しにダイニングを覗いてはたと動きを止めた。
俺もその視線を追いかけるように振り向く。
そこではいつの間にか俺の手から抜け出していた麗音が「腹減っタ!」と空中で駄々をこねていて。
呆れてもう一度捕まえるとエレンが困ったように笑った。
「ごめん、遅くなっちゃったね、今ご飯作るから」
「いや、全然遅くないよ。あの棚に並んだジャムを見てから麗音が『早く食いたい』ってうるさくて」
「やらん」
すぐに動き出そうとするエレンに苦笑して言葉を続けると、唐突に低音の半ば唸っているような声が被さる。
一瞬何が起こったのか分からなくて静止した後、恐る恐る視線をスライドさせると憮然としたコンラッドが俺を睨んでいた。
唖然とする俺の正面でエレンが溜息をつく。
「…………コンラッドさん?」
「渡さない」
「もー、ラドってば!」
「嫌だ」
ツン、とそっぽを向くコンラッドにエレンが「ごめんね~」と両手を合わせる。
何が何やらな俺は慌ててエレンが謝るのを止めることしかできない。
麗音がそんなのどうでもいいとばかりに暴れるので、もうちょっと我慢してろと鷲掴んだ。
「ラド、ジャムが大好きなの。作ってた時から独り占めする~とか言ってて」
「へぇぇえ、ジャムかぁ……。実は甘党だったりするの?」
「んー、多分ジャムだけなんじゃないかなあ」
ね、とエレンが目配せするとコンラッドがこくりと頷く。
……ジャム……ジャムか。
何だかイメージに合わない好物に軽く首を傾げれば、エレンはからからと笑った。
「もしかしたら『村の味』が恋しいだけかもしれないけどねー」
「村の味?」
「そ、あたしの作るジャムは、何て言うのかな、村を代表する? 先祖代々村に伝わる? みたいな感じのやつで。……習ったときは小さかったから、そこらへんはよく覚えてないんだけど」
伝統工芸品……いや、郷土料理ってことだろうか。
ふむ、と訳知り顔で頷くと、俺の手の中から頭を出した麗音が心底不思議そうに口を開いた。
「オマエらの村を開拓したのはフーゴダロ。先祖代々ナンてアルのカ?」
「フーゴ?」
「えっと、俺のじいちゃん」
「ああ、先代ね。……先代マレビトがあたしたちの村を開拓した後、そこの近隣の村が魔物に襲われたの」
「えっ」
「立話はなんだから、座ろっか」
にこ、と笑ったエレンに後押しされて全員でダイニングに入る。
「ついでだから紅茶淹れてくるね」と椅子に座らず踵を返したエレンに、ポットの中にまだ湯が残っている旨を伝えて、すっかり忘れて冷めきっていたコーヒーを顔を顰めて飲み下した。
麗音はそっとまだ中身が残っているカップを俺の方に押し寄せる。
気付かないとでも思ったかこのやろう。仕方ないので飲み干してやる。
暫くしてエレンが帰ってきて全員に紅茶の入ったカップが行き渡ると、どこまで話したっけ、とエレンは首を傾げた。
その隣でコンラッドは素知らぬ顔で紅茶を啜っている。
……あれ、コンラッドも同じ村出身だったはずじゃ。
じとりと俺がコンラッドを見やっているうちに、「そうそう」とエレンがぱちんと手のひらを合わせた。
「村が襲われたって話だったよね。
……いくつもの村が襲われて、どうしようもなくて、近くに来ていたっていう先代マレビトに助けを求めようにも、彼は既に旅立ってしまった後だったの。
あ、その頃は魔物はマレビトにしか倒せないと思われていたのね。都会はどうだったか知らないけど、とりあえずその辺の小さな村ではそう伝わってた」
「……でも違った」
「うん。森の中の村だから、狩りで生計を立てている家が多かったの。で、殺されるくらいならって死に物狂いで矢を放ったら倒せちゃった。そこからはあっという間に形勢逆転して、魔物は綺麗に退治された」
「それがどうして……」
「住む場所が無くなっちゃったのね。魔物は倒せても村の損壊が酷くて、とても住めたものじゃなかった。新しく建てるにもその間に寝泊まりできるところが必要でしょ?
だから、一か八かで最近開拓されたという村に向かうことにした」
「新しくできたからまだ住人もそんなにいなかったのか」
「そういうこと。その中にそのジャムの作り方が伝わってる村があったってわけ」
「なるほどなあ……。じゃあエレンとコンラッドの村は狩りとジャムの村なんだ」
「ま、そんなとこかな」
へにゃりと眉を下げて笑ったエレンに首を捻る。
……故郷の話をしていたんだよな?
何だか複雑そうな表情をしているエレンをまじまじと見つめれば、彼女はガタンと音を立てて立ち上がった。
「そうだ、ご飯作らないとだったね!」
「え……ああ、うん」
「ヤットカ! 待ちくたびれたゾ!」
「手伝う」
「あ、俺も」
小走りでキッチンに向かうエレンの後ろにコンラッドがぴったりとくっ付いて行く。
それを見て、慌てて俺も立ち上がった。
『……あの二人は、なんというか二人の世界があるみたいで。それは幼馴染だから仕方ないのかもしれないけど、俺にはそれが危うく感じてて……ちょっとだけ心配、みたいな』
ふいに、じいちゃんに自分で言った言葉が頭の中でぐるぐると反響する。
危うく……か。
エレンの困り顔と、さっきダイニングを出て行くときにちらと見たコンラッドの険しい顔を思い出す。
六年も一緒に旅をしているって言ってたっけ。
あの時はすごいなあとしか思わなかったけど、よくよく考えたら十歳くらい|(推定)で旅に出るって相当じゃないか?
立ち上がったまま動きを止めていた俺に、麗音の檄が飛んでくる。
「フースケ何やってンダ! 手伝って来イ!」
「偉そうに命令するな! 今行くの!」
ギッとずらした椅子を元に戻してダイニングを出る。
まあ、あの二人に関しては焦らなくてもいいか。時間はまだたっぷりあるんだ。
ゆっくりじっくり知っていければ、それで十分だろう。
早くもいい匂いがし始めているキッチンのドアの前に立って一つ深呼吸。
ふ、と肩の力を抜いていつも通りにドアを押し開けた。




