21話 「鶏と雑炊」
半ば突撃するような勢いで部屋に駆け込む。
行儀悪いのは承知でドアを後ろ足に蹴り閉めると、知らず溜息が零れた。
走ったせいで緩んだ腰のタオルを慌てて巻き直す。
な、なんとかエレンと鉢合わせずに部屋に戻れたぞ……。
女の子の前で全裸は御免被りたい。
エレンにしても起きて間もないうちに、好きでもない男の裸なんて見たくないだろうし……いや、好きなやつの裸だとしても、朝っぱらからは嫌か。
それに、その、幼馴染の前に全裸で現れるというのはコンラッドにとって十二分に抹殺案件なのではないだろうか。
よく考えるまでもなく、手は出してなくても全裸は晒しましたーとか許容範囲外に決まってる。
…………エレンと鉢合わせなくてよかった。ホントに、マジで、よかった。
髪から垂れてくる冷たい雫を首を振って弾き飛ばし、俺はもう一度大きく溜息をついた。
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「おはよう!」
「ああ、えっと、はい……おはようございます」
「どうかしたの?」
「ううん、何でもないから……気にしないで……」
「そう?」
まだ訝し気なエレンにコクコクと頷いてエプロンを腰に巻く。
何か今日腰に巻いてばかりな気がする、なんてくだらない思考は頭の片隅に押し込んだ。
気まずげな俺の横では、エレンが藍染のエプロンを身に着けながら空中に目を彷徨わせている。大方、朝飯に何を作ろうか迷っているのだろう。
それをちらりと流し見て、キッチンからは見えない正面扉の方に意識を向けた。
コンラッド、朝食を作り始めるまでには帰るって言ってたんだけどなあ。
俺に居場所を訊いて来ないってことはエレンも多分知ってるんだと思うし……。
ちょっと心配だけどめちゃくちゃ強いらしいから大丈夫、なのかな。
弓背負ってたし、太腿にもいつもの短剣があったし、大丈夫だと思いたい。
じゃぶじゃぶと手を洗っていると、エレンがきりりとした顔を上げた。
どうやらメニューは無事に決定したらしい。
蛇口の水はそのままに横にずれて場所を譲れば、礼を言ってエレンも手を洗い始める。
それを何をするでもなく見ていると、エレンが「話は変わるんだけど」と俺を僅かに――僅かにしか視線が変わらないのが何となく悔しい――見上げた。
「フースケ、今朝シャワー浴びた後何でそんなに慌ててたの?」
「……話変わってないです」
「え?」
きょとんと今度はエレンが小首を傾げた時、静かな扉の開閉がして誰かが滑り込むように入ってきたのが分かった。
誰か、とは言わずもがなコンラッドだろう。
エレンが待ってましたとばかりにぱたぱたと赤毛のツインテールとエプロンのリボンをはためかせて駆けていく。
俺はその後をゆっくりと歩いて追いかけた。
「おかえりラド!」
「……起きていたのか」
「そんなに驚かなくても、もう子供じゃないんだから一人で起きられるってば!」
遅れて玄関に顔を覗かせると、少し屈んでブーツを履き替えるコンラッドと後ろからでも弾んでいるのが分かるエレンが見える。
エレンの耳横で結ばれたツインテールと蝶結びのリボンが、まるで犬の尻尾のように跳ねていた。
……かと思えばそれらをぴたりと鎮めて「じゃなくて!」とエレンが肩をいからせる。
「お、か、え、り!」
「あぁ、ただいま」
満足そうに頷いたエレンにほんのちょっぴり目を細めたコンラッドだったが、壁に張り付くように玄関を窺っていた俺を捉えると、今度は真逆の意味で目を細めた。
「お、おかえりなさーい……」
気の抜けた笑顔を見せる俺からあっさりと視線を外すと、一転して真面目な顔でエレンに問う。
「間に合ったか」
「大丈夫、今ちょうど手を洗ってたところだよ」
「そうか」
「だから俺だって料理くらいできるって言っただろ!」
