【89】これから先の選択
学園祭は一日目も二日目も忙しくて、マシロと学園祭を巡る時間はなかった。
他の皆とも時間が合わなくて一人で理留とマシロの占いの館に行ってそれぞれに占ってもらったり、紅緒と留花奈のクラスの演劇も見に行った。
シズルちゃんのクラスは和風カフェは、これまた袴姿が可愛すぎた。
丁度シズルちゃんが小休憩に入るというので、座って一緒にお茶をしたのだけど。
忙しすぎて執事服を脱ぐ暇もなく遊びに行ったため、何故かシズルちゃんと私の記念撮影が始まってしまっていた。
後夜祭でようやく一息つくように、マシロと一緒にダンスを踊る。
そこで発表された今年一番人気のあった出し物で、うちと二組の執事&メイド喫茶が一位を取って、当間くんがかなり喜んでいたのが印象的だった。
皆が輪になって踊るなか、少し抜け出して学園の屋上へ行く。
「ここだと火がよく見えるな」
「そうだね」
マシロの言葉に頷く。
校庭では大きな火が炊かれ、その周りで皆が踊っている。
空気が澄んでいて、見上げれば夜空には星が散りばめられていた。
学園祭で楽しかったことを語り合って、笑い合う。
「なぁアユム。ぼくは、今幸せだ」
ふいにマシロがそんなことを言って。
隣を見れば幸せそうに微笑んでいた。
「こんな風に充実した学園生活を送れるなんて思ってなかったんだ。こういう景色や高揚した気持ちを分かち合いたいと思う誰かが、ぼくにはいなかった」
ぎゅっとマシロが手を握ってくる。
「アユムと恋人になれてよかった。生きてる中でこんなに必死になって、誰かのためにというか、自分のために動いたのは初めてだ」
清々しさを感じさせる口調で、マシロは口にした。
「どうしたの急に」
「なんでだろうな今言いたくなった。たぶんこのイベントが一番学生っぽくて、それでいてもうアユムと一緒にいれる時が少ないからかもな。楽しくて、ずっとこんな時が続けばいいのになんて思った」
噛み締めるようにマシロは呟く。
私も、こんな時が続けばいいのにと、同じ事を思っていた。
マシロが側にいて。
こうやって笑いかけてくれるだけで、心が温かくなる。
もうすぐこのぬくもりが側からなくなってしまう日がくると考えると、苦しくてそんなの考えたくもなかった。
「ねぇマシロ。私、元の世界に帰らないことにしたよ」
真っ直ぐマシロの目を見て、ずっと考えてた事を口にする。
簡単な決断じゃなかった。
でも、もう決めたことだ。
「それは……扉を開けないということか?」
マシロが瞳を見開く。
期待に満ちた眼差しがこちらに向けられていた。
「ううん。扉は開けるよ。私じゃなくて、お兄ちゃんを元の世界に戻してあげたいんだ」
「……そうか。アユムは兄思いだな」
続けた私の言葉に、マシロは微妙な顔になる。
それは落胆にも見えて、ちょっと戸惑う。
「マシロとずっと一緒にいたいって言ってるのに、どうしてそんな顔をしてるの? 喜んでくれないんだ?」
「いやその気持ちは嬉しいんだ。ただ……」
マシロは黙りこんでしまう。
きっと喜んでくれると思っていたのに、苦しそうに目を伏せていて。
それが不安を煽った。
「いやなんでもない。それがアユムの選択なら、ぼくは見守るだけだ」
お決まりの台詞を言って、マシロは微笑む。
けど顔がどこか苦しそうで。
まるで間違ったことを言ってしまったかのように、心に引っかかった。
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慌しかった学園祭は幕を閉じて。
もう季節は冬、十二月になっていた。
『いいバイトがあるんだけど、あんたやらない?』
マシロへのクリスマスプレゼントどうしようかなと考えていたら、留花奈から突然のメールが来た。
前にもやったモデルの仕事。
報酬もかなりよかったので、丁度よかったと引き受ける。
今回も当然のように女性モデルの仕事だ。
留花奈にばっさばっさとした睫毛を付けられ、瞳を強調するコンタクトを入れられて、ファンデーションを塗りたくられる。
手際は鮮やかなもので、その手に触れられていると魔法を掛けられているかのように思えてくる。
「それにしてもあんたって変よね。普段は男っぽくて女顔ってイメージないのに、化粧すると女にしか見えないっていうか。すね毛とかないし、他の男共より細くて筋肉なんてあまりないように見えるのに、運動神経はばつぐんだし」
