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風の稀人‐マレビト‐  作者: 菅藤一羽
1.一樹之陰
20/76

20話 「新しい朝が来た」

やっと20話です……まだまだ先は長いぞ……

まだまだ空気がひやりと冷たい初夏の早朝。

俺は玄関から少し離れたところの庭で、一人稽古に勤しんでいた。


前足に重心を乗せて爪先を軸に振り返り、両腕を頭の上に振りかぶる。

腰を動かさずに両膝を同時に回して。振り返り、振りかぶる。

単調な動きだが一つ一つ丁寧に。

振り返り、振りかぶる。


それを気の済むところまで何度もセットで繰り返して、やっと一息ついた。

冷えた額にじわりと滲んだ汗を拭い屈みこむと、ふへぇ、とだらしのない声と共に熱い息を吐き出した。

見た目は地味だがこれが結構精神力と体力を使うのである。


柔道とか空手なら一人稽古でも十分華があるんだけどな……。合気道って地味だと常々思う。

まあ、必要最低限の動きで相手を捌く練習とか呼吸力を高める練習とか、そもそも目立てる要素が全く無いから仕方がないのだろう。


鳥肌が収まらない腕を擦りながら何気なく屋敷の正面扉の方を見やると、いつからいたのか扉から少し離れたところにコンラッドが立っているのに気がついた。コンラッドは俺をじいと見つめている。

空気のせいではなく冷たい汗が背中に伝った。


「…………見てました?」


ひくりと口端を引き攣らせながら首を傾げると彼は浅く頷く。

うわぁ……別にやましいことはしていないはずなんだけど、どうしてこう、一人稽古をしてるところを見られるのって居た堪れないんだろうな……。

いや、稽古に限らず一人で何かをしているところを見られていたのを知った時の、あの、ほら…………駄目だ、言葉が出てこない。どうやら俺は自分が思った以上に混乱しているようだ。


言葉にならない呻き声を上げながら近づいてくる俺を冷静に見据えて、コンラッドが小さく呟く。


「魔法、か」


「……魔法?」


「ネルが言っていた」


ああ、そういえば初めて会ったときエレンに『魔法かと思った』みたいなことを言われたっけ。

納得して頷いた頭を「あれ?」とそのまま横に傾けた。


「この世界に魔法ってあるの?」


「お伽噺になら」


「へぇ、そうなんだ。それは現世こっちと同じなのか」


「マレビトの術は」


「うーん、あれは魔法とは全くの別物だと思う。

 一応遠くの音を聞こえるようにできたり、空気を固めて宙を歩けるようにできたり、便利な術はあるみたいなんだけど……それ以外はほぼ攻撃専用の術っぽくて。

 そもそも時間がかかりすぎて連発できないんだよ。術式短縮器具バズーカに記憶させられるのは一つの術だけだし」


「そうか」


「うん」


思案する素振りを見せるコンラッドを目の前に俺はなんとか平静を装い続けているが、その実、内心では全てが『!』と『?』で埋め尽くされていた。


コンラッドと会話が続く……だと……。

エレン抜きでここまでコンラッドと会話が続いたことがあっただろうか、いや無い。なんて無駄に反語にしてみる。

落ち着け俺。


そもそも直接コンラッドと話したのすら一言二言だったし、大体は俺の話を聞いているんだかいないんだか分からないような態度をずっと貫かれていたんだから、これだけ驚くのも無理はないだろう。うん、仕方ない仕方ない。


だけど! それが! 今は! 俺とちゃんと会話してくれている!

コンラッドが口を開くのは殆ど単語だけど、それは多分通常運転ってやつだ……と思う!

エレン相手でも確かあんな感じだった……はずだ!

