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【76】理留

 留花奈るかなによると、理留りるはこの一週間ろくに食事もしてないようだった。

「いい? これ今日のご飯だから。姉様に食べさせてきなさい。あと、これ以上姉様を傷つけたら許さないから」

 留花奈にそんなことを言われて。

 コンコンとノックしてあと、何も返事がない理留の部屋に、むりやり押し込まれた。


 部屋はカーテンが締め切られていて、薄暗い。

 ゆっくりとベットへ行けば、毛布がこんもりと山になっていた。

「ご飯なら……いりませんわ」

 こもって弱々しい理留の声が聞こえてくる。

「駄目だよ食べないと」

 そう口にすれば、ばっと毛布から理留が顔を出してこっちをむいた。


 真っ赤に泣きはらしたような目元。

 くるくると巻かれていない髪の理留は、いつもと雰囲気が大分違っていたけれど、一週間食べてないというわりにはやつれていなかった。

 むしろ少しふっくらとしたような気さえするのは……気のせいかな?


「……アユム?」

「うん。理留が休んでるって留花奈から聞いて、お見舞いにきたんだ」

 確かめるように名前を呼ばれる。

 ベッドの横にご飯の入ったプレートを置いてから、近くにあった椅子に座った。


「わ、ワタクシ寝起きでみっともない姿で!」

 ばっと理留は毛布にこもってしまう。

「ごめんねいきなり押しかけて。ボク理留が休んでるなんて知らなかったんだ」

 どうして教えてくれなかったのと普段ならいう所だけど、それは飲み込む。

 留花奈の話で、鈍い私でも気づいた。

 これは私のせいだ。


 この世界はギャルゲーの世界で、私は主人公の男の子。

 でも男の子に見えるだけで、体も心も実際には女だ。

 それに加えて私はどこかで、自分が人から好意をもたれるはずがないと思い込んでいた。


 前世では、全く異性からもてなかった私。

 でも女だったのに、女の子からラブレターを貰う事はあった。

 それと同じ程度に、女の子たちの好意を捉えてしまっていた。


 現在の自分が、前世の『前野まえのあゆむ』という女の子じゃなくて、『今野いまのアユム』という男の子だって事をちゃんとわかってなかった。

 だから、理留りるを留花奈をこんな風に傷つけてしまったんだと反省する。


 今ここに私がいること自体、理留にとって迷惑でしかないんじゃないか。

 そうは思ったけれど、やっぱり理留は私にとって大事な友達で。

 一週間も何も食べてないなんて心配だった。

理留りる。ご飯ちゃんと食べないとよくならないよ?」

 風邪ってことになってるからと、留花奈から言われていた。

 そうやって口に出しながら、ふいに足元に何か落ちていることに気づく。


 手にとってみれば、それは開けられたお菓子の包み紙だった。

「……」

 まさかと思って、ベットの下を覗き込んでみる。

 そこには大量の駄菓子。

 開けられた袋もいくつか散乱していた。


「……もしかして、ご飯食べないでこのお菓子ばっかり食べてたの?」

「!」

 がばっとベットの上で理留が跳ね起きる気配があった。

 そちらをみれば、あわあわと顔を真っ赤にしている。


「こんなに駄菓子を食べてたら、ご飯は入らないよね」

「こ、これはですね。ほらあれですわ、あれ!」

 理留は何か言い訳を考えようとしているみたいだったけれど、思いつかないようで、あたふたとしていた。


「駄目だよ、病人なんだからちゃんと栄養のあるもの食べないと」

「い、いりませんわ!」

 理留はつくろうことをあきらめたのか、ツンと顔を逸らす。


「駄菓子だけだと栄養偏るでしょ。ほら野菜入りの雑炊」

 まだ意地を張ろうとする理留の口元に、雑炊をすくって持っていく。

 理留は戸惑った顔になった。


 熱いかなと思って、息をふきかけて冷ましてから、もう一度理留の口元へ持っていく。

 そしたら理留は、顔を赤くしながら口をゆっくりと開けた。

 こうやれば食べてくれるようだった。


 ……あっ、もしかしてこういう事しちゃ駄目だったのか。

 やって後で、自分の行為が女の子に対して慣れ慣れしすぎることに気づく。


 前世の自分が男にこういう事をされたらどう思うか。

 仮にそうやって考えてみて、ようやくこの行動がなかなかに思い切ったものだということに気づいた。


 自分の行動を振り返ってみる。

 あーんなんていうのは、親しい理留にしかやってなかったけど。

 他にもさらりと女の子を褒めたり、困っていたら当たり前のように手を差し伸べてきた。


