19話 「鍵」
「……そうだ、持ってた鍵はエレンに渡したんだっけ」
手前に引いたはずの扉が何かに引っ掛かる感触に、酒臭い路地裏を思い出して呟く。
隣に浮かぶ麗音が「何やってんダ」と間髪入れずにツッコんだ。
ごもっともなそれを聞き流して、扉の周りにうろうろと視線を巡らせる。じいちゃんのことだ、インターフォンとか作ってそうだよな。
……なんて思ったのだが、残念ながらだっさいドアノッカーしか見つからなかった。
近付いてよく見てみると、どうやら首だけ突き出たシカのはく製みたいに顔だけが突き出ている、強面の龍のようだった。
それの口に輪っかが付いてあるので、多分これを掴んでコンコンとやるのだろう。
大体龍って水神じゃないのか? 麗音(風鈴)といい呪術の種類といい、この国は風っぽいのにな。
……いやでも風神となると、あの有名な金ピカの屏風に描いてある鬼みたいなのしかいないのか。
だとしたら龍を設置したくなるご先祖様の気持ちも分かる気がする。
なんて俺のちょっとした現実逃避に、麗音は腹立たし気に宙返りをした。
「――――あーモウ、仕方ナイナ!」
「遅イんダヨ!」と叫んで麗音が両の瞳をピカリと光らせると、ガチャンと目の前の扉が聞き慣れた音を立てる。
……あれ、もしかしてサイコキネシスで鍵開けてくれたのか。
ありがたい、と素直に感謝を表した。
「ありがと麗音」
「腹が減ってたダケダ」
「うん、ありがと」
「…………フン」
そっぽを向く麗音に苦笑して小さく深呼吸。
――――さて、入るか。俺は両手扉の片側だけを紙袋を持っていない方の手で、そうっと引き開けた。
「おかえりなさい!」
「……ただいま」
ギィ、と鳴った扉の蝶番の音が聞こえたのか、玄関に顔を出したエレンに何とか笑みを繕って言葉を返した。
すると何故かまじまじと見つめられて、心臓がドクリと大きく収縮する。
だ、大丈夫だ。エレンが特に表情を動かさなかったってことは俺はちゃんと笑えてたんだ。大丈夫。
暫く無言で見つめ合っていたが、俺の腕の中の紙袋から漂う香ばしい匂いに、すん、と鼻を鳴らしてエレンが困ったように首を傾げた。
「うーむ……一応ラドとスープ作ってたんだけど、要らないかなぁ?」
「スープ?」
「うん、オニオンスープ。紅茶の方がいい?」
「何でもイイ、あるなら食うゾ!」
しゃがんで内履きに履き替える俺の背中へと飛び乗った麗音がぴょんと跳ねる。
フースケもスープで大丈夫? と覗き込まれて言葉も無くコクコク頷くと、エレンはへらりと笑ってキッチンに消えて行った。
なんだ……俺が何を買ってきたか気になっただけか……。
はぁ、と脱力すると自然と思考は他のところへ向かう。
「…………赤かったな」
エレンの顔は隠し切れないほど赤みが差していた。
瞼は何度も擦ったのか僅かに腫れ、目尻には涙の跡が残り、鼻の頭も少し色付いていて、頬は未だ火照っていて。
ついさっきまで泣いていたのだろうか。
ふと能面のようになっていたコンラッドの顔を思い出して眉根を寄せる。
二人でちゃんと収まりの付くところまで話せたならいいんだけど。
物思いに耽る俺の髪の毛をグイと引っ張って麗音が声を上げた。
「フースケ、パイはまだカ!」
「……そうだった、皿に並べないとだな」
「ヨッシャ、サッサと手洗いうがいしてキッチンに急行するゾ! 付いて来いフースケ!」
「なんでお前はそんなにテンション高いんだ……」
溜息をついてゆっくりと麗音の後を追う俺の背にまたふわりと何かが触れたのを感じ取って、俺は慌てて足を速めた。
ミートパイ四つとクランベリーパイ二つを紙袋から皿に移す。
クランベリーパイは一つをまるごと麗音に、もう一つは四等分にした。
それらをトレーに乗せてダイニングに向かう。
キッチンのドアを閉めつつ、同じパイを一つと四分の一食べて飽きないかと麗音に訊くが、きっぱりと頭を横に振られるだけだった。
念のために余すなよ、と釘を刺しておくと「何言ってんだコイツ」みたいな目で見られる。
……ちょっと今傷ついたぞ。
唇を尖らせながらテーブルに皿を並べていると、後ろのドアが開く音がした。
勢いよく振り返るとそこにはコンラッドが。
彼は一瞬だけ足を止めると、ついと目を眇めて、それから何事も無かったかのように両手に二つずつ持ったスープ皿をテーブルの上に置いていく。
そのコンラッドの表情を見て俺はこっそりと息をついた。
よかった、俺と麗音が外で潰してきた時間は無駄じゃなかったみたいだ。
上がりそうになる口角を抑え込みながら、俺は今にもパイにダイブしていきそうな麗音を鷲掴んで止めた。
******
今朝と同じようにダイニングに俺と麗音の二人分の「いただきます」が響く。同じタイミングで二人が十字を切って、揃ってパイに齧り付いた。
さく、と小さな音が四つ続く。
ミートパイはさくりと軽い歯ごたえでひき肉の味も濃すぎず薄すぎず。
噛むと溢れてくる肉汁にほんのちょっぴりカレースパイスの匂いがする。
さくさくもぐもぐと食べ進めて、少しくどく感じてきたところでスープを啜った。
オニオンスープは薄味だがしっかり玉ねぎの甘みが出ていて、且つ口当たりもさっぱりしている。半分ほど夢中で飲んでスープ皿を置いた。
ふと何気なく前を見ると、あっという間にクランベリーパイを食べ終えていたコンラッドが微かに首を傾げている。
…………コンラッドが、首を、傾げている?
