37話 「森閑たるジャム」
「えーっと、教科書と資料集、ノートは持っただろ……ああそうだ、筆記用具も忘れちゃいけない」
がさごそとリュックサックを覗き込んでブツブツ独り言を言っている俺。傍らから見ればさぞかし怪しく見えるのだろう。
実際は自分の部屋で麗音相手に喋っているので人目は気にしなくていいのだが。
……いや、それでも風鈴相手に喋ってるのは怪しさ満点か。
もそもそとくだらないことを考えつつ紺色の筆箱をリュックに押し込めていると、頭上――正確に言えば机の上――から麗音の喚き声が降ってくる。
≪ オイ、ベンキョウしに行くんじゃナイんだゾ! ≫
「分かってるよ、俺だってできればやりたくない。……ええと、あとは着替えだろ、タオルに石鹸――――」
着替えはジャージ生地のTシャツを何枚かとジャージのズボン、パーカー。そして今俺が着ているのは運動用のジャージだ。
上下セットでダサいことこの上ないが、あくまで運動用。デザイン性は諦めるしかない。
タオルは首に掛けられる大きさのものを数枚。
向こうにもあったが、微妙にほつれていたのと、圧倒的に枚数が少なかった。
汚れが分かりやすいようになるべく無地を選んでおく。
≪ マダカ? ≫
「もうちょい」
石鹸は洗濯用と風呂用、ついでに洗面用。
洗濯用はじいちゃん曰く『血を落とすのが楽』なものを譲ってもらった。
信憑性は低いけど、石鹸は少なかったしありがたく使わせてもらうことにする。
……この石鹸を貰うときにこの平和な日本国で、真っ昼間から「これ、血を落とす時に便利だからな」「ありがとう、助かる」などという会話を繰り広げる羽目になったのは、ちょっと後ろめたいことをしているような気がしてとても居心地が悪かった。
風呂用と洗面用は今までは手製の石鹸だったのだけれど、もう尽きかけていたから。
次のを作るにしろ買うにしろ繋ぎの代物は必要だろう。
母さんから同じく貰ったポーチにぽいぽいと石鹸を放り込んで、リュックサックのジッパーを閉じた。
≪ マーダーカー? ≫
麗音の焦れた声に机を仰げば、麗音はぶらぶらと身体を揺すっていた。
待たせっぱなしで悪かったかな、と苦笑いを浮かべる。
まあ、いつもは俺が散々待たされているので、ちょっとぐらい見逃してほしい。
「オッケー。待たせたな、もういつでも行け、」
≪ 遅イ!! ≫
「うわ、バカ、ちょっ」
声をかけ、リュックを背負って立ち上がろうとしたところで、とうとう麗音がしびれを切らして吠えた。
ぶわりと白く光る発光体と目が合った――と俺は感じた――途端、耳奥でちりんと風鈴の音が聞こえる。
ちょっと、ちょっと待てって。
今俺は立とうとしていたわけだから、右足に全体重がかかっているわけで。
そんな体勢で目も開けていられないほどのフラッシュを浴びせられたら、そりゃあバランスを崩してしまうわけで。
ガン、と左の膝を床に強く打ちつけたところで、俺の意識は真白に飲み込まれた。
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「うわっ、とと」
がす、と左の膝を強打してグラついた身体を、反射的に左手で支えた。
ざりりと手のひらに感じる土の感触に、閉じていた目を開く。
……何で俺二回も膝ぶつけたの?
