28話 「泉」
そよそよと爽やかな風が吹く玄関先。
各々が自分の荷物を確認し、今まさに出発しようとしている頃合い。
俺もゴルフバッグを地面に下ろし、ちゃんと必要なものが入っているか、しっかりと点検をしていた。
隣でウエストポーチをがさごそしていたエレンが「そういえば」と顔を上げずに呟いて、それから何かを取り出す。
「これ、フースケから預かってたナイフ。やっぱりちょっと鈍ってたから研いでおいたよ」
「うわ、ほんとピカピカだ。ありがとな」
「どういたしまして!」
キャラメル色の皮でできた鞘を外して刃を見ると綺麗な銀色に輝いていた。
昨日発掘した時は鈍色だったのにすごいなぁ。
エレンにもう一度礼を言ってゴルフバッグに仕舞おうとして、ふと考えた。
これって肌身離さず持っておいた方がいいのか?
ちらとコンラッドを横目で見ると短剣を括りつけている太腿のベルトを締め直している。……ふむ。
少し迷って、俺は手の中のナイフを藍色のベストの内ポケットに放り込んだ。
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
おー! と右手こぶしを空に突き出したエレンが、森の中を先頭切って歩き出した。
彼女の肘まである黒色の手甲と防具のコルセットが木漏れ日で鈍く光る。
重そうなメイスを背負っているにも関わらず、エレンの足取りは軽やかだ。
俺は早くも肩から外れそうなゴルフバッグの紐をよいせと背負い直す。
ぴこぴこと歩みに合わせて目の前で跳ねる茜色のツインテールをぼうっと眺めつつ、エレンに尋ねた。
「これからまっすぐカニオン倒しに行くの?」
「ん? んーん。まずは泉の確認からかな」
「泉?」
思わず首を傾げるとエレンが振り返ってうん、と頭を縦に振る。
エメラルドの瞳が光を吸い込んで煌めいていた。
「命の泉って言ってね、そこに怪我したところを浸すとみるみるうちに傷が塞がるの! 飲めば麻痺とか毒とかも抜けるし、すっごく便利なんだよ!」
「へえぇ、そんな泉があるのか。じゃあ先にそこの水を汲みに行くんだ?」
「んー……それが、泉から水を汲み出すと、ちょっと経ったら普通の水になっちゃうの」
今日はとりあえず場所を確認しておくだけかなー。
そう相槌を打つ俺に笑いかけるとエレンは前に向き直った。ふむふむ。
俺は続いて肩でうとうとと舟を漕いでいる麗音を指先でつつく。
朝早く起きたせいで眠いのか、麗音は出発前から俺にしがみついて離れなかったのだ。
「ンダヨフースケ。今眠インダ」
「分かってるよ。ごめんな」
「……命の泉のコトダナ?」
ずりずりと二の腕までずり下がって来た麗音を肘を上げて受け止め、頷く。
出発前に渡された氷砂糖をポーチから一つ取り出して麗音の口に押し込んでやれば、モゴモゴと陶器の口が波打った。
「命の泉は枯レルことなく、穢レルことなく、タダ清らかに存在スル。ソノ理屈はマダ誰にも分かってナイ……と言われていル」
「ほう」
「さっき赤毛娘が怪我も麻痺も毒も治ると言ったナ。確かにソウダガ、中には命の水が効かナイのもアル」
「命の水ってのは泉の水のことだよな。それが効かないのもあるのか」
「らしい、ダケドナ。具体的なのはコレも分かってナイゾ。マァ、基本的には命の泉は万能だカラナ。赤毛娘とヘンテコの判断は正しいんじゃナイカ」
「そっか。…………麗音なんか今日は随分と優しいな」
寝起きはいつも悪いくせに、とは言わないでおく。
だが無言の空白で何か感じ取ったのか、麗音が不満げにぺしぺしと腕を尻尾で叩いた。
「フースケがココまでさばいばる能力がナイとは思わなかっタんダ。フタリに頭地面に擦りつけて感謝しとけヨ」
「ふぁい……」
あの先代からこれだからな。麗音が呆れるのも無理はない。
俺がサバイバル能力低いのは認めるけど、先代が高すぎたってのも十二分にあると思います。
唇を尖らせながら再び肩によじ登って来た麗音を頭の上に避難させて、ゴルフバッグを背負い直した。
金属製なだけあってバズーカはかなり重い。
使うって決めたのは自分だから仕方ないけど、やっぱり重いものは重い。
肩紐が太いのが唯一の救いか。