「やだなぁ留花奈。結構ボク脱いだら筋肉凄くて、男らしい体つきしてるんだから」
謎だわと呟く留花奈を、適当な事を言って誤魔化す。
このギャルゲーの主人公である私には、『周りに男と認識させる力』が働いてるため、実際の性別が女でも周りには男に見えてしまう。
けれど髪と瞳を隠せば、その能力は一時的になりを潜めて、女に見えるようになるのだ。
ちなみに、ずば抜けた運動神経のよさは、このギャルゲーがステータスもありの育成ゲーム的な面を持っていたことによる賜物。
本来ならムキムキの筋肉だるまになっていてもおかしくない運動能力を持ちながら、私はすらりとした外見を保っていた。
「男らしいねぇ? そんな男らしいあんたが、女装してもいいなんて言うと思わなかったわ」
「それはそれ。女装は嫌だけど、お金が色々必要なの」
肩をすくめた留花奈に答える。
「あのぼくっ子にプレゼント買うために、嫌な女装までしちゃうってわけ。ふーん」
「何か言いたいことあるわけ?」
「別に? 幸せいっぱいなようで何よりだわ」
皮肉交じりの言葉に振り向けば、留花奈は笑いかけてくる。
絶対そんなこと思ってないなとわかる、どこか苛立ちの混じった瞳をしていた。
幸せいっぱい……ねぇ?
確かにマシロとの仲はいい。
でも幸せかと言われると、そうでもないような気がする。
マシロと一緒にいたいから、この世界に残ると決めた。
なのに、当のマシロがそれをあまり喜んでくれていないように見える。
それがどうにも気になってしかたなかった。
私と一緒にいるの嫌なのかな。
そんなことを思うけれど、手を繋ぐだけで幸せそうにしてくれるから、それはちょっと違う気がする。
元の世界に帰らないと宣言した時、マシロは期待に満ちた眼差しで私を見ていたはずなのに。
「はぁ……」
「何よ、ぼくっ子とうまく行ってないの?」
思わず溜息をつけば、留花奈がそんな事を尋ねてくる。
「そういうわけじゃないけどさ」
「言ってみなさいよ。このわたしが相談にのってあげる。女心にうといあんたの力になれると思うわよ?」
目の前の鏡ごしに留花奈を見れば、ちょっとにやにやしている。
人の不幸を楽しむ気満々だ。
「一人で悩んだところで、何もいい案なんかでないわよ。ほら、話してみなさい」
「留花奈に話すと余計ややこしくなりそうだからヤダ」
促されて素直な意見を言えば、こめかみをぐりぐりとされた。
「痛い! 痛いって!」
「このわたしにそんな口聞くのあんたくらいよ? こう見えて結構色んな人から相談とか受けるんだから」
「人当たりよさそうな猫被ってるから、皆騙されてるだけだろ!」
「いいから、話しなさい?」
留花奈は本当に強引で、最終的には押し切られた。
「この前マシロに、これから先もずっと一緒にいてほしいって告白したんだ。でも、あんまり嬉しそうじゃなくてさ。ボクの事嫌いになったわけでもなさそうだし、どうしたのかなって」
「なるほどね。付き合うのはいいけど、結婚するのはちょっと……っていう典型的なパターンと見たわ」
少しぼかして話せば、留花奈は自信満々にそんなことを口にする。
「それどういう意味?」
「恋人として遊ぶ分にはいいけど、あんたとの将来が思い描けないってことよ。これから先に不安を感じてるんじゃないの?」
ブラシを横に振りながら、鏡の中の留花奈がしたり顔で言う。
「何だよそれ。ボクのどこがいけないっていうの? わりと頑張ってると思うんだけど」
「そうね、えっと……将来性って意味ではわりとあると思うわ。成績もいいし。顔はまぁそこそこ見れるし。優しいとこもそれなりにあるし、情けないとこはあるけど頼りがいがないわけではないし。子供だって好きそうよね」
少しむっとして問いかければ、留花奈は考えながら口にしていく。
「長男で一人っ子だけど、家庭は中流で跡を継ぐような何かもないし。両親ともいい人そうだし。優柔不断なトコはあるけど、浮気とかそういう真似はしないで大切にしてくれそうだし。うちの親だってあんたのこと気に入ってるしね……って、何でわたしがあんたを褒めなきゃいけないの!」
大人しく聞いていれば、ぺしっと頭を叩かれた。
「なんで今ボク怒られたの!? 留花奈理不尽すぎるよ!」
「……とりあえず、あんたがむかつくという事だけはわかったわ」
