第一話―門番に出会う
「お客さん、そろそろ着くよ」
馬車の御者台の方から掛けられた声に荷台で俺は読んでいた本に栞を挟んで、自分の荷物袋に詰めた。
親譲りの栗毛の細い髪に付いた跳ね返りを手のひらで押さえながら、長旅の疲れをほぐす為に座ったまま身体を大きく伸ばす。
思っていたよりは揺れたので快適な環境とは言い辛かったが、微かな疲れはあるものの吐き気などを催したわけではないので問題は無いだろう。
ちなみに今日読んでいたアルバラオー著の『勇者クリアラント伝記』だ。勇者に関する書物としては最も古い部類に入るが、聖王国を中心に今では世界中で売れているシリーズと言える。
勇者クリアラントが十五の若さで旅立った秘話から、勇者の最期をそれまで登場した世界各国の要人たちに看取られながら天寿を全うするシーンなど勇者を憧れる者であれば涙無しには見ることが出来ない名作だろう。
……最も、俺個人の感想としては腹筋を鍛えるのによさそう。ぐらいのものだが。
「しっかし兄ぃちゃん、いくらクリアラント様の本とはいえ馬車の中でずっと本を読み続けるなんてなぁ……いやはや、若くても立派な勇者様ってことかねぇ」
「えっ!? い、いやぁ……あはは」
勇者様なんぞと言われて一瞬びくりとするが、すぐに思い直す。今俺が目指している場所……そこへ行く相手の事を『勇者』と呼称することもあると教えてもらったことを思い出したおかげで勇者と呼ばれて照れるというよくある対応を見せられた。
体を動かし荷台の外に目をやれば、なだらかな坂の向こうに堅牢な城壁と、そのさらに向こうにそびえる城が目に映る。
……いや待て。俺が向かってるのは王都じゃない。説明では城なんてなかったはずだ。あれ、ということは、だ。
「まさか、あれが……」
身を乗り出して驚く俺の姿に気を良くしたのか、短く笑って今までよりも弾んだ声で説明してくれる。
「そうさ。あれが学勇都市クリアラントの誇る、世界最高峰の学術施設……」
「勇者養成機関アカデミア。兄ぃちゃんが掴み取った、夢への切符を渡す場所さ」
学勇都市クリアラント。
今からおよそ三百年前、魔族によって滅ぼされた生まれ故郷へと戻った勇者が再建した村がこうして学びに重きを置く都市へと発展したのには当時の時代背景がある。
村へ視察に来たグランベル王一行が見たのは、四人の子供に剣を教える勇者の姿だった。頭の固い愚臣はその光景に激昂した。
――魔族に剣を教えるとは! 貴様は勇者に飽き足らず魔王にでもなるつもりか!!
そう。勇者が剣を教えていた子供は、全員が魔族だった。だがそれを差し引いてもその男の発言は王にとっては到底見過ごせるものではなかった。
衝動的に剣に手を掛ける王を止めたのは、他でもない勇者だった。怯える子供たちを背に庇いながら、勇者は微笑みを絶やさず言葉を紡ぐ。
――魔族だからとなぜ全ての魔族を否定する? 善い人族も悪い人族が居るのなら、なぜ善い魔族が居ないと思える。私のあの日の宣言に嘘は無い。世界は、人も獣人もエルフも……そして魔族も。皆が手を取り合っていけるのだと信じている。
当時、魔こそが絶対的な悪と信じ切っていた者にとってそれがいかに難しいことかは容易に想像がついただろう。
魔王が居なくなっても、全ての魔物が大人しくなったわけではない。
だが、この混乱の時代で悪事を働く他種族も決して少なくは無いのだ。
王は悟る。勇者はここに学びの場を作るつもりなのだと。種族の壁を取り払い、世界に蔓延る悪の全てと戦う術を、未来ある者たちへと継承する場を作るつもりなのだと!