ふぅ、と重みに押し出されるようにか細い溜息を零す。
ぼやぼや思考の波を漂いつつ歩いていたが、後ろを付いてきていたコンラッドが俺を抜かしてエレンに近づいて行ったのを目の端に捉えて我に返った。
その背中をぱちぱちと瞬きして目で追う。
二人で地図を覗いて何やら相談しているのを暫く眺めて、俺は麗音を仰いだ。
「そういやさ、俺の前のマレビトってどうしてたの?」
「ドウしてタ?」
「呪術のこと。俺みたいな短縮器具使ってたの?」
「アァ」
ソレカ、と納得したような声を零した麗音はぺちぺちと俺の後頭部に尻尾を当てる。
麗音がこうやって尻尾をぱたぱたとさせているのは、何かを思い出しているときか考えているときだと最近気が付いた。
「ソレはフーゴが編み出した陣ダ」
「えっ嘘!?」
「ホント。アイツは稀に見る天才だったカラナ」
「そ、そうだったんだ……」
意図せず顔が曇った俺を麗音が「馬鹿」と吐き捨てて、ベシッと尻尾で叩いた。
じんわりとした痛みが頭を覆う。
患部を手のひらで擦っていると麗音は大げさに溜息をついてみせた。
「オマエはオマエダロ。ナニ自信無くしてンダ」
「うー……いや、そんなことは……」
「ソレこそウソダ。重要なのは『オマエが稀人』という事実であって、オマエが成すコトじゃナイ」
「……うん」
「フーゴにできてオマエにできないことは沢山アルが、フースケにできてアイツにできないコトも沢山アルダロ。多分」
「多分は余計だけど……分かった。そうだといいな」
俺が小さく苦笑を零すと、頭の上に居て見えないはずの麗音がふんすと鼻息荒くもう一度後頭部を強めに叩いた。痛い。
再び後頭部に手を持っていく俺に、ゴホン、と麗音はわざとらしく咳払いをして話を戻す。
「ソレで、フーゴ以前の稀人ダガ」
「あ、答えてくれるんだ」
「当たり前ダロ。スグはぐらかそうとするダレかとはチガウ」
「……誰のこと?」
「うるサイ。オマエはイチイチ茶々を入れるナ」
ぺちぺちぺちと頭を短い手で叩かれて、大人しく口を閉じる。
イライラを混ぜ込んだような声音で麗音は続ける。
「術書さえアレバ術は使えルって話はしたナ?」
「うん、陣は術の発動時間を短縮するもので、じいちゃんの編み出した陣はそれを更に短縮するものなんだよな」
「それが答えダ」
んん? それっきり口を噤んだ麗音に、俺は僅かに俯いて頭を傾ける。
「じいちゃんの陣が普通の陣の二倍速く発動させることができるとして、普通の陣が術書のみのときの二倍速く発動させられるわけだから、単純計算で俺の四倍の時間がかかるわけだよな? それでどうやって戦ってたの?」
麗音はそれを鼻で笑い飛ばした。
「簡単なコトダ。後ろに居ればイイ」
「……え、でもマーカスさんとじいちゃんは、いっつもどっちが多く倒せるか張り合ってたんだろ?」
「フーゴが、オマエのジジイが異質スギたんダ。ソレマデの稀人は一歩後ろに下がってソレ以外のヤツらを援護してイルのが基本だっタ」
取りこぼしを葬っタリ、死角カラ狙ってくるヤツを討っタリ。
そう付け足して、話は終わりだとでも言うように俺の肩にふわりと下りてくる。
分かってたけど、本当にじいちゃんは凄い人だったんだ。
後ろ手にゴルフバッグをそっと撫でて、いつの間にか下を向いていた頭を持ち上げキッと前を向いた。
負けない。俺だって小さい頃からずっと合気道で身体を鍛えてきたんだ。
瞬発力と反射神経には自信があるし、スタミナだって人並み以上にはある。
作ったのはじいちゃんなのが悔しいけど、術式短縮器具もあるわけだし、きっと戦闘で役に立ってみせる。
そして麗音に「アイツはスゴかっタ」って言わせてやるんだ!
よし、と両頬を叩いて気合を入れると、丁度良く前を歩いていた二人がこちらを振り向く。
二人の肩越しに光を反射させてきらきらと輝く水面が見えて、ふと辺りを見回すと泉を取り囲むように木々がぽっかりと円を描いて途絶えていた。
ぐるりと回した視線を正面に戻すと、エレンがにぱりと微笑む。
「泉に着いたから、ここでお昼にしよっか!」
「する! 食べる! 手伝う!」
「じゃあフースケはそこの木陰にこの布敷いてきてね!」
「………………はぁい」




