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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
1.一樹之陰
25/76

25話 「恵与」

目の前の二つのカップから湯気が立ち上る。

今しがた中身を注ぎきって軽くなったポットをテーブルにそっと置くと、赤茶色の表面に波紋が広がった。

ほかほかと湯気が上がっているが実はこの紅茶、本日三杯目である。

いくらただの紅茶と言えど流石に飽きた。


というわけで、キッチンから持ってきた角砂糖とミルクをカップに落としてかちゃかちゃと混ぜてみることにした。

ゆっくりゆっくりティースプーンとやらで掻き回すとミルクがぐにゃぐにゃの円を形作る。


大体混ざったかな、というところで一口紅茶を啜ってみれば見た目は美味しそうなミルクティーなのに微妙に甘くなかった。

これは砂糖が足りないのか?

スプーンから手を放して角砂糖用の小さなトングに持ち替えると、向かい側でカップを傾けていた麗音が顔を上げた。


「ん? 麗音も砂糖欲しかった?」


「オマエの紅茶マズイ」


「え」


嘘、とテーブルに身を乗り出したとき、玄関で鍵が開く音がした。

がやがやと壁越しに伝わるエレンの声。

俺は慌ててカップの中身を飲み干してダイニングから廊下に繋がるドアを引き開ける。

瞬間、茜色の物体が俺の喉の付け根に勢いをつけてぶち当たった。


「ぐえっ」


「ひゃっ」


すかさず開けたままのドアノブが脇腹を突き刺し、トドメとばかりにドアの角がよろけた俺の後頭部に襲い掛かる。オーバーキル。

俺が一体何をしたって言うんだ。

声も無く崩れ落ちた俺にエレンの狼狽しきった声が降ってくる。

さっきの茜色はエレンの頭か……。

ちかちかと星が舞う視界の中で眉を下げたエレンがぼんやりと見えた。


「フースケごめん! 大丈夫!?」


「…………だ、だいじょぶ……」


「ホントにごめんね~~!」


しゃがみ込んであわあわと視線を彷徨わせたエレンは、思い出したようにコンラッドに「氷嚢持ってきて!」と指示した後、俺の後頭部に手を回す。


「コブできてる?」


外から帰ってきたばかりで少しひんやりとしたエレンの指先に俺はほう、と息を吐いた。

そのままでエレンが申し訳なさそうに話したところによると、どうやら俺より一瞬遅いタイミングでドアノブを掴もうとしたエレンが開いたドアにバランスを崩して衝突してきた、というのが事のあらましらしい。

それはエレンのせいじゃないよ、と若干回復しつつある思考で否定しておく。


……しかし冷たくてきもちい……女の子って柔らかーい……。

俺があまりの居心地の良さに思わず相好を崩して瞼を下ろした途端、思いっきり顔面に麻布の袋が叩きつけられた。


「ふぐっ」


「ちょっとラド何してるの!?」


「氷嚢」


「氷嚢で怪我したら意味ないじゃん!」


「この袋氷入ってんのか……どうりで殺傷能力が……」


「オマエら揃いも揃って馬鹿ばっかダナ」


阿鼻叫喚の中、カチャンと後ろから軽い陶器がぶつかる音がして、麗音がふよふよと視界に入る。

お前今の今まで優雅に紅茶啜ってたのかよ。不味いとか言ったくせに。

ぎろりと麗音を睨んで傍らに落ちた氷嚢を頭に当てる。

急に感じた冷たさに痛みが走り、眉を顰めるが何とか立ち上がることができた。

もう大分痛みは治まっている。


「うん、もう大丈夫そう。ありがとエレン……まぁ、コンラッドも」


ちょっとコンラッドに向けてだけ目を眇めて見せ、それから二人に笑いかけた。

麗音も俺の頭に腰を落ち着けて――まだちょっと痛い――俺と同じく二人を眺めている。


「おかえり」


言ったのは俺だけで、返ってくる返事は一つだけだったが、それでも俺は満足げに頷いた。



******



「そうだ、何買って来たの?」


どうやら俺の紅茶は「マズい」らしいので、麗音はエレンに紅茶を淹れさせるべく連れ立ってキッチンに行ってしまった。

無理矢理なら力尽くで止めるつもりだったが、どうやらエレンも満更でもないらしい。

彼女は麗音に背を押されながらもにこにこと笑っていた。


何が言いたいのかというと、つまり俺は今ダイニングでコンラッドと二人きりなのである。気分は一騎打ちだ。

……わざとなのか、はたまた何も考えていないのか、当の本人は目の前で短剣の手入れをしている。


ポーチから取り出した丈夫そうで大きな紙を広げ、その上にこれまたポーチから取り出したいくつかの道具を並べ、自身の肘から手首までより少し短いくらいの剣と対峙しているのだ。


威嚇か? 威嚇なのか? 

