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36話 『エレン』

今回はエレン視点です。

――――その人を初めて見たとき、魔法使いは本当にいたのだと思った。



幾分か街に近い森の中。

草木を太陽が照らし、艶々とした輝きを放っている。

それを足で踏み荒らしながら、はっはっと自分の荒い息を聞いていた。

辺りは明るい緑をところどころ対照的などす黒い赤が覆い、ツンとした鉄の匂いが漂っている。


あたしはカニオンから目を逸らさずにそっと右手の汗を服で拭った。

じんわりと続く膠着状態。

後ろからは引っ切り無しに魔物の喚声が聞こえているのに、まんじりとも動かないこの状況が歯痒かった。


そんなあたしの内心の声に応えるように、背後から矢がビュウッと空を切って飛んで来て、対峙していたカニオンの右肩に深々と突き刺さる。

ギャオン、と悲痛な鳴き声を上げて前足で宙を掻いた。


後ろにのけ反った隙を逃さず、露わになった胸にメイスを叩き込む。

そのまま仰向けに倒れたカニオンの腹へと追撃。


がぼ、と嫌な音を聞いた時にはもう遅く、あたしはカニオンが吐き出した血を頭から引っ被ってしまった。


「ぶっ」


「おい、ネル!」


「んっ、んんっ、だいじょーぶ、内臓傷つけちゃったみたい。失敗失敗」


ちょっと血の味がするけど、カニオンの血に毒性は無かったはずだし。

顔を顰めてもぐもぐと口を動かすあたしに小さく安堵の息を吐いて、ラドは自身に向かって来たカニオンの眉間に矢を放つ。

見なくても分かる、ど真ん中にドンピシャ。

ギュェエ、と一つ鳴いてカニオンが倒れたのが分かった。



放物線上に倒れている三体のカニオンを見渡してラドが「終わりか」と呟く。

そうして最後に倒したカニオンの傍らに跪くと、太腿に括り付けた鞘から短剣を引き抜いた。

それが骸の首に当てられるのから目を逸らし周囲を流し見れば、丁度あたしの正面、ラドの後ろの茂みが僅かに揺れたのが偶然目に入る。


残党?

ちらりとラドに視線を移す。

カニオンの首の骨を、音を立てて切断している。

……ラドは気付いてない?

それとも取るに足らない小動物なのだろうか。


一応、もう少し慎重に耳をそばだててみる。

じゃり、と茂みから小さな音。

近づいてきてる?

唾を飲み込んでメイスを握り直した。


じりじりと相手の出方を窺っていたが、とうとうこちらを探っている気配がして、パッと考えるよりも早く駆けだした。

顔を上げたラドが視界の端に通り過ぎていく。

地を蹴り、跳躍。

標的と、目が合って、世界が回った。



地面に転がされたあたしはやけに冷静だった。

後ろの『標的』がさっきまでの静けさはどこへやら、わたわたと慌てているのが伝わってくる。

ざりざりとメイスの柄が地面に擦れた音で相手に奪われていることを知った。


相手が狼狽えているのをいいことに、起き上がらないまま怪我の有無を確認する。

地面を転がったときにできたほんの少しの擦り傷だけで、どこにも大きな怪我は見当たらない。


「すみませんでした! ああああの、大丈夫、ですか……?」


「…………うん、平気みたい」


心から心配しています、というような声音に素で返事をしてしまった。

男の人の声。いや、男の子、かな。あたしくらいの。


身を起こしてようやく振り返ってみれば、背丈のそう変わらない一人の男の子があわあわと視線を彷徨わせているのが見えて、思わず笑みがこぼれる。

まるで魔法使いみたい、なんて思ったあたしが笑えちゃうくらい、本当に彼はただの男の子だった。


「こっちこそごめんね。……でもビックリした。あっという間にメイスを奪われて転がされるなんて、魔法かと思っちゃったよ! おまけにあたしもあなたも怪我一つしてないし」