こうして、聖王国を中心とした世界各国からの惜しみない支援を受けた町は発展を遂げ、天寿を全うされた勇者への感謝を込め、その街の名を学勇都市クリアラントとした。
「いやほんと、なんでそうなる……」
小さい声だが思わず声を出す。前に並ぶ男性が振り返るがなんでもないと分かればすぐに向き直った。
学勇都市の前で馬車を降りしばらく経つが、俺はまだ門の前に居た。半開きになった巨人でも通るのかと聞きたくなる巨大な門をくぐっていく馬車を横目に見ながら、なぜ門の前で降りるか都市の中で降りるかで料金が異なる理由がようやく理解できた。いや、そもそも乗る時に聞けばよかったのか……。
俺の前と後ろに並ぶ長蛇の列。これでも大分捌けて来たので、七人ほど前では鎧姿の男が女性を相手に話をしている様子が見て取れる。
とはいえそれだけならば別に問題ないのだが……視線をさらに動かして門の向こう、反対側に並んだ列へと目を向ける。そちらにも同じ鎧を着た人物が検問をしている。と、そこでその人物の前に居た男が通用口をくぐって行く。次の女性も、荷物を改められていくらか話をする様子を見せた後、同じように都市の中へと入っていくのだ。
向こうが職務怠慢でおざなりに仕事をしているのか、こっちが仕事熱心で必要以上に時間を掛けているのかは判断できないが、それでも並ぶ列を間違えたという気持ちは強い。
「はいはーい、そんじゃ次の人ー?」
意外なことに、あれからそう時間も掛からず順番が回ってきた。反対の列ほどスムーズではないが、それでも対してストレスを溜めずに済んだのは嬉しい誤算だ。
そういえばやたらと時間が掛かって見えた時は女性で、その後は男性ばかりだったような……いや関係ないよな、さすがに。
呼ばれて近づく俺に対して、門番の兵士は少し興味を持ったような表情でこちらを見ている。……見られているし、こっちも遠慮なく見るとしよう。
兜を被っていて耳などは見えないが人族かエルフ族だろうか。サラっとした金髪で切れ目の好青年……なんだか無いと思っていた疑念が強まる。
質の良い鎧を着ているがどことなく着せられてる感があり、あまり頼りになるタイプには見えなかった。
「へーぇ、君若いねぇ? ってことはアカデミアの新入生? あんまし強そうには見えないけどねー?」
あ、嫌いだわこいつ。
軽薄そうとはちょっと思ってしまっていたが言動がこれでは多分印象通りだろう。遠慮ない言葉は場合によっては好感が持てるが少なくともそれは今じゃない。
ここでのやり取りは早めに済ませたいと決意した俺は懐から取り出した紙を突き出すように軽薄兵士に差し出した。
「入学証明書と在住許可証……です」
「ぉ、目上の人にはちゃんと敬語を使う。いいよいいよー、ポイント高いよー君」
書類を受け取りながら子供をあやす様に頭を撫でる相手に心底嫌そうな視線を向けるが無視される。
抜かす、絶対いつか身長抜かす……! 相手は人族の平均身長よりも結構高くてこっちは逆にちょこっと低いがまだ成長の余地は十分にある……!
「えっと何々……ランド=メッカー、君のご両親も勇者ファンってわけだ。……へぇ15歳。技量評価は……うん」
勇者ファン、というのは勇者クリアラントの名前にあやかり、その名前の一部を子供の名前に使ったりすることからだそうだ。ちなみに、クリアとかラントとかアランとかそういった名前をそのまま使うのは不敬罪のように判断され、罰せられるわけではないがたいていの場合いい顔はされないそうだ。
また、アカデミアへの入学は勇者クリアラントが旅に出たのが十五歳だったということから、十五歳からの入学が認められている。
合格に際して、アカデミアから送られてきた技量評価に関して特に何も言わなかった点は……うん、目を瞑ろう。剣術や魔術、力や敏捷性といった才能を六段階で評価されたものなのだが……特に目立った長所があるわけでもないのだから。
「うんうん、特に偽造の疑いは……へぇメルク村の出身なんだ! あそこのハニー酒は絶品なんだよねぇ……何? 今日は持ってきてないの?」
そう言って荷物を改め始めるが、持ってきているわけがない。荷物の底まで確かめて、それでもハニー酒が無い事が分かると分かりやすくガッカリした様子で書類を返してくる。
「はぁ~、メルク村から着といてハニー酒持ってきてないとか……幻滅。マジ幻滅っすわぁ……あ、もういいよー。異常なーし、よーこそ学勇都市へー」
すっかり興味を失ったという様子でおざなりな態度を表す姿に、呆れを通り越して不安すら覚える。おざなりに済ませる門番とパッパと済ませる門番。この様子だと街の中に怪しい人物が何の問題も無く入っている可能性だってある。
これは、少し灸を据える必要があるか。と、拳を握りしめた時、気づいた。
「…………ッ!?」
向けられた殺気は、都合二つ。……向けられた? いや、向けていた?
分からなかった。何時から殺気を飛ばされたのか、その瞬間を気づく事が出来なかった。
「ダーメだよランドくん、大人をからかっちゃぁ」
今までとなんら変わらない声を掛けられて、絡みつくような殺気が嘘のように解けた。兵士が門を挟んだ向こう側へ手を振ると、それを合図に突き刺すような殺気も消える。
「……生意気な真似をして、すみませんでした」
一筋の汗を地面に落としながら頭を下げる。ほんの十年ちょっとばかしの努力を鼻で笑われたような実力の差を感じさせられた。
「あははっ、いいっていいって。正義感溢れる後輩大いに結構。意外と筋は悪くないみたいだしねぇ? 俺はリーウェル。ま、困ったときは頼っていいよん。有償で解決してあげよう」
リーウェルさんの評価を頭の中で修正しながら、「今度良いハニー酒を贈らせてもらいます」と言うとこれまた分かりやすい反応を見せる横を通ると、何かを思い出したように声を掛けられる。
「あぁ、そういえばさ」
「はい?」
「メルク村のエルフはこっちの方がすごいって聞くけど、マジ?」
あ、やっぱこいつ嫌いだわ。
こっちを向いたリーウェルが鎧の胸部に両手を添えて大きく弧を動作を見て、評価を光の速さで再修正しながら、白い目を向けるだけで何も答えずさっさと街の中へと足を踏み入れた。