あっ、でもくすんでいた刃がピカピカに磨かれていくのは、見ていてもちょっと面白い……じゃなくて。


俺は今無視されたのだろうか?

いや、でも、麗音が言った通りなら聞こえていない可能性もあるのか?

唇を尖らせつつも言い直すべきか否か悶々と考えていると、ふとコンラッドが手を拭って今度はズタ袋から何かを取り出した。

コンラッドの腰に付いているウエストポーチなんかよりも大きく見える巾着袋だ。

中身はそこそこ少ないらしくブカブカとしている。


「やる」


「うん?」


また短剣の整備に戻ってしまったコンラッドを尻目に、受け取った巾着袋を開けてみる。

中にはクリーム色の巾着袋|(小)、乾いた血の跡が付いているポーチ、折り畳まれた地図、大きめの缶と細長い筒が収まっていた。

これ、俺の?

ぱちぱちぱちと瞳を瞬かせていると短剣から目を離さずにコンラッドが声を発する。


「袋は返せ」


「これ全部入ってたやつ?」


「…………」


無言の肯定。

分かった、と返し改めてテーブルの上をまじまじと眺めた。

逡巡して、もう一度正面を盗み見てから、おずおずと物品に手を伸ばす。


クリーム色の巾着袋の中には、包帯とガーゼがそれぞれ一巻き、はさみ、クリップのようなピン、ごくごく小さなブリキの缶――中身はクリームだった、多分軟膏だろう――が入っていた。

これは救急セットだったのか。


次にひらいたポーチの中身は裁縫用具。

ポーチに血が付いていたりちょっと薄汚れていることからして、二人のおさがりだと思われる。

道具自体は十分使えそうで、裁ちばさみやピン、糸などが無造作に突っ込まれていた。

……うーむ、これは二人に裁縫も大して出来ないだろうと思われてるな。――――実際その通りだけれども。


ぶすくれながら手に取った、折り畳まれている地図はどうやら新品のようだった。

前「世界地図はある」と話したからか、ヴェントだけが拡大された地図だ。

二人の地図はもう少し大きくて書き込める余白があったのだが、この地図はそれがない代わりに小さく折り畳むことができる。これならゴルフバッグに入れても折れてしまわなさそうだ。

ガサガサと音を立てながら丁寧に畳み直しておく。


その隣にあった、大きめの缶の中身は空っぽ。

コンラッドに尋ねても知らんぷりなので、「好きに使え」ってことなのだろう。

蓋がしっかりといているので保存食やらを入れておけばいいのだろうか。

疑問符を飛ばしつつ、ポンと音を鳴らして開けた細長い筒には、小さめのフォークとスプーンとナイフが纏めて仕舞われていた。


「すげー……ありがとう」


「礼はネルに言え」


「うん。あ、でもこの袋はもうちょっと貸してて。後でじいちゃんが使ってたカバンとかないか、クローゼット漁ってみるから」


「…………」


また無言の肯定。

ちらりと俺を一瞥したコンラッドは手元に視線を落とす。

仕上げとばかりに短剣に付いた油か何かを灰色の布で拭って、ダイニングの照明に翳せばぎらりと刃が鈍く光った。

とっくにバズーカ(武器)術を記憶(準備)終えた俺が頬杖をついてそれを眺めていると、轟音を立ててドアが開いた。

思わず椅子から飛び上がる。


「喜ベ! ウマい紅茶ダ!」


「淹れたの麗音じゃないだろ! あとドアは優しく開閉して!!」


両手が塞がっているエレンに駆け寄ってカップを受け取る。

同じく立ち上がったコンラッドはエレンに「手を洗って来ないとダメ!」とダイニングから追い出されてしまった。

テーブルの上に置かれた手入れ道具は、俺がカップを並べている間にエレンが紙ごと端に寄せておく。

俺も慌てて目の前の物を袋に仕舞いなおし、その袋片手にスススとエレンに近付いてお礼を言った。


「こういうとき何が必要なのか分からなかったから助かった。ありがとな」


「どういたしまして! あとでフースケのご先祖さまのナイフも手入れしないとね!」


「ほんと、何から何まで……」


「いいってことよ!」


冗談めかしてにぱりと笑うエレンには頭が下がる思いだ。

ははー、とこちらも冗談半分にひれ伏して椅子に座り直す。

麗音はぴかぴかと瞳を白く輝かせ、開けっ放しのドアから小さなバスケットに入ったクッキーを迎えると上機嫌で俺の隣に腰を下ろした。


しばらくして戻ってきたコンラッドがドアを閉め、片そうとしたのかテーブルの端に鎮座している自らの道具に手を伸ばす。

が、即座に飛んできた「それ触ったらまた手洗ってきてね!」というエレンの声にビクリと肩を揺らして静止した。

むっつりとさっきまで自分が座っていた席に着くコンラッドをテーブルの向こう側から見やり、うっかり零れそうになった忍び笑いをカップを傾け誤魔化した。

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