わざとらしくほっと息をついたコンラッドを睨み付けて、俺が腰に巻いていた白いエプロンを投げ渡した。
難なくそれをキャッチして身に着けるコンラッドに更に刺々しい視線を送ってから、エレンに顔を向ける。
「今日の朝飯は何にするの?」
「昨日ササミ作った時に鶏ガラとか鶏油が余ったから、無難に鶏雑炊とかどうかなと思ったんだけど……ラド、他に鶏で何か作れる?」
首を一度横に振るのは「作れない」じゃなくて「それでいい」という意味だろうか。
スタスタとキッチンへ向かうコンラッドの背中を目で追いつつ、ふと常々疑問に思っていたことをエレンに訊く。
「そういえばコンラッドってあの量で飯足りるの? いつも早く食べ終わっちゃうけど」
「あー……ホントはもうちょっと食べられるんだけど、あの量でいいんだって。あんまり食べ過ぎると身体が上手く動かないらしいよ」
「そっか、腹いっぱいになると確かに動きは鈍るよな。……でもここにいる時くらいもっと食べればいいのに」
食糧庫にはまだまだたくさん食材があるし、旅とは違って危険もそうそう無いだろうし、と続けて「ああ」と思い当たる。……俺と麗音がいるからか。
少し肩を落とした俺にエレンがわたわたと両手を振った。
「ちっ、違うの! ラドはお腹いっぱい食べるのが嫌いで!」
「え、そうなの?」
「あの胃の窮屈感と食後に来る眠気と倦怠感が嫌いなんだって。あと、食べた後に動くと脇腹が痛くなるのも大っ嫌いみたいで……。
前に一度だけ旅の途中でうっかりお腹いっぱい食べちゃったことがあって、しかも間の悪いことに食べたすぐ後に魔物が出現して、ギルドから討伐要請が入っちゃって。……で、やむをえず動いたんだけど、こーんな顔で一分に一回、酷いときは三十秒に一回は舌打ちしてたんだから」
エレンが眉間に皺を寄せ、凶悪な目付きで口端だけ上げてチッと舌打ちする様子はコンラッドの真似だろう。
試しに頭の中でコンラッドにやってもらうと、とてもとても恐ろしく、自分で想像したことながらぶるりと背筋を震わせた。
そんな俺を愉快そうに見ていたエレンが、ニヤリと悪戯気に笑って声を潜める。
「それで実はね、ラドが大っ嫌いなのはもう一つあって――――」
「え、なになに?」
俺が興味深く身を乗り出したとき、ごちんと頭に衝撃が走って目の前に火花が散った。
思わずしゃがみ込むと、いつの間にか横に立っていたコンラッドが握りこぶしを解くのが見える。
ちなみに中指の関節はこぶしからしっかりとはみ出してました。そら痛いわ。
悶絶する俺をよそに、コンラッドはエレンを一瞥してしらっと戻って行く。
「手伝ってくれ」くらい口で言えばいいのに、まで考えてハッと顔を上げた。
俺だんだんコンラッドの言いたいこととか分かるようになってきてないか!? コンラッドが少し警戒を解いてくれてるってのも大きいと思うんだけど、それはそれとして嬉しい。
嬉しさのあまりに拳骨をされたのも忘れてがばりと立ち上がると、やはりと言うべきか脳天から背骨まで電流のような痛みが駆け抜けてまたしゃがみ込む。
……若干でも気を許してくれたのは嬉しいけど、この容赦の無さはいらなかった。
「フースケってば、大丈夫?」
「うぐぐ……多分大丈夫……」
「ラドがごめんね。でも着実にフースケに懐いてきてるよ!」
「……ソウデスカ」
自信持って! と両手をグーにして励ましてくれるエレンに苦笑いを返して、頭に響かないようにゆっくりと立ち上がった。そろそろ手伝いに行かないと。
香ばしい鶏ガラスープの匂いを胸いっぱいに吸い込んで「よし!」と気負いを入れる。
「エレン、俺は何を手伝えばいいかな!」
「うん、フースケはとりあえず今日もレタスちぎりよろしくね」
「……はい」
にっこりといい笑顔でやる気を封じられた俺は、再び肩を落として力無く返事を零した。