 仮に、前世の自分が今の私に出会ったのなら。

 どんな天然タラシだと思うに違いない。

 無自覚だったとはいえ、今思うとなかなかにアレだった。


「……アユム」

 一人反省していたら、食べ終わった理留が私を上目遣いで見つめてくる。

 少し潤んだ瞳をしていたけれど、息を吐いて。

 それから何かを決意したように私を真っ直ぐ見た。


「聞きましたわよ。彼女さんができたんですって? どうして友達であるワタクシに、一番に教えてくれないのです」

 少し拗ねたような様子を作って、理留が呟く。

「アユムの友達として一番に祝福するつもりでいましたのに。人づてに聞いてショックだったんですからね。今度ちゃんと紹介してくださいな」

 そう言って理留は笑った。

 いつもと変わらない調子で。


「ごめんね、理留」

 謝れば理留は、本当ですわと口を尖らせる。

「ちゃんと彼女さんを大切にしてあげてくださいね。今度お茶会に誘いますから、彼女さんもつれてきてくださいな」

 明るくそう言って、理留が手を握ってくる。


 理留の柔らかい声の中に、どこか苦しさを押し隠す響きがある。

 気づいてはいたけれど、理留が気づかれたくないみたいだったから、知らないふりをして頷いた。


 本当に、理留は良い子だ。

 私にはもったいないくらいに。

 もう一度心のなかでごめんねと謝ってから、わかったと頷けば。

 理留は約束ですよというように、笑った。




●●●●●●●●●●●●●●●●●●


「はじめましてマシロさん。ワタクシ、アユムの大親友の黄戸理留ですの。あなたとお友達、いえ大親友になりたいのですわ!」

 後日理留はお茶会を開いて、マシロと私を呼び出した。

 いきなりそんな事を宣言すると、力強くがしっとマシロの手を握る。


「えっ、いやその……」

 理留のこの行動に驚いた私だったけれど、それ以上にマシロが焦っていた。

 助けを求めるように、どういうことだと私を見つめてきたけれど、それはよく私にもわからない。


「アユムから聞きましたの。お家の事情であまり学校に通ってなく、友達も少ないのだと。あなたの事を何かという子たちもいますが、ワタクシはマシロさんを応援していますの。アユムが選んだ方ですもの間違いはありません」

 そっと自分自身の言葉を噛み締めるように胸に手を当てて、理留は呟く。


「友達の友達は友達。それと同じように、友達の彼女は彼女……もとい友達だとワタクシは思うのです。アユムは少し鈍いところもありますでしょう? 女友達もいた方が何かと相談しやすいと思うのです」

 純粋で澄み切った瞳に見つめられ、マシロがたじろいだ。

 理留の私に対する想いのベクトルは、別の方向に向いてしまったようで。

 その恋を応援するという使命感のようなものに、瞳が燃えていた。


 切り替えが早いというか、極端なのがある意味理留らしいような。

 これから先も友達でいてくれるつもりなんだということに、ほんのりと胸が温かくなる。


「安心してくださいな。アユムをあなたから奪おうなんて気は全くありません。ワタクシたちはそういう関係ではなく、男女の枠を超えた親友なんですから!」

 いっきに喋ってから、理留はお近づきの印にとマシロに紅茶を勧めてくる。

 理留が一番お気に入りの、最高級アールグレイの紅茶だ。


「気持ちはありがたいんだが、黄戸さん。別にぼくは友達なんて……」

「理留と呼んでくださいな。ワタクシはあなたのことをマシロと呼びますから」

 おずおずと言ったマシロだったけれど、にっこりと理留に微笑まれて、はいと呟く。

 意外とマシロは押しに弱いようだった。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●


 それからというもの、マシロに理留が構うようになった。

 私を放課後のお茶会に誘う代わりに、マシロを誘うようになって。

 理留とマシロが仲良くなった事により、周りがあまり私とマシロに対して騒ぎ立てることがなくなった。



「理留はアユムに少し似てるな」

 冬も始まったある日。

 学園にある隠し部屋に行くと、マシロがそんな事を呟いた。

「えっ、どのあたりが?」

「お人よしで、暴走しがちなところがだ」

 言われたことなくて尋ねるとマシロが笑う。


「理留はアユムが好きなんだろう? 本人が自分の気持ちに気づいているかまでは知らないが、本気でお前のために何かしたいと思っている。ぼくのためにっていう気持ちもちゃんとあって、それでいて力になろうとしてくれてるのが伝わってくるんだ」

