01話 「何が何だか分からない」
初投稿です。至らない点が多いと思いますが、気長に付き合ってもらえると嬉しいです。誤字・脱字・矛盾した記述等ありましたらご指摘くださいますよう。
ビビビビビビビビビビビ!!
まるで夢の中まで流れ込んでくるような騒音。
俺は考えるよりも早く、腕を布団から伸ばして目覚まし時計をぺしりと叩いて止めた。
初夏とはいえ朝はまだ肌寒い。
冷気に晒された腕をすぐに布団の中に引っ込めて太腿の間に挟む。
……もう一度目覚まし時計が鳴ったら起きよう。
睡魔に抗おうともせずに丸まって目を閉じる。
布団からはみ出ていたのか、冷えた爪先に温かさがじんと伝わった。
ちちちち、と目覚まし時計の代わりを務めるかのように窓の外で鳥が囀るのを、今朝も俺は微睡の中で聴く。
そういやあの時計も長年使っているせいで音が割れてきた。
耳がまだじんじんして痛い、気がする。そろそろ寿命か。
次の、とけいは、おとが……いたくないやつが……いい…………、……………………。
ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ!!!!
とろけた思考と心地よい温もりをスヌーズ機能が無慈悲に奪っていく。
俺は寝起きの癇癪に身を任せ、目覚まし時計を力いっぱい床に叩きつけようと勢いよく布団を跳ね除けた。
……が、途端にふわりと鼻孔を擽った味噌汁と炊き立てのご飯の香りに、何となく興が醒めてしまった。
重い瞼を瞬かせつつ目覚まし時計のスイッチをOFFにする。
急に静かになった部屋は何だか居心地が悪く、すぐにベッドから身を起こしてガリガリと寝癖の酷い後頭部を掻き回した。
――――東邸堂風介、十七歳。誕生日前日の朝のことだった。
******
「おはよう。風介、ちょっとそこに座りんさい」
居間に入った俺を待ち構えていたのは、正座したじいちゃんとその隣で難しい顔をしながら胡坐をかいて座っている親父。
プラス紅紫色の座布団。
じいちゃんは元気でひょうきんでお茶目な自慢の祖父だ。
喜寿も過ぎたというのに白髪の髪がちょっと薄くなったくらいで、俺が小さな頃からあまり変わったように見えない。
新しいものが大好きで、テレビを見ながら居間でプラモデルを制作していたりする。
それにひきかえ親父は絵に描いたような亭主関白。
何があっても腕を組んでむっつり黙り込んでいる。
合気道の師範で、俺も小さいころから合気道のなんたるかを叩き込まれた。
そのせいもあってか、俺は親父がちょっと苦手だ。
…………感謝はしていなくもないけれど。
そもそも滅多に話さないから、何を考えているのかがよく分からないというのもある。
そんな二人の目の前、座布団三つで二等辺三角形を描くように空席の座布団は鎮座していた。
これはここに座れってことだよな。
……俺なんか怒られるようなことしたっけ。
首を傾げつつ座布団に腰を下ろすと、俺をちらりと見た親父が何かを堪えるように腕を組んだ。
その無言の威圧に耐え切れず、俺は大人しく足をしまって正座する。
ごほん、とじいちゃんが咳払いを一つ。
珍しく真面目な顔をしたじいちゃんは、身体の後ろから寄木細工の箱を取り出した。
だいぶ古いもののようで、少し日に焼けていたり角が丸まったりしているが、それでも立派な物なのは疎い俺でも分かる。
暫く箱に見入っていたが、じいちゃんが口を開いたのを視界の端に捉えて俺は箱から顔を上げた。
「風介や。お前も明日でめでたく十八歳になる」
「うん」
「そんでこれは代々受け継がれてきた家宝でな。誕生日ぷれぜんとってことで潔く受け取ってくれや」
「……家宝、って。そんな大切なものを軽々しくプレゼントにしていいの?」
「構わん構わん。一族の長男が十八になる前日に受け継ぐことになっとる」
「一族……」
ほれ、と見た目より恐ろしく軽い箱を押し付けられて、慌てて落とさないように両腕で抱え込む。
そんな俺と箱をじっと見つめたじいちゃんは何故だか寂しそうな、悲しそうな面持ちで、もごもごと小さく口を動かした。
普段はきはきと話すじいちゃんが誰にも聞かれないよう落とす音に、俺は酷く狼狽して親父を見る。
親父は勝手知ったるといった表情で、やっぱり口をへの字に結んでいた。
二言、三言呟いて幾分かスッキリしたように見えるじいちゃんは、座布団に戻るといつものように俺にニヤリと笑いかけて「開けてみろ」と急かす。
……まあ、じいちゃんの一挙一動に振り回されるのは今に始まったことじゃないだろう、と一応自分を納得させておく。
