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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
1.一樹之陰
32/76

32話 「さよなら三角 また来て四角」

身に着けていた藍色のベストとシャツ、胡桃色のズボンを椅子の背に掛けて、Tシャツと青パーカーとジーンズに着替える。

パーカーとTシャツはこちらでも割と着ていたのだが、ジーンズは約一週間ぶりだ。

太腿周りが少し窮屈に感じるのは緩いズボンばかり履いていたからだろうか。

身体はちゃんと動かしているから太ったわけではない。と思う。


とりあえず畳んだ服をクローゼットに仕舞おうとして、こびりついた木と土の匂いにふと手を止めた。

……これ、ちゃんと洗って行かないとまた来たとき絶対臭くなってるな。

手洗い苦手なんだけどなあと口をへの字に曲げるが、そうしていれば洗濯機がどこからともなく現れるわけでもない。

厭々ついでに一つ息を吐くと、脱いだ衣服を手に持ってのろのろと部屋を後にした。



******



…………つっっっかれた。

水を絞ったシャツを広げながら、俺は大きく溜息をついた。

でもクローゼットの中で臭くなるのも嫌だったし。

戻ってきて初めてすることが洗濯とかもっと嫌だったし。


濡れた手を雑に拭き曲げていた腰を叩いて伸びをする。

切実に洗濯機が欲しい。

家の洗濯機持って来るわけにもいかないし、自腹で洗濯機購入しなければいけないことを考えると無理だけどさあ。

あと組み立てとか接続とかも難しそうだ。


そんなくだらないことをもだもだ考えつつ、手早くハンガーに洗ったばかりの服をかけ、また自分の部屋に戻ってそれを窓枠にかける。

もう荷物整理はこれで終わりにしよう。

何か忘れててもまたすぐ来るし、何とかなるだろ。

もう一度ぐぐぐと伸びをして、俺は再び自分の部屋を出て行った。



ダイニングに戻ると、麗音とエレンが仲良く紅茶を啜っていた。

俺はついぱちくりと目を瞬かせる。

そういえば、さっきエレンが紅茶淹れるって言ってたっけ。

俺がドア付近で立ち止まっていると、ややあってエレンがカップをソーサーに置いた。


「フースケ、服洗ってきたの?」


「よく分か……あぁ、水の音聞こえたのか」


「うん。紅茶ちょっと冷めちゃったよ。淹れ直そうか?」


「いや、いいよ。ありがと」


腰を浮かしかけたエレンを制して俺も席に着いた。

テーブルに置かれていた俺の分のカップとソーサーを引き寄せ、ポットを傾けると少し色の濃い紅茶がカップに注がれる。

中央にポットを戻して一口含むと、独特の渋みが加わっているものの爽やかですっきりとした紅茶が喉を潤した。

思わず一気に飲み干してしまって、自分が喉が渇いていたことに気が付く。


「これ、コンラッドの分も入ってる? 全部飲んじゃっていい?」


「ラドのは別に作ってあるから大丈夫」


じゃあ遠慮なく。

ポットの紅茶を全てカップに流し込む。

さっき注いだのよりもまだ濃くなっていたが、気にせずミルクを入れてくるくるスプーンで混ぜた。

うーむ、淹れたてじゃないから砂糖は溶けないかな。



エレンと麗音とぽつりぽつり話しつつもう一杯腹に収めてしまうと、今までカップにからだを押し込めるようにしてゲロ甘い紅茶を啜っていた麗音がぴくりと顔を上げた。

そのまま玄関を見つめる麗音に俺も扉を振り返れば、玄関でガチャンと鍵の開く音。

……ああ、コンラッドが帰って来たのか。

エレンがぱたぱたと駆けていくのを見て俺も腰を上げる。


「おかえり」


廊下に頭だけを出してコンラッドに声を掛ければ、相変わらずの顰め面が返ってきた。

今更なので特に何も思わない。慣れって怖い。

そしてどうやらエレンはキッチンに行ったらしい。

疲れたように首を振り俺の横をすり抜けてダイニングに入って来るコンラッドに道を譲れば、彼がついと足を止めた。

そして拳を上げるのを見て俺は反射的に頭に手を翳す。


「手」


「……て?」


「出せ」


目と言葉で手を差し出すのを促すのに従って大人しく手のひらを差し出せば、その上に鍵が一つ乗せられる。

この見覚えのある形は……屋敷の鍵だ。


「? さっき鍵は貰ったけど」


「複製カ」


「ふく……?」


「要するに合鍵ダ馬鹿」


「合鍵」


麗音の声にもう一度銀色の鍵に視線を落とすと、なるほど確かにこの鍵は作られたばかりのようだ。

あれ、でも俺がさっき受け取った鍵は……そうだ、開けてもらったから今はエレンが持ってるんだった。

感心する俺にコンラッドの静かな声が降ってくる――茶化す場面ではないと分かってはいるが、身長差のせいで『降ってくる』のが些か悔しい――。


「あの鍵は貰うと言った」


「そんなわざわざ……どこで作ってもらったの?」


「鍛冶屋」


マーカスさんとこか。

マーカスさんには本当に何から何まで……。

心の中で拝み、今度菓子折り持っていこうと胸に誓った。

コンラッドはそんな俺が鍵を尻ポケットに突っ込むのを一瞥すると、何事も無かったかのように椅子に座る。


それと同時くらいにキッチンからの扉が開き、エレンがコップとコースターを持って現れた。

涼しげなコップの中身はアイスティーのようだ。ふむ、美味しそう。

エレンが差し出すアイスティーとコースターを頷いて受け取ったコンラッドが、それと交換にエレンに紙きれを渡す。


「あ、受領書だね。後で手帳に綴じとくよ!」


「あぁ」


受領書?

