17話 「朱くない血」
しん、と再びギルドが静まり返る。
本日二度目だが無理もない、俺もエレンがこんな声で叫ぶだなんて思わなかった。
――――多分コンラッドでさえも。
首を僅かに動かしてコンラッドを見ると、彼は目を大きく開き、ぎゅっと唇を食み、微動だにせず食い入るようにエレンを見つめている。
エレンは肩で息をしながらも歯を食いしばって真っ向から男を睨み付けていて。
意外にも男はついと目を細めただけで、さして驚いていないように見える。
漂う小物臭に反して度胸は割とあるのかもしれないな、とどうでもいいことをちらと考えた。
「ムキになってんじゃねぇよ。何もお前からコンラッドを取り上げようってわけじゃない」
「ラドは物じゃない!」
「……話の通じない小娘だな」
チッ、と男が舌打ちをして俺達の方にゆっくりと歩いてくる。コンラッドと俺がエレンを庇おうと動くと、その足はすぐに止まった。
今度はコンラッドが舌を打つ。
――――コンラッドの様子がおかしい。
今の男はギルド内で武器が使えないとはいえ、ほぼ初対面の俺よりも格段に危ないと思う。自分で言うのもなんだけど。
それなのに、コンラッドはさっきからエレンを見つめて瞳を揺らしているだけだ。
殺気や敵意も出ていないわけじゃないけれど、明らかに目の前の男よりエレンの方に意識が行ってしまっている。
気もそぞろなコンラッドの代わりに男に睨みを利かせると、麗音が頭の上で「妙だナ」と呟いた。
それに俺が軽く頷くのに被さるように男が高らかに言葉を発する。
「お前の子守りからコンラッドを解放させてやるって言ってんだ。天才が凡人のガキに飼い殺しにされているのを黙って見過ごせるわけがないだろ?」
「天才なんかじゃない!!」
ビリリと空気が張り詰めた。
エレンはただ癇癪を起しているわけではないように見える。
震えながらも眼差しは冷えているし、自分の大声に身を竦めることはなく、その手にあるメイスを乱暴に扱うわけでもない。
ただ顔だけ歪めて肩を怒らせて立ち塞がっている。
俺とコンラッドが呼吸も忘れて見入ってる中、ひくりとエレンの喉が震えた。
「ラドはっ、天才なんかじゃない……っ!」
ぼろり。大きなエメラルドからとうとう一筋雫が頬を伝う。
エレンの引き裂かれるような静かな叫びに俺は思わず胸を押さえた。
麗音が服を握りしめた右手を撫でてくれる。
励まされている、というよりは宥められているようだ。
その証拠に無意識に落としていた腰をそっと伸ばして手を下ろすと、麗音はするりと離れて行った。
その時、不自然なほどに静まり返っていた隣から凄まじい怒気が膨れ上がる気配がする。
そろそろと顔を向けると、コンラッドが金色の目をギラギラと光らせて男を刺し貫いていた。
我に返ったのか、と少しホッとするのと同時に寒気が背筋を這いあがる。
あれはまさに眠れる獅子を起こす、ってやつだ。
喉笛を噛み千切る機会を窺っている捕食者の目をしている。
男は気に当てられたように硬直する。
しかしべそをかいて許しを請うたりしないあたり、やはりそこそこの強者なのか。……それともただ神経が図太いだけか。
「――――はっ、なに僻んで、」
怯んだ男が戦慄く口を開くと、言わせてたまるかとばかりにコンラッドがその長い脚を振りかぶった。
何か重いものが床にぶち当たる轟音。軽い地響きがして、いくつもの悲鳴が上がる。
何が起こったんだ。
反射的に瞑った目を開くと近くの空きテーブルが一脚、蹴倒されていた。
……どうやら周りのギルド員に当たらないように気遣って蹴飛ばす程度の理性はあったらしい。
立ち尽くす俺と尻もちをついた男を視界にも入れず、コンラッドは振り切った足を床に下ろして素早くエレンの手を掴んだ。
そのまま半ば引きずるようにしてギルドを出て行くのを目で追う。
後にはぽたりぽたりと雫の跡だけが残された。