じぃんと俯いて感動に震える俺だったが、ふと我に返って顔を上げた。


「あれ、コンラッドが起きたってことはエレンも起きたの?」


「いや」


「……そっか、それならよかった。朝飯作るのをエレン一人に任せるわけにはいかないもんな」


「それまでには戻る」


食い気味に真顔で言い放つコンラッドに噛み付こうとして、その言葉の違和感にぱちくりと目を瞬かせる。


「戻る、ってこんな朝早くから出かけるのか?」


「あぁ。ネルに手を出したら殺す」


「こっ、殺……!?」


びくりと身が竦むが、ここはしっかりと否定しておかなければいけない。

勢いよく頭を振り、すぅ、と息を深く吸って「バカ!」と声を張り上げた。


「万が一にも手なんて出すわけないだろ! 誓って俺はこれからシャワー浴びて着替えることしかしません!!」


今度こそしっかり噛み付いて、麗音のようにふんすと鼻息荒く胸を反らせる。

……しかしあまりにも無反応なコンラッドに、俺は誤魔化すように咳払いをして居ずまいを正した。


「えーっと、それで? コンラッドはどこに行くんだ?」


「ギルド」


「ギルド……? あぁ! 依頼クエストか!!」


昨日の晩を思い出して、にへらと抑えきれなかった笑みを零すと、眉根を寄せたコンラッドに睨まれる。


――――ところで「懐いてくれなかった野良猫がやっと心を開いてくれたような~」なんて例えを俺はよく聞くが、コンラッドを例えるなら野良ヒョウか野良チーターあたりじゃないだろうか。

いや別に懐かれたわけじゃないんだけどさ。

こう、気を抜いたら喉笛を噛み千切られそうな感じで。


何時間かぶりに向けられる冷たい視線をひしひしと感じつつ、つまらないことを考えた。現実逃避とか言わないで。

言葉を発しない俺に渋々と眼力は弱めるが、それでも眉間の皺は消さないままでコンラッドが苦々しく呟く。


「起きる前に戻るつもりだった」


「俺とエレンが?」


無言の肯定にふむ、と内心頷く。

こっそりギルドに行って帰ってきて何食わぬ顔で飯作るだけの予定が、俺が朝稽古していたせいで覆っちゃったんだな。

俺は何となく悪いことをしたような気分になり、眉を下げた。


「あー……うん、ごめん。昨日までは夜寝る前に一度通すだけだったんだけど、実践が控えてるとなるとやっぱりちゃんと動けるようにしておきたくて。元々こっち来てから少しサボりがちだったから調子戻さないとなー、と」


「おまえ、体術で戦うのか」


「ううん、基本的には(バズーカ)で戦うつもり。俺のこの体術は受け流したりするのが主だから、素手で一網打尽ーみたいな凄いことはできないんだ」


そうか、と言うように俺と合わせていた目を一度伏せてから、コンラッドは橙が薄れてきている東の空を仰いだ。

そして何も言わず屋敷と俺に背を向ける。

歩き出したコンラッドに慌てて「行ってらっしゃい!」と声をかけるが、よく見ていないと分からないくらいの僅かな瞬間足を止めただけで、音も無くコンラッドは森の中に入っていった。


麗音といいコンラッドといい、相変わらず行動が唐突だなあ。

そんなことを思いながら、後頭部の寝癖を掻き回しつつ正面扉を引き開けた。



******



浴室にあるつまみの一つを捻ると、ざあと小気味良い音を立てて銀色の筒に開けられたいくつもの穴から水が噴き出す。

水が温まってお湯になる前に、と急いで着ていたTシャツと白麻のズボンを脱衣所の籠に入れた。


昨日だか一昨日だかワイシャツの洗濯に泣かされてから、稽古はこっちに着て来たTシャツと洗いやすくて乾くのも早い麻のズボンと決めている。

最悪アイロンをかけなくても何とかなるしな、と内心で怠惰な俺が毎度ほくそ笑むのだ。



頭からお湯をひっかぶると、早朝の肌寒さと汗のせいで二重に冷えた身体がじわじわと熱を吸い取っていくのを感じた。

どうして朝に浴びるシャワーってこんなに気持ちいいんだろう。

人間が一番無防備になる瞬間は風呂に入っている時だと本気で思う。なんなら断言してもいい。

わしゃわしゃと薄黄色の石鹸を泡立てて全身まるっと洗いながら、知らず知らずのうちに鼻歌が漏れ出した。


つるりと逃げる石鹸を半ば放り投げるように容器に入れて、またつまみを捻る。

幸いにも一度温まった水はまだ冷めておらず、すぐにお湯が出てきたので俺は喜んでその身を晒す。

温かさに包まれて幸せな溜息がそっと溢れた。


泡が流れた顔を手のひらで拭い邪魔な前髪をかき上げる。

背中からシャワーに打たれつつ、泡が流れていく浴室の床をぼんやりと眺めた。

何だか眠い。

俺は湯気で曇った頭の中で、週初めに英単語テストが予告されていたことなんかを漠然と思い出しながら小さな欠伸を一つ。そしてはた、と目を瞬かせた。



「…………着替え取って来るの忘れた」

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