無意識に首を傾げていた俺に、エレンも「どうやって説明すればいいかな」と首を僅かに傾けた。


「えーっと、ハンターは冒険者が圧倒的に多いから、荷物の邪魔にならないように賃金は基本銀行に振り込まれるんだけど」


「銀行」


「そう。お金を引き出す時に嘘がつけないように印が入った受領書が――この場合はハンターギルドの印ね――必要なの。

そしてお金を無事に引き出した後も、銀行の印が入った残高書っていうのをちゃんと取っておかなきゃ次のときに引き出すことができないってわけ。ここらへんはちょっとややこしいかも」


「……それって、例えば印を偽造する人とかが出て来るんじゃないの?」


「んー、嘘ついたら分かるようになってるし、用紙なくしたら引き出せないし……そういえば印を偽造したのって聞いたことない気がする」


ふーむ、それほど凝った印には見えないけど。

ちらりと受領書の印を盗み見て内心もう一ぺん小首を傾げる。

もしかしたら何かの術が使われているのかもしれない。


……と仮定すると一体誰が術をかけたんだろう。

歴代のマレビト? いやでも短縮陣を開発したじいちゃんが天才って言われるレベルだぞ。多分無い。

――――まさか、麗音?

クッションの上で思いっきり欠伸をしている麗音を見ると、ふと目が合った。


「ナンダ、腹減ったのカ?」


…………いや、無いな。無い無い。

できるのかもしれないけど、頼まれたって動く気がしないし。

とすると、他の国の「使者」かそれとも他に術を使える人がいるのか。

……残念ながらさっぱりわからん。


やっぱり馬鹿が何か考えようとしてもダメだな。そもそもの仮定が合っているのかすら分からないわけだし。その前にここ異世界だしぐだぐだ考えるのも時間の無駄かもな。無駄なとこシビアだけど。洗濯機とか洗濯機とか洗濯機とか。



久しぶりにまともに使って疲れた頭を、ゆっくり息を吐き出して何とか回す。

こんなところで一人でへばってる場合じゃない。そろそろ戻らないと。

俺の機微を感じ取ったのか、麗音がクッションから浮かび上がって肩に乗った。

エレンがハッと顔を上げる。


「……もう?」


「うん、帰るよ。麗音、」


「外に出るゾ」


ふよふよと先行する麗音に続いて、俺達三人はぞろぞろと屋敷の外へと繰り出した。

さっきよりまた少し傾いた太陽は、まだチリチリと軽やかに空気を焦がしている。

一足先に出ていた麗音がぐるりと周囲を見渡すと、屋敷から幾分か距離を取った。


「ヨシ、コノ辺りダナ。オマエら離れロ」


コンラッドとエレンを玄関近くで待機させ、麗音が俺の腕を取ってもう一歩、二歩屋敷から離れる。

屋内だと転移の術は使えないのかな。

つっかえながら俺も何とか後ろに下がると、掴まれていた腕があっさりと解放された。


「行くゾ」


「えっ早くない!? 待って待って」


「転移の術如きでチンタラしてられルカ!」


ぶんぶんと尻尾を揺らす麗音を何とか手に収めて、俺は勢いよく二人を振り返った。

エレンは苦笑を零し肩を竦め、コンラッドはしらっとした無表情。

いつも通りの二人に俺は何だか照れくさくなる。


「……ええっと、」


「次はフースケ(マレビト)の仲間として、待ってるね!」


「!」


「行ってらっしゃい、フースケ!」


くしゃりと笑うエレンに俺は目を見開いた。

思わずコンラッドに視線を移すとそっぽを向いている。


初めはシュークリームに釣られた麗音に殆ど説明も無しで無理矢理連れて来られて、大雑把なじいちゃんの説明だけじゃ分からないことがたくさんあって、初めての一人行動で初めて魔物の鳴き声を聞いて、駆けつけた先でエレンとコンラッドに出会って、ちょっとずつ色々なことを教えてもらって、二人と協力して初めて魔物を倒して……。

僅か一週間でいつの間にかここも俺の居場所になっていた。


まんじりとも動かない俺に、麗音がするりと手の中から抜け出してくるなり尻尾ビンタを喰らわせる。

痛い……けど、何だかこれも久しぶりのような気がするな。

ふんすと鼻息荒く「イイ加減行くゾ!」と騒ぐ麗音に頷いて、ひらりと二人に手を振った。

麗音の瞳がゆっくりと開かれ、暴力的なまでの白い光が辺りにじわりと漏れる。



「それじゃ、行ってきます!」

やっと一章と言う名の序章が終わりました!

長い間お付き合い下さりありがとうございます。風介達の冒険はまだまだこれからだ!

ここから少し幕間を挟んで二章へと続きます。

どうぞこれからも当作品をよろしくお願い致します。

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