がらんがらんと盛大に鳴る鈴の音にまぎれて俺は麗音を呼び寄せる。
「麗音、付いて行ってくれ」
「……貸しだからナ!」
「分かってる」
乱暴に開けたせいでまだ大きく開閉を繰り返しているドアを潜り抜けて、麗音が二人の後を追った。
それを見届けてから尻もちをついた男を見下ろすと、縋るような目で見返される。
そんな目で見られても自業自得としか言いようがないんだけど……テーブルは起こした方がいいのかな。
男を見下ろしたまましばし逡巡すると、ギルド長から声をかけられた。
「フースケ、だったか。あいつらのツレなんだろ? 追っかけてやんな」
「そのつもりですけど……あの、テーブルは」
「なァに、そこのヤツに頭冷やさせるついでに綺麗に掃除させとかァ。
――――そうそう、おめぇの入会書もアレで完成だ。ドタバタしててすまねェが『ハンターギルドへようこそ』ってな」
「っ、色々とありがとうございます! 騒いですみませんでした!」
「あの程度別に構わねェが、一応コンラッドにギルド員同士の私闘は禁止だって言っといてくれ」
ほら行った行った、と手をひらひらさせるギルド長に頭を下げて駆け出す。
男が何か言いたげに手を伸ばしてきたが、見ないふりでドアを押し開けた。
******
「麗音!」
「フースケ、こっちだゾ」
ギルドから出てすぐに麗音を呼ぶと裏路地の方から麗音が顔を出す。
踵を返す麗音に小走りで付いて行くと、近くの建物の影にコンラッドの背負っている弓が突き出て見えた。
「コンラッド……エレン」
コンラッドの背中で見えないエレンにおそるおそる声をかけると、ずび、と鼻を啜る音がしてコンラッドがどかされる。
正対したエレンは目元と鼻が赤く色付いていて痛々しいのに、絶えず下手くそな笑みを浮かべていた。
「ごめんね、フースケにギルド案内するっていったのに」
「……もう十分してもらったよ。入会手続きも全部終わったって」
「そっか、それなら良かった」
「あの」
「――――じゃ、屋敷に戻ろっか!」
言葉を遮られてムグと口を噤む。今のは俺が悪かった。
当たり前だけど二人にしか知らないことがたくさんあって、それは昨日今日一緒に行動しているくらいの俺に軽々しく話せないほどに大切なものだということは分かってたのに。
……俺を信用していないからとかそういうことじゃなくて。いや勿論そういうのもあるんだろうけど、今の論点はそこじゃない。
それは二人を構成する核のようなもので、俺みたいな第三者が触れることを良しとしないところなんだろう。
ちゃんと『身内』になって共有させてくれる日がくればいいなとは思うけどそれを望むにはまだ早い。
「大丈夫、俺は何も訊かないから無理に笑わなくていいよ。それより昼飯買ってくるからさ、先に屋敷に戻ってて」
「……え?」
「これ鍵な。コンラッドも今はもう大丈夫だろ?」
話しかけても無表情を通り越して能面のようなコンラッドに眉尻を下げる。
よっぽどショックだったんだ。
俺には何となく察することしかできないけど、自分が動けない間に大切な幼馴染が泣かされるなんてどんなに悔しく、悲しく、情けなく思うだろう。
だけどここで俺が同情したり励ましたりするのは間違っていると思う。それが許されるのはきっとエレンだけだ。
俺にできるのはゆっくり二人で話す時間を作ってやるくらいだから。
「それじゃ、また後で。行こう麗音」
「オウヨ」
手を振って麗音をお供に裏路地を歩きだす。確かまっすぐ行けば出店の通りに出るはずだ。
昼飯は何がいいだろう。麗音に甘いものという供物も捧げなければならない。
財布の金を思い出しつつ指折り数えていると、ふとエレンに呼び止められる。
ゆっくりと振り返るとすぐにかけられた、焦って裏返った声の『ありがとう』に俺はくすぐったく笑った。
タイトルを「茜色と涙」から変更しました。内容に変化はありません。