「どうしてそんな結論に!?」
結局、相談したけれど殴られただけで終わった。
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留花奈が作業に集中し始めたので、一人でさっき言われたことを考える。
言われるまで頭からすっぽり抜け落ちていたけれど、留花奈の指摘はするどかったのかもしれない。
私とマシロには、この先一緒にいるに当たって、大きな問題があることに今更気づいた。
すっかり忘れていたけれど、マシロは歳をとらないのだ。
それでいて周りから置いていかれることに、マシロは心を痛めている。
仲良くなっても皆いなくなるなら、仲良くなんてならないほうがいい。
別れは苦手なんだとマシロは前々から口にしていた。
自分がマシロといたいという気持ちでつっぱしって、マシロの事までちゃんと見えていなかった。
お兄ちゃんには悪いけど、扉に願うべき事は『マシロを人間にしてほしい』だったのだ。
そうすれば、一緒に同じ時を生きていける。
マシロ言ってくれればよかったのに。
そんな事を思うけれど、扉の番人という立場上、自分の願いを私に押し付けることができなかったのかもしれない。
気配りが足りなかった私のミスだ。
あぁいう事は、将来の不安をちゃんと排除してから言うべきだった。
マシロが笑顔で安心して私の手をとってくれるように、ちゃんと考えなくてはいけない。
それを思うと将来心配なのは、私達の性別だ。
この世界の私は『男』と周りに認識されてるけど、実際の性別は生物学上女で。
マシロは逆に女としてすごしてるけど、実際の性別は男。
この先もしも一緒になって結婚はできても、そのあと色々ややこしい事になるのは目に見えている。
もちろんマシロを養うくらいの甲斐性はあるつもりだ。
十七年はこの生活を送っているし、これから先も男として生きていくことに抵抗はない。私である『今野アユム』自身にも愛着があった。
具体的にどうするかまでは考えてないけど、とりあえずは付属の大学へと通ってそれから考えていけばいい。
ただ、私が子供を生むことになったらどうするんだろう。
『周りに男として認識させる力』が働いている私は、普通の人には男にしか見えない。
そんな私が子供を生むとなると、色々と混乱しそうだ。
会社を休んで隠れて生むとして。
マシロの暗示の力とかをつかって乗り切ったりできるだろうか。
ふいに、「こんな先まで考えすぎじゃないかな? 私達まだ高校生なんだよ」と脳内のもう一人の自分が問いかけてくる。
けれど、私のためにマシロには人間になってもらうんだから、これくらいは当然のような気がした。
マシロにとって、人間になるというのは大きな決断のはずだ。
それは、これから先のマシロの運命を、私が貰うということに等しい。
むしろこの前のアレが軽すぎた。
「……留花奈が言ってたこと、間違ってなかったよ。今度は喜んで頷いてもらえるように、ちゃんと真剣にマシロの将来を考えてるって伝えてみる。ありがとね!」
まさか留花奈に助けられるなんてと思いながらも、少しすっきりして決意のほどを口にする。
鏡の向こうの留花奈は、一瞬何の話だというような顔をしたけれど、さっきまでしていた話を思い出したのか眉をひそめた。
「まさかとは思うけどあんたあの子に、プロポーズでもするつもりなの?」
「プロポーズってそんな大げさなものじゃ……」
怪訝な顔をした留花奈にそんな事を言われ、否定しようとして。
「いや、そうだね。プロポーズかも」
マシロの未来を、私のために変えようとしてる。
これから先も一緒にいてもらうための約束を貰おうとしているのだから、それはプロポーズと言っていい気がした。
「……まだ高二なのに、重いわねあんた」
「卒業してからじゃ意味がないんだよ」
留花奈は呆れたように呟くけれど、高校三年生になって扉の向こうへ行く前に、そのあたりはちゃんとしておかないといけない。
――ちゃんと私が真剣で、マシロとの将来を考えてるってわかってもらわなきゃ。
そのためにはまず具体的にどうするか考えて、周りを固めて。
それからもう一度、今度はマシロが笑顔で頷いてくれるように、きちんとしたプロポーズをしよう。
ぐっと拳を握り締めて、その決意を心の中で固めた。




