【80】マシロのお誘い
「紅緒にちゃんと私たちの事、認めてもらえたらいいね」
学園長の屋敷から出て、マシロの部屋で休憩する。
小さなテーブルに二人向かい合うようにして座って、一息ついた。
「紅緒が応援してくるか、邪魔をしてくるか。どっちに転ぶかはわからない。でも、それはぼくたちを想っての行動だから、あいつの事を嫌わないでやってほしい」
ふいにそんな事をマシロは呟く。
「紅緒は昔から、一度気に入って懐に入れると、どんなことをしてでも守ろうとするんだ。そのために例え自分がどうなってもお構いなしで、手段なんて選ばない」
困ったように口にしながら、マシロは紅緒の事を語って聞かせてくれた。
幼い頃、友人である理留が悪い奴に攫われた時に、紅緒が無茶をして助け出した時の事。
嫌われ役を自分から買って出て、友人たちの仲を取り持った時の事。
飼っていた猫が行方不明になった時、寝る暇も惜しんで探していた事。
紅緒の事を話すマシロの目には、愛情が溢れていて。
二人は互いを想い合う家族なんだなと、それを見ていればわかった。
「そもそも、紅緒があんな男みたいな風を装うようになったのはぼくが原因だ。元々の紅緒は、可愛いモノ好きの普通の女の子だったんだ」
溜息まじりにマシロはそう呟く。
「アユムと出会う前のぼくは、扉の向こうへ行きたくてしかたなかったんだ。それでそれを叶えるため、紅緒はああなった」
マシロを『扉』の向こうへ連れて行く。
そのためには、『扉』を開く権利を得なくちゃいけない。
その権利は、星降祭の劇の主役に与えられる。
主役になるには、星降祭の日に高校三年生である必要がある。
だから紅緒は、留学して一年下に学年を下げた。
主役は、エトワールという特別な生徒たちの中から選ばれる。
だから紅緒は、自分を磨いてエトワールに入った。
劇の主役は男だから、紅緒は男らしく振るまって、その時に選ばれるように努力していた。
紅緒にとって、マシロが大きな存在なんだと、それを聞けば嫌というほどにわかる。
――私のマシロに対する好きは、その愛情に勝てるんだろうか。
勝ち負けなんかじゃないとわかっているけれど、そんな事を思う。
きっと紅緒は、マシロのためなら全てを投げ出せるんだろう。
なんとなくそう思った。
でも、私は?
紅緒と愛情の種類は違うかもしれないけど、マシロが好きだという気持ちは本物だ。
けど私は、マシロのために何もかも捨てられるだろうか。
例えば――元の世界、とか。
元の世界に帰りたい。
そう思うけれど、前よりも強い気持ちじゃなくなってきてることは事実だ。
恋しく思う気持ちはあるのに、帰れないなら帰れないで思い出にできそうな自分がいて。
それに酷く罪悪感を覚える。
大切な家族や、友達を捨てたみたいな気持ちになる。
でも。
――元の世界に戻ったら、今度はこっちが恋しくなる。
それは確信だった。
マシロが側にいないことに、皆がいないことに寂しさを覚えてしまう。
扉の番人であるマシロが、扉は開くと太鼓判を押してくれている。
このギャルゲーの世界において、私を殺しにくる予定だったヤンデレメインヒロインは元の世界での兄で。
宗介と仲良くしている今の状態なら、三年生になっても大丈夫だとこの前少し話した時にそっと教えてくれた。
『扉』を開ける障害は、ほとんどないと言っていい。
三年生になった星降祭の日に、劇の主役になって『扉』を開ける。
そうすれば願い事が一つ何でも叶う。
――元の世界へ帰れますように。
最初の頃のような気持ちで、その願いを口にできる気がしなかった。
『扉』を開けて元の世界へ帰る日を望んでいたはずなのに。
『扉』が開く日までの時間を、タイムリミットのように考えている自分がいた。
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マシロとの話し合いの後。
紅緒は特に、何もアクションを起こさなかった。
私に対する態度は元通りで、マシロとのことを傍観することに決めたのかも知れないなんて都合のいいことを思う。
もうすぐ夏休みだ。
――マシロと付き合って、一年が経つのか。
なんだか感慨深かった。
最初は友達の感覚が抜けなかったけど、今では結構恋人をしていると思う。
放課後はよく一緒に遊びに行くし、そうでなければマシロの部屋で過ごしている。
寄り添うようにしているだけで安心感があるというか、何も気取らなくていいからマシロといるのは心地いい。
デートは放課後に行くことが多く、行く先はゲームセンターや、カラオケに、喫茶店。そしてアニメグッツを専門に扱っているお店が多い。
休日は大抵マシロの部屋でゴロゴロしたり、時には映画に行ったりする。
外に行くとき、マシロは常に制服だ。
ちょっと補導されそうでドキドキするのだけれど、そういう時は暗示を使うから平気だとマシロは言い張っている。
