03話 「白に飲まれる」
誕生日おめでとう俺。
これから過酷で奇妙奇天烈な日々を送ることになるけど頑張ろうな俺。
まさか誕生日前日に頭痛薬にお世話になるとは夢にも思わなかった。
あれはもはやプレゼントではなくて置き土産の類じゃなかろうか。
とりあえず誕生日を迎えてから初めての頭痛の種は、その「置き土産」が高飛車すぎることである。
……あの、誕生日プレゼントとかいらないんで、めでたく十八歳を迎えた俺にどうかこの風鈴を黙らせる術を授けてください。
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≪ オマエに見下されるのめっちゃムカつくカラ、とりあえずどっか高い所に置けヨ。そして存分に崇め奉るといいゾ ≫
確かに昨日、驚きついでに風鈴を放り投げたのは悪かったと思う。
どうやら、割れるか割れないかはこの風鈴が決められるらしいが、(痛覚があるのかわからないけど)乱暴に扱われるのは誰だって嫌だろうし。
それに物は大切にしなくちゃな。うん。
――――なんて罪悪感から、ちょっと風鈴の怨言を聞いていたら上記のセリフだ。
『見下される』って風鈴はちっちゃいんだから仕方ないだろ、なんて思うがここで聞き流したらもっと煩くなるに違いない。
ぐぐぐっと堪えて俺はカーテンランナー(あのシャーってやつ)に風鈴を吊るしてやった。
ぶらぶらと上機嫌に揺れる風鈴に、カーテンランナーがからりからりと音を立てて右へ左へ滑る。
≪ そういやオマエの名前マダ聞いてないゾ ≫
「……あんまり揺れすぎると落ちるぞ」
≪ そんなアホなマネするわけないダロ。いいカラさっさと名乗れヨ! ≫
あああ、言ってるそばからガックンガックンしてるし!
もう見ていられない! とベッドから枕を引き寄せて風鈴の下に設置した。
それだけじゃ心配だったので枕の周りに掛け布団も敷いておく。
その間も風鈴は揺れながらぎゃんぎゃんと名前を催促してきた。
この風鈴、さっきまで眠いだのなんだの言ってたくせにやけに元気だな。このやろう。
「……俺は風介。東邸堂風介だよ」
≪ オウ、フースケな。覚えたゾ ≫
「おまえの名前は?」
≪ ン? ≫
「さすがに風鈴って呼ぶのはアレだし。お前にも名前あるんだろ?」
ぴたりと揺れていた風鈴が止まった。
あまりにも不自然なその動きに、本当に意思があるんだなあ、なんて悠長なことを考える。
だって向こうからは俺がどう見えてるのか知らないが、こっちからは普通の風鈴にしか見えないのだ。
漫画のキャラみたいにデフォルメされたわけでもない、ましてや目も鼻も口もないただの風鈴である。
ああ、これから俺はこの風鈴に認められて異世界に渡らないといけないのだ。
表情も仕草も分からない相手と理解を深め合うとか、それなんて無理ゲー。
俺がぐだぐだと思考を巡らせている間に、風鈴に少しずつ揺れが戻ってくる。
どうやら上機嫌であることが、何となくだけど伝わってきた。
だから落ちるってば。
≪ 名前は基本的にマレビトに一任してるんだケド……でも、うん、そうだナ、前はレーネって呼ばれてたゾ。「麗しい」に「音」で、レーネだヨ ≫
「レーネ……麗音ね。それじゃあ、これからよろしく」
≪ ふふん、ヨロシクしてやってもいいゾ ≫
そう言って風鈴、――――麗音は白無地の短冊をぱたぱたと細かく揺り動かした。
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本日の朝食。
綺麗な緋色の焼き鮭、ほかほか白米、大根と人参の味噌汁、出汁が効いてる卵焼き、白菜と胡瓜の浅漬け。
麗音と話し込んでしまったため、誰もいない食卓で一人の朝食である。
いただきます、と手を合わせて早速ご飯に取り掛かった。
まずは味噌汁を啜る。
カラカラに乾いた口内を潤しながら片手で箸入れを漁った。
それからようやく探り当てた自分の箸で丁寧に鮭の身をほぐす。