そして促されるまま箱を開け……、開け…………。
「じいちゃん、開かないんだけど」
「お前はほんとうに莫迦だのう。その蓋はな、横に滑らせるのよ」
「…………」
今度は俺が居心地悪げに咳払いをする番だった。
*****
結局あの後母さんに朝飯を促されたり合気道の稽古があったりで、俺は夜になってもあの箱を未だ開けられないでいた。
無機質な照明に照らされた部屋で一人、じいちゃんに朝言われた通りに蓋を滑らせる。
するりとなめらかに開いたそれは、今まで俺が開くまで繰り返し開けられた証拠で。
開けた途端に香る古臭い匂いに俺はなんだか鼻の奥が熱くなって顔を歪めた。
狭い視界で覗いた箱の中。
黄ばんだ和紙をクッション材にして、家宝とやらは薄紅色の布に包まれていた。
そっと柔らかな布を開くと、そこに眠っていたのは一つの風鈴。
お椀型、というか蕎麦猪口に近い形をしている。
口の部分は淡い水色で彩られていて、それ以外のところは半透明な乳白色。
確か菖蒲だか撫子だかといった、名前もおぼろげな薄紫色の花が外身に描かれている。
舌と呼ぶらしい、音を鳴らす部品は全体的に淡い色合いの風鈴の中で唯一、照明の光を反射して鈍く銀色に輝いていた。
そしてその舌には、短冊形に切られた白い和紙が無造作に取り付けられている。
……確かに綺麗だし、古いものではあるらしいけれど「家宝」と呼ぶにはパンチが少し、いや結構、足りない気がする。
あのじいちゃんが勿体ぶって差し出した中身なら、こう、ちょっと錆びついた短剣だったり、全く意味の分からない歪な絵が描かれた陶器だったりしそうなものだが。
何となく釈然としないまま、色落ちした芥子色の麻紐をつまんで風鈴をそうっと持ち上げた。
乱暴に揺らして硝子に傷が付かないように、右手にぶら下がるそれを恐る恐る鳴らしてみる。
「………………んん?」
慎重になりすぎたのか風鈴は鳴らなかった。
小首を傾げて今度は先程よりも大きく揺らしてみるが、何度揺らしても風鈴が音を奏でることはない。
中に和紙でも詰まっているのか?
硝子でできた本体部分を掴んで中を覗きこむが、その中身は普通の風鈴となんら変わりのないもので。
……全くもって意味が分からない。
無意識に強張っていた肩を溜息と共に落とす。
気分を切り替えるようにコキリと首を鳴らし、腕をううんと振り上げて伸びをした。
ぐだぐだ悩んでいても仕方がない。
黙ってじいちゃんに聞きに行くか、と大人しく風鈴を箱に戻そうとした、その時だった。
≪ ダレ? ≫
多分幼い子供の男だか女だか判別のつかない声が響く。
それはちょっと舌足らずで甘ったるく脳を蝕んだ。
ぼとり。
手から風鈴が滑り落ちる。
寝間着代わりのジャージ越し。
右足のくるぶしより少し上のあたりに、硬くて冷たい硝子の感触を感じる。
風鈴は割れずに助かった、と脳が理解した途端に冷や汗がどっと噴き出した。
あ、あああ、危なかった——————!!!!!!
胡坐をかいていた脚に着地したから良かったものの、床に落ちていたら危うく先祖代々伝わってきたらしい家宝がパーだ。そうなったらもう死ぬ覚悟で夜逃げするしかない。
じいちゃんはともかく親父が怖い。死ぬ。威圧感で死ぬ。
と、そんなことはどうでもいい。
いや良くないけれど、とりあえず助かったんだから今は置いといて。
今の、声は、誰だ?
生憎うちは一人っ子だし、遊びに来ている親戚もいない。
そもそもぐるりと辺りを見渡しても、当然俺以外誰も見当たらない。
……となると。
ちらりと脚の上の風鈴に視線を移す。
いや。いやいやいや。まさか。まさか無機物が喋るなんてことは。
……これはフリじゃない! フリじゃないからな!!
だらだらと尚も背中を伝う冷や汗を、意識しないようにして風鈴を持ち上げる。
と、とととりあえずしまおう。
さっさとしまって、さっさとじいちゃんに聞きに行こう!!
もはや半泣き状態の俺に追い打ちをかけるように、またしてもあの声が脳に響き渡った。
≪ フーゴ? ≫
その瞬間、家宝だの硝子だのは頭の中から完全に吹き飛んでいた。
後から思えばどんな動きをしたのだか分からない程のスピードで放り投げるように風鈴を箱へ戻すと、半ば逃げ出す形で部屋を飛び出した。
……だって、あの風鈴(仮)が発した「フーゴ」という言葉。
それは俺にとってあまりにも聞き覚えがありすぎる単語だった。
フーゴ、――――東邸堂風悟とは、紛れもなく俺のじいちゃんの名前なのである。