なんで制服ばかり着てるのと尋ねれば、どうやら女物の服がこれしかないようだった。
マシロが女物の服がそろそろほしいから付き合ってくれと言い出して、今日は服を買いにきていた。
「これなんかマシロに似合うと思うんだ!」
「……可愛すぎないか? アユムの選ぶものは少し少女趣味すぎる気がする」
甘いフリルやリボンが付いたワンピース。
けれど過度になりすぎず、清楚で控えめなイメージが沸き立つようなものだ。
すっとした美貌を持つマシロには、こういうお姫様っぽいものが似合うと思うのだけれど、マシロは不満なようだ。
「折角可愛いんだから、こういうの着なきゃもったいないよ!」
「それをいうならアユムが着てくれないか? きっと似合う」
力説すると、マシロが真面目な顔でそんな事を言ってくる。
「こういうのがボクに似合うわけないでしょ。昔だって着たことないよ」
「そうか? ぼくは似合うと思うけどな」
ふっと笑ってマシロはその服を手に取る。
試着室でマシロが着替えて、私にその服を着たところを見せてくれたけどやっぱり見立ては間違ってなかったと思った。
「じゃあ、この服は買うことにしよう。ほかにアユムがいいと思う服はないか?」
「マシロの好みはないの?」
尋ねられて尋ね返すと、マシロは少し悩んだような顔になった。
「好みと言われてもなぁ。自分が着ると思うと、男モノの方が……」
「それじゃ駄目でしょ」
気持ちはわかるけれど、それじゃ本末転倒だった。
女装して学園に通っている以上、マシロが男だとばれないような女の子の服がいい。
「そうなんだよな。だからぼくが着るんじゃなくて、アユムに何を着せたいかって考えると……こういうのかな」
マネキンが着ている服を、マシロが指差す。
透けるような生地のブラウスは甘めで女の子らしいデザイン。短めのズボンは、きっと足が大胆に出てしまうことだろう。
「スカートも捨てがたいんだが、こういう動きやすそうで少し女の子らしいところもある服の方がアユムには似合ってる気がするんだ。元気が感じがするし、アユムは足が綺麗だからきっと似合う」
マシロの目が私に向けられる。
その服を着た姿を想像しているのか目を細められて、妙に恥ずかしくなった。
「っ、これマシロが着るんだからねっ!」
「あぁわかってる。でもぼくとお前は背が変わらないし、体格も似たようなものだからな。ぼくが着れるということはアユムも着れるということだ」
ちょっと戸惑いながらそう言えば、マシロは店員さんにお願いしてマネキンの服を取ってもらった。
それから試着してサイズを確認すると、カゴに入れる。
そんな風に何着か選んで後、合わせて靴や鞄も買う。
「修学旅行の時にも使えるようなパジャマも欲しい」
「それなら絶対コレ!」
凄くキュートで、どこか色っぽいネグリジェ風のパジャマ。
マシロが着たらと想像すると、天使のような愛らしさだった。それだけでテンションが上がる。
「……まぁアユムがいいならいい」
何か言いたそうなマシロだったけれど、それも結局購入した。
結構買ったし、帰ろうとしたら、マシロがまだ買わなくちゃいけないものがあると言い出す。
「何買うの?」
「アユムの水着だ」
「ボクの水着?」
言われて首を傾げる。
「アユム、夏休みぼくと一緒に別荘にいこう」
「別荘?」
突然の提案に、思わずマシロの言葉を繰り返す。
「そうだ。学園長が所有してる屋敷の一つで、プライベートビーチもあるから好きなだけ泳げる。ここからかなり離れているから、ぼくが男の格好をしても問題ないし、アユムが女の格好をしても問題ない」
マシロが私の頬に触れてくる。
「そこなら誰の目もなく、二人っきりになれる。今までアユムと何回かデートをしてきたが、やっぱりぼくは男としてアユムとデートがしたいんだ。もう一年が経つし、記念にもいいだろう?」
甘い視線でマシロが問いかけてくる。
その心遣いが嬉しくて、でもなんだか気恥ずかしかった。
「ありがとう、マシロ」
はにかんで頷けば、ほっとしたようにマシロは微笑む。
「よかった。断られるかと少しドキドキしていた」
「マシロからの誘いを断るわけないでしょ」
胸を撫で下ろすマシロに大げさだなと笑いながら、水着コーナーへと歩く。
男姿のマシロとデートができる。
そう思うと今から楽しみだった。
女装したマシロもとても綺麗で可愛いのだけれど、男の姿をしたマシロも好きだ。
繊細で儚げで、どこか王子様のような外見をしたマシロとは、学園の部屋の中でしか会えない。
同じマシロだってわかってるのだけれど、男の姿をしてる時のマシロが近くにいると、いつもより意識してしまって心臓がうるさい。
側にいると落ち着くのに落ち着かないという矛盾した感覚があって、でもそれが嫌じゃない自分がいた。