少し塩辛いそれをひとつまみ口に入れて白米で後追い。
丁度良い塩加減になったそれを咀嚼しつつ、今度は漬物に箸を伸ばした。
――――麗音は大丈夫だろうか。落ちていないといいんだけど。
いや、それよりも「ご飯食べて来る」って言った時の剣幕が凄かったから、戻ったあとの恨み言を心配したほうがいいかな。
ぽかぽかと身体が温まってきたのを感じながらご飯を食べ進める。
淡い黄色の卵焼きに歯を立てると、じゅわりと出汁が溢れ出した。
それに追い立てられてまた白米をかき込む。
美味い。
――――そういや麗音はお腹空かないのかな。
そもそも物を食べる、もしくは食べられるのだろうか。
……まあ後で何か持っていけばいいか。食べなかったら食べなかったで俺が食べればいいし。
ご飯を食べて、麗音のことを考えて、と交互に繰り返していたらいつの間にか朝食はすっかり無くなっていた。ぬるくなった味噌汁を飲み干して箸を置く。
ごちそうさまでした。
軽く手を合わせて、空になった皿を片付けるべく、俺は立ち上がった。
確か冷蔵庫に母さんが買い溜めしているちょっとお高めなシュークリームが沢山あったはずだ。麗音にあげるのはあれにしよう。
一つくらいならきっとばれないと思う。多分。
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「麗音、ただいまー」
≪ 遅イ! ≫
「ごめんごめん」
≪ 謝罪からセイイが感じられナイ!!! ≫
お前ほんと偉そうだな。
そう思っても声には出さない。
ぶんぶん揺れる麗音に「はいはい食べ物持ってきたから許してねー」なんて適当に謝りながら、ぺりぺりと包装を剥がしていく。
んー、母さんが拘ってるだけあって、スーパーやコンビニのシュークリームなんかよりも格段に剥がしにくい。
どうなってんだこれ。
俺がややこしい包装と格闘していると、ギャンギャン喚いていた麗音が急に大人しくなった。
訝しんでビニールを引っ張っていた手を止めて顔を上げる。
「どうしたの?」
≪ ソレ、なんダ? ≫
「ああこれか、シュークリームだよ。じいちゃん辛党だから知らなかったんだな」
じいちゃん新作の激辛スナック菓子とかにはすっごく敏感なのに、甘い物には見向きもしないもんなあ。
全然関係ないけど逆に母さんは甘党だったりする。
それも、若い女子が好むような今風のスイーツに弱い。パンケーキしかり、マカロンしかり。
しかも一つにハマると際限なく買ってくるので困ったものである。
甘い物も辛い物もほどほどに、バランスよく楽しむ俺にはどちらもよく理解できないけれども。
≪ ……しゅう、くりぃむ ≫
「うん、シュークリーム。外側がサクサクしてて、中に甘いトロッとしたクリームがいっぱい詰まってるの」
≪ ウマそうだナ ≫
「美味いよ。特にこれ高いヤツだし」
ほら、と包装を剥がし終えたシュークリームを麗音の鼻先(鼻無いけど多分このへん)に差し出す。
瞬間、強烈な白い光が風鈴から溢れてきた。
「え? ……な、んだこれ、」
じわじわと染み出てきたそれは、部屋をみるみるうちに白に塗り潰していく。
目を開けていられないほどの強烈な白色は、抗って抉じ開けていた視界でさえもその色で埋め尽くす。
俺はただ、右手にあるシュークリームの重みだけを感じていた。
「れ、麗音?」
――――ちりん。
涼やかで、甘やかで、爽やかで、艶やかなその音色が唐突に響く。
それはこの場にそぐわない一方で、実によく似合っていた。
はたしてそれは鼓膜から受け取ったのか、それとも脳の片隅で奏でられたのか。
ちょっと麗音さん、食べ物あげただけなのにこの仕打ちはあんまりなんじゃないですか。
ぱくぱくといくら口を動かしても言葉にならない。
このやろう、後で覚えてろよ。
そんな俺の状態を知ってか知らずか。
その音色を最後に、俺は暴力的なまでの真白に染め上げられた。