じっと目を覗き込んで素直にそう言えば、相手の目に安堵の色が閃く。と、同時にバツが悪そうに口元をへの字に結んだ。


全く、さっき転がされた相手だとは思えない。

不思議な子だなあ、なんて思いつつ。

少し崩れたツインテールを直しながら、目の前の男の子にざっと目を通す。


動くたび揺れる寝癖が後ろ頭に付いたままの焦げ茶に近い黒髪。

前髪は額が出るように真ん中からぱっくりと別れて流されている。

髪の毛と同じ色の瞳は、くるくると色を変えながらもどこか落ち着きが感じられた。

微妙にかさついた肌はバターを溶かしたような色で、一見弱っちそうだがよくよく見てみればしなやかな筋肉が身体を覆い馴染んでいる。

……見たこともないような外見をしている人だ。


普通の人間は大体が髪か目のどちらかに鮮やかな色を宿し、肌はミルク色で、筋肉も、こう、ゴリッと付く人が多い。

ラドは違うけど。

……違う、と思いたいけど。


思わず落とした目線の先、相手の足元には鉄製だろうか、金属の筒が落ちている。

あれは何だろう。

まじまじとそれを見つめるよりも、男の子の視線があたしにへばりついているのが気になって、顔を上げた。

視線を辿れば赤く染まった自身の服。

「ああ、」と声を漏らせば、今度は男の子が弾かれたように顔を上げた。


「あたしたちはさっきまで依頼クエストをこなしてて」


「クエスト?」


「うん。それがね――――、」


茂みを挟んだすぐ隣には三体の首無しカニオンと生首カニオンが転がっている。

はてさて、どう説明したものだろうか。

あたしが考え込む前に、唐突に隣の茂みが音を立てた。

男の子が肩を跳ねさせて半歩後ろに下がる。


飛び出してくる人影に、反射的に目を瞑れば、男の子が息を飲み込む音が聞こえた。

そうっと恐る恐る視界を開けば、見慣れた背の高いしゃんとした後ろ姿が――――――。



******



「ネル」


「えっ、あっ、はいっ!」


「……どうした」


珍しく困惑したラドの声に、はたと視線を巡らせれば、この何日かですっかり馴染んだ拠点のリビングが目に映る。


遠慮がちにあたしの前に回り込んだラドからおずおずと紅茶を受け取って喉を潤した。

あたしが口を開くのを待って、横に立ったままのラドも紅茶を胃に流し込むように収める。


「白昼夢、ってやつかも」


「はくちゅうむ」


「うん、ぼんやりしすぎてたみたい」


「そうか。それならいい」


一つ頷いて、ラドがテーブルにカップを置いてリビングを出て行く。

その肩にはタオルが掛かっていて髪から垂れる雫を受け止めていた。

そういえばさっき外に出てくるって言ってたっけ。

……髪乾かさないと風邪引くっていつも言ってるのになあ。


むすりと唇を尖らせて紅茶をもう一口啜る。

間もなくリビングに戻って来たラドは、大量の果物が入った籠を抱えていた。


「どうしたのそれ!?」


「落とした」


「え」


ずいと差し出された籠を受け取って覗き込む。

果物はみずみずしく艶を出しており穴などは一つも開いていない。

ってことは。


「……木から?」


「枝を狙った」


ピンポイントで枝だけを射って落としたんだ。

今までの生活で主に仕留めていたのは動物の類で、果物は木に登ってもぐのが常だったからすぐに結びつかなかった。


もう一度ラドから籠へ視線を移す。

ラドならできるだろうと思えるくらいには、ラドは弓の扱いが上手なのだ。

小さい頃から村で「神業」だの何だのと持て囃されていただけはある。

そしてそれは年々衰えるどころかめきめきと上達しているのだ。

単純に、少年から青年へ成長したってのもあるんだろうけど。


矢を射るラドを脳裏に思い浮べて、小さく溜息をついた。

出会ってから今まで、幾度も幾度も近くで見てきた姿。

ピンと背筋を真っ直ぐに伸ばし弦を引く、その背中に憧れていた。

その強い眼差しが的以外にも向けばいいと思った。


…………天才、か。

人生ままならないものだなあ、とまるで老成した賢人のようなことを漠然と思う。

あたしは何がしたかったんだろう、とか。


――――いやいやいやいや、暇があるとつい余計なことを考えちゃうからダメだ。

しっかりしなくちゃ。


「ネル」


「んん、何でもないよ。……そうだ! この果物はジャムにしよっか」


「これも」


気遣わしげな声に笑って首を振った。

苦し紛れに放ったジャムという単語に反応して一瞬目を光らせたラドは、いそいそと腰のポーチに括りつけていた大きな巾着を広げる。

口を広げて渡されたそれの中身は大量のスモモだった。


「わっスモモだ! スモモのジャム、ラド好きだったもんね」


「早く生っているのを見つけた」


「いいよ、作ろう!」


ぐいと冷めかけた紅茶を飲み干して立ち上がる。

後ろから付いて来るラドにエプロンを渡して、意気揚々とキッチンに足を踏み入れた。

自身のエプロンの紐を背中で蝶結びにしてから、いそいそと手を洗う。


「今度帰って来たフースケ達にも食べてもらおうね」


「嫌だ」


何気なく発したあたしの言葉に食い気味に否定をかぶせて、ラドは顔を顰める。

何かとフースケを目の敵にするラドに普段は見えない幼さが顔を覗かせていて、意図せずくつりと喉が鳴った。

ラドはもう十を二つ(ハタチ)にもなったのに、案外子供っぽいところがある。


「渡さない」


「ラドだけじゃ食べられないでしょ、あんなに甘いのに」


「いける」


「いけないってば。胸やけ起こしちゃうよ」


「大丈夫だ」


「その根拠のない自信はどこからくるの」


「腹」


久しぶりに二人で交わすくだらない会話にとうとう堪えきれず、それこそお腹から笑い声を溢す。

そんなあたしを見てラドが眉間を緩ませたのが分かり、いくらか目を瞬かせた。


……ああ、あたしは気を遣われてたのか。

何度も経験してきたにも関わらず、じんわりと胸の内に温かさが広がった。

その優しさにいつもあたしは救われてるってのも、ラドにはお見通しなのかな。


でもそれを、その感謝感激を表に出すのは野暮ってものなので。

ラドの優しさに甘えて、ボウルにスモモを移していく。


それから二人でスモモを押し潰しつつ、ふとフースケとレーネが早く帰ってくればいいな、なんてぼんやりと考えた。

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