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様々な獄卒の鬼達が慌ただしく走り回り働いている冥府の役所、地獄の閻魔庁。鬼達の合間を縫う様に広い閻魔庁の中を静かに歩く影が二つ。その二つの影はある部屋の前で立ち止まる。
第一資料室
冥府が関わった重要な案件や危険な妖達に関する調査書類等、最高機密の情報が保管されている資料室だ。冥府の役人の中でも、ごく一部の者しか入れない決まりとなっている。影達は周囲をサッと確認すると、ゆっくりと資料室の扉を開け中へと入って行った。資料室の中は報告書等の書類や書物、巻物等が所狭しと並べられている。影達は二手に分かれ、室内を歩き廻りながら資料の数々を確認していく。
「其処で何をしているの?此処は許可された者しか入れない筈よ?」
突然掛けられた声に振り向くと、其処にはキリッとした目が特徴的な1人の女性が立っている。彼女は2人に鋭い眼差しを向けながら、ゆっくりと歩み寄る。
・・・酒呑童子の補佐の百目鬼か。面倒な奴と出くわしちゃったなぁ。
資料室に入った2人組の内の黒髪の少年の方が、ぺこりと頭を下げながら申し訳無さそうに謝罪する。
「あのっ・・・済みませんっ!間違えて入ってしまったみたいで・・・。」
「間違えた?鍵が掛けられていたこの資料室にどうやって入ったの?」
険しい表情で私が少年を問い詰める。対する少年は、ふぅっと1つ大きなため息を吐いた。
・・・これは誤魔化せそうにないなぁ。
少年の纏う空気が、突如冷たく禍禍しいものに変化する。そして少年がゆらりと頭を上げると、彼から黒い瘴気が溢れ出し鋭い刃となって私に襲い掛かる。私は髪の毛を刃物の様に鋭く尖らせると、瘴気の刃を髪の毛で受け流し防御する。
「侵入の目的は何?」
瘴気の刃を躱しながら、私は真っ直ぐ少年の許へ近付いて行く。
「さぁ?何でしょう?」
少年は悪戯っぽい笑顔でそう答えながら、大量の瘴気の刃を次から次へと作り出していく。私が少年の近くまで迫り、拳をぐっと構えたその時―
トンッ
私の背中を何かが軽く触れる。
「!?」
急いで振り返ると、其処にはお下げ髪の少女が立っていた。少女は幻術により姿を晦ませ私の背後まで移動していた様だ。少女は私の背中に片手を当て、目を閉じている。すると、自分の内側を探られている様な不気味な感覚が私の体を走り抜ける。
「くっ!?」
私は少女と少年の両方を髪の毛の刃で斬り付けようとするが、2人共にサッと躱されてしまう。私は再度攻撃を仕掛けようと試みたが、少年が幻術を発動し2人の姿が霞の様にぼやけていき消えてしまった。2人の姿を捜そうと辺りを見廻したり、部屋の中を探ったりしたが、2人の姿は見当たらない。部屋から去り、逃げ出してしまった様だ。
「百目鬼?何かあったっスか?」
騒ぎを聞きつけた茨木童子が心配そうに話し掛けてくる。
「この資料室に侵入者が現れたの。まだ閻魔庁内にいるかもしれない。閻魔庁内の捜索と、全体に厳重警戒する様に指示を出して来て。」
「!?分かった!!急いで指示を出して、とっ捕まえて来るっス!!」
事態の深刻さを理解した茨木童子は真剣な面持ちでそう答えると、侵入者捕縛の為に部屋を飛び出していった。
「酒呑童子様、緊急の御報告があります。」
茨木童子が去るのを見届けた私は左耳にそっと手を当て、言葉を発した。
『百目鬼か。閻魔庁で何か起こったのか?』
私の頭の中に、落ち着きのある静かな声が響く。
「つい先程、第一資料室に侵入者が現れました。捕まえようとしましたが、幻術で姿を晦まされ取り逃がしてしまい・・・今茨木童子に閻魔庁内を捜索して貰っています。」
私の口から重々しく告げられる報告を聞き、酒呑童子様は『そうか・・・。』と一言相槌を打つ。
『侵入者は、どの様な輩だった?』
「2人組の妖でした。1人は黒い瘴気と幻術を操る黒髪の少年と、もう1人はお下げ髪の少女でした。実は戦闘中、少女の妖に背中を触れられたのですが・・・」
私は説明の途中で一度言葉を切り、一呼吸間を置く。酒呑童子様は黙って私の言葉の続きを待っている。
「その時、私の記憶を読まれたかもしれません。“封印”に関する情報が漏れてしまった可能性があります。」
『・・・それは、少々厄介な事になりそうだな。』
酒呑童子様が苦々しく呟く。
遭遇した時、もっと素早く取り押さえられていれば・・・。私の失態だ。
「申し訳ありません。私が逃がしてしまった所為で・・・」
『いや、そう自分を責めずとも良い。私も直ぐ其方に戻る。それまで、茨木童子達と協力して侵入者について調査を進めてくれ。』
自分の失態に気落ちする私を励ます様に、酒呑童子様が力強く頼もしい言葉で語り掛ける。
「はい。お任せ下さい、酒呑童子様。」
彼の言葉で力を奮い立たせた私は、気を引き締め直し返事をする。酒呑童子様は『うむ。宜しく頼む。』と答えると、私との通信を切った。
酒呑童子様の出張中を狙って侵入するなんて・・・。最近活動が活発化しているという天逆毎の一味かしら。
残された手掛かりが無いか資料室の中を隈なく調べながら、私は遭遇した2人の侵入者の姿を思い返す。
・・・あの“封印”が解かれる事だけは、絶対に防がないと。
胸の中で渦巻く不安や緊張をグッと抑え込んだ私は、資料室に何も手掛かりが無い事を確認してから茨木童子と合流する為に資料室を出たのだった。