「着いた、のか」
立ち上がって手のひらと膝に付いた砂を払う。
目前に見える森はとても見慣れたもので。
ぐるりとその場でゆっくり半回転すれば、これまた見慣れたお屋敷がドンと鎮座している。
やっぱり何度見てもでっかい。
はあ、と無意識に溜息をつけば、ふにふにと何かが頬に触れた。
振り向くと異世界バージョンになった麗音が、ふよふよと宙に浮いているのが目に入る。
やっぱりこっちの方が麗音らしいな、とひっそり思う。
あの風鈴と目の前の生物、どちらが「真の姿」ってやつなんだろうか。
眉を顰めた俺に麗音は勘違いしたのか、たしたしと肩をしっぽで軽く叩いてくる。
「ナンでそんな不安げなんダ。転移の術くらい成功スルに決まってるダロ」
「おー、そうか。失敗しなくてよかった」
「馬鹿! 今マデに何回コノ術を使ったと思ってルんダ! 転移の術なんて屁でもナイゾ!」
「…………前回は転移場所間違えたり、へばってたりしてたような気がするんだけどなあ……?」
小声で反抗した俺の呟きはバッチリ拾われていたようで。
バシンと後頭部に尻尾ビンタを喰らう。
痛いはずなのに何だか久しぶりに感じて懐かしかった。
現世ではただの風鈴だったから、もちろんペラペラの和紙でビンタなんかできるわけないし、それどころか身体の自由もそんなに利かなかった様子だったし。
向こうで麗音ができたことといえば、視界の端で吊り下げられたまま鬱陶しくグルグル何度も回り続けるとか、何かしら書いているときに腕を短冊でぺしっと叩いてくるとかだったもんな。
地味にうざかったけど特に迷惑は……俺の睡眠時間以外には……かかっていないからいいんじゃないかと思う。
俺以外の人間に麗音が見えるのか、というところは一旦置いといて。
「…………さて」
ここらで麗音を使った現実逃避は終わり。
まだキャンキャン騒いでいる麗音から視線を逸らし、屋敷を見上げる。
流石に一週間近く開くと会うの緊張するなー……。
一度大きく深呼吸をすると、尻ポケットからキーケースを取り出した。
その中から一等輝く銀色の鍵を掴み、震える鍵先を鍵穴に差し込んだ。
そのまま手首を捻る。
ガチャン、と硬質な音が辺りに響いて両手開きの扉が開いたのを確認した。
「ナンダ、フースケビビってんのカ?」
「びびってない! 緊張してるの!」
「ドッチでも同じダロ」
「全然違うだろ!」
麗音と言い争う勢いのまま、えいやと扉を引き開けた。
引き寄せられた扉の片側はギィ、と軋みつつもゆっくりと屋敷の内装を覗かせる。
静まり返った邸内に、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
……やばい、何で俺こんな緊張してるんだろう。
「だ、誰もいない……?」
「……フム、甘いニオイがするナ」
「あ、こら、麗音!」
ぎゅん、と擬音が付きそうな速さで突撃した麗音を追いかけて、俺もキッチンに入る。
確かに、仄かにだが甘い匂いがする。
同じ甘い匂いでも、これは花の香りではない。
きょろりとキッチンを見渡してみれば、棚の上に瓶がずらりと並んでいるのが目に留まった。
無色透明の容れ物に薄黄、赤紫、薄桃、といったカラフルな中身が詰まっている。
一つ、黄金色の瓶を手に取ってみた。
「ああ、ジャムか」
蓋に張り付けたテープに例の飾りカタカナで『スモモ』と書かれている。
瓶の半分ほどまで減っているジャムを日の光に透かすと、つやつやときらめいた。
そうだよ、本来光ってこういうものなんだよ。
あの暴力的な真白の光を思い出して顔を顰める。もっと神秘的に転移はできないものなのか。
じとりと横目で麗音を窺うと、まっすぐに瓶の列を見つめていた麗音がぴくりとも動かぬままその猫口を開いた。
「オイ、フースケ。コレ食いたいゾ」
「……んー、ちょっと待って、二人を見つけてからにしよう」
「エェー!」
「もう少し我慢して」
不満げな麗音を鷲掴んで肩に乗せつつ玄関に戻る。
俺が入ってきた、そのままになっている玄関をぐるりと一瞥し、念のため棚まで見てみたが外靴は無い。
ふむ、やっぱり二人は外に出ているらしい。
「どうしようか。入れ違いになったら嫌だよな」
「じゃむ食って待ってヨウ」
「それはダメだ」
浮かぼうとする麗音を捕まえてUターン。
リュックを背負ったままだったので、玄関を出たその足で自分の部屋へと向かう。
出てくるときにそこまできっちり掃除して来なかったなー、と恐る恐る開いた自室は埃一つ無く綺麗に整っていた。
「ん? あれ、掃除しててくれたんだ」
「フースケの部屋だとは思えナイほどキレイだナ!」
「麗音うるさい」
机の上に大きく見やすい丁寧な字で『勝手に入ってごめんね、掃除しておきました』と書置きがある。
相変わらずこっちの字はカタカナで見辛いけどその心遣いが身に沁みます。ありがたい。
まだ見ぬエレンを拝みつつリュックを床に下ろした。
そこからとりあえず着替えを取り出してベッドの端に積んでおく。
そして、タオルと石鹸は二人が帰って来る前に仕舞ってしまおう。
「俺ちょっとこれ置いてくるけど、麗音はどうする?」
「モウスグでじゃむが食えルんダロ。起きてル」
「もうすぐ……かどうかは分からないけど、そろそろお昼時だし戻って来るんじゃないかなあ」
「帰って来なけレバ勝手に食うマデのコト」
「ダメだっつーの」
起きてるならほら行くぞ、とタオルと石鹸を小脇に抱えたのと反対の手で麗音を掴み、俺は部屋を後にした。
……ちなみに洗面所に着くまでに尻尾ビンタを三発喰らった。
微妙に文体を変えてみた、ような。あんまり変わっていないような。しっくりこない。
まだまだ模索中……。