彼が俺の前でここまで露骨な感情表現をしたのは初めてじゃないか? ……首を傾げるのが感情表現に入るかはともかく。
なお、殺気と怒りは俺が虚しくなるので感情表現に含まないものとする。
パイもスープも忘れてまじまじとコンラッドを見ていたが、エレンに声をかけられてハッと我に返る。
「この甘い方、何のパイなの?」
「……あ、ええっと、クランベリーパイだって。麗音が見つけて食べたいって騒いでさ。美味しい?」
「すっごく美味しいよ! ラド、これコケモモだって」
「あぁ」
そうか、と納得したように頷いてコンラッドは放置していたミートパイに歯を立てた。
その拍子にばちりと目が合ったが彼の瞳には殺気も苛立ちも見えず、肩透かしを食らう。
唖然と目を瞬かせる俺の斜め向かいでエレンが呑気に続けた。
「コケモモを都会風に言うとクランベリーになるって前どこかで聞いた気がする!」
「へぇ」
「……いや、それはどうだろ」
「オマエら会話がフワッフワしてるゾ」
相変わらずちびちびと食べていた麗音が、パイを咀嚼しつつ胡乱げに俺たちを一瞥してこれ見よがしに溜息をついた。
はははと適当に空笑いを返し、尻尾にぼろぼろと落ちたパイの欠片を払ってやりながら、そっと二人を窺う。
エレンとコンラッドの会話はコケモモのジャムがどうの、ベリーパイがどうのとエレンが楽しそうに話し、コンラッドはそれに相槌も打たずただ耳を傾けているだけだ。
端から見れば噛み合っているのか噛み合っていないのか微妙なところだが、まあ、幼い頃から一緒だって言ってたから多分これが二人の距離感なんだろうな。
昨日と全く同じように見えるやりとりに思わず頬を緩ませた時、ちらりとまたコンラッドと視線が交わった。
条件反射で俺が肩を強張らせると、コンラッドは小さくため息をつき、自身のウエストポーチから屋敷の鍵を取り出すと手の中で揺らして見せる。
ちゃりん、と金属の軽い音が鳴った。
「これは、貰う」
「!」
盛大に音を立てて椅子から立ち上がると、コンラッドの隣で見ていたエレンがくすりと忍び笑いを零した。
その微かな笑い声の方に顔を向ければエレンはへにゃりと相好を崩してスープ皿をテーブルに置く。
「ラドがね、一緒に依頼こなしてみて大丈夫だったら仲間になるって」
「ホント!? ……ってスミマセン、大丈夫だったらって、何が?」
「戦力と的としての価値」
「やっぱり! まだ的言うか!」
「動けないのなら足枷のほうがましだ」
「そりゃそうかもしれないけど例え酷いな!?」
俺が吠えるとコンラッドはやっぱりツーンとそっぽを向いた。
エレンが苦笑してフォローの言葉をかけてくれる。
椅子に座り直しつつエレンには笑顔で返して、しかし小声でぶちぶちと文句を言っていると唐突に麗音がずしりと頭の上に着陸した。
「良かったナ、フースケ」
それに何度か瞬きをして、目の前の二人を見て、残り少ないパイとスープを見て、見えないけれど麗音の乗っている頭の上に視線を向けて。
そして一つだけ頷いた。
「うん、良かった。本当に良かった。……麗音、エレンとコンラッドも、ありとうな」
じわじわと驚き一色を塗り替えていく嬉しさにゆっくりと笑うと、上からフンと麗音が鼻で笑う声が降ってきた。
あけましておめでとうございました。
今週からまた更新再開していきます。今年もよろしくお願い致します。