 普通は嫉妬とか妬みとか、そういう感情を抱くところだと呟きながら、マシロの表情は柔らかい。

 向かい合うようにして座るテーブルに、マシロが私の分のココアを置いてくれた。



「……こういうのはあまり言いたくないんだけどな。アユムと付き合ったことで、ぼくに嫌がらせをしてくるヤツが何人かいたんだ」

「えっ!? どうして言ってくれなかったの?」

 ぼそりと呟やかれた言葉に、思わずテーブルから身を乗り出す。

 落ち着けというようにマシロが手で制してきた。


「本人が出てきたところで余計にややこしくなるだけだ。それにこういう嫌がらせの類で傷つくような繊細さは持ち合わせてない。くだらないこともするヤツもいるなと思うだけだ」

「でも……」

 淡々と告げるマシロは何てことないようにいうけれど、嫌がらせなんて許せなかった。

 それが私のせいだとすると尚更だ。


「安心しろ、もう嫌がらせはない。理留がその犯人を捕まえてくれた。親友に手出しするなら、ワタクシが相手になりますわって言ってな。物凄く格好よかったなあれは」

 いい友達を持ったなと、マシロが笑いかけてくる。

 そうやって庇われたのは初めてだとマシロは呟いた。


「でしょ? 理留ってもの凄くいい子なんだ!」

「あぁ本当にな。もうかなり仲良くなったぞ。明日は一緒にカフェでお茶を飲むことになった」

 マシロが理留のよさを分かってくれたのが嬉しくてそう言えば、マシロは楽しそうに笑う。


 その嬉しそうな様子に、少しもやっとする。

 二人が仲良くなったのは素直に嬉しいはずなのにだ。


「どうした?」

 私の些細な変化を、マシロは敏感に感じ取ったみたいで瞳を見つめてくる。

「……いや、何でもないよ?」

「何でもなくはないだろう。アユムはすぐ顔に出る」

 マシロが心配そうな顔で、こちらの瞳を覗き込んできた。

 そうやられると心の声というか、心音さえ聞かれてしまいそうで焦った。


 ――理留とマシロが仲良くなったことが、ちょっと面白くない。

 心がもやっとした原因に気づいて、我ながらなんて心が狭いんだろうと思う。


 マシロが自分以外の女の子と仲良くしてるのが、嫌だ。

 理留は私のために仲良くしてくれてるっていうのはわかるし、見当違いな嫉妬だってこともわかってるから、マシロに知られたくは無かった。

 物凄く格好悪いし、それに。



 ――これじゃ私、マシロの事を好きみたいだ。

 


 マシロを恋愛的な意味で、好きになろうとは決めた。

 でもそれは努力の途中のはずで。

 いつから私は、こんな小さなことで嫉妬してしまうくらい、マシロを想うようになってたんだろう。

 

 きっかけがわからない。

 友情から好きに変わった瞬間がわからなくて、突然自覚して戸惑う。

 トクトクと心臓がうるさかった。


「……アユム?」

 いつの間にかマシロはすぐ側まで来ていた。

 私の頬に手を添えてくる。

 マシロは私の頬を触るのが好きみたいで、よく触れてくるのだけれど、これがまた心臓に悪い。


 ――私、いつからマシロが好きになってた?

 恋人だからという理由で、部屋にいるときマシロと私の距離は大分近くなっていた。

 テレビを見るときも、ゲームをするときも肩が触れ合いそうなくらいに近い。

 緊張からドキドキしているんだと思っていたけれど、それはもしかしたら途中から違ってきていたのかもしれない。


 白く透き通るような肌に、人形のような目鼻立ち。

 いつ見ても綺麗だなという月並みな言葉しか出てこない。

 唇は柔らかそうで、そんなところを見てる場合じゃないのに、妙に目が行った。

 ふっとその唇が弓のように笑みを作って。

 ゆっくりと私の唇と重なる。


「!?」

「……ようやくアユムもぼくと同じ気持ちになってくれたんだな?」

 あまりの事に目を見開いて固まれば、優しく抱きしめられて耳元で囁かれる。

 嬉しさが抑えきれないというような声に、マシロに心を読まれてしまったんだと気づいた。


「マシロ酷いよ! 勝手に心を読むなんて!」

「読んだわけじゃない。これは体質みたいなもので、聞きたくなくても聞こえてくるんだ……ちゃんとアユムの口から聞きたい」

 恥ずかしさから叫ぶと、マシロが体を離して真っ直ぐ目を見つめてくる。

 逃げ出したいのに、腕をがっしりつかまれてるから逃げられない。こんな時だけマシロの力は強かった。


「わた、私は……マシロが」

「ぼくが何だ?」

 言葉にするとなると恥ずかしくてしかたなくて、黙り込むと催促するようにマシロが尋ねてくる。

 ちょっと意地悪な口調には、期待の混じる甘い響きも混じっていて。

 その事に動悸が激しくなる。


「……好きです」

 消え入るような声で口にすれば、幸せそうにマシロの顔が綻んだ。

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