【73】変わっていく関係
「一緒に学校に行くぞ」
こんな朝早くから誰だろうと思って、パジャマのまま玄関へ行けば、マシロが制服姿でそこに立っていた。
「……マシロ? なんで?」
あのマシロが自分から学園の外に出ている。
しかも自分から学校に行くだなんて。
「あっ、なるほど。夢か」
「酷い言われようだな。ぼくだって外くらい出る。今まで出たがらなかったのは、特に出る理由もなかったからだ」
納得しかけた私に、マシロはそう言って玄関のところに腰を下ろした。
「仕度するまで待っている」
「えっ、あっうん。急いで準備するね!」
戸惑いながらも急いで制服に着替え、家を出る。
マシロとこうやって通学路を歩く日がくるなんて思ってもみなかった。
――それにしても、マシロって絵になるよなぁ。
朝の光を浴びながら、横にマシロが制服姿で歩いてる。
背中の真ん中まである髪は、きらきらと輝く銀の糸のよう。真っ赤な瞳は宝石みたいで、おもわず溜息を付きたくなるような幻想的な美少女がそこにいた。
綺麗で、思わず眺めていたくなる。
「……アユム、思考が聞こえてくるんだが。綺麗だのなんだのと、少し恥ずかしい」
マシロが少し赤い顔で、困ったようにちらりと私を見て呟く。
「あっごめん」
ぱっと視線を逸らす。
どうやらじっと眺めすぎて、心の声がマシロに届いていたらしい。
マシロは強い人の感情を聞き取ることができるのだと、高等部に入ってから教えてもらったのだけれど、まだ私はそれに慣れてなかった。
「アユムは気に入ってくれているようだが、正直ぼくは自分の顔が好きじゃない。どうせならもっと男らしい顔がよかった。女顔だからって、学園長に玩具にされているしな」
女顔なのをマシロは気にしているみたいで、面白くなさそうにそんな事を言う。
「そう? 私はマシロの顔好きだけどな。女装だってとても似合ってて、可愛いと思うのに」
「……」
マシロは眉をよせて黙りこむ。
ちょっと怒らせたかなと思ったら、はぁと小さく息をついた。
「ごめんマシロ。可愛いとか言われるの嫌ならもう言わない」
「そうじゃない。お前が好きだと言ったくらいで、この姿も悪くないかもしれないと思った自分にびっくりしただけだ。どうせなら男の姿で側にいたかったんだけどな」
謝ればそう言って、マシロが私の手を握ってきた。
「えっと?」
戸惑って思わず足を止める。
駄目か?と問いかけるようにマシロが視線を寄越してきた。
マシロが積極的だ。
こんなこと今までなかったから戸惑う。
見た目美少女だけど、マシロの手はやっぱり大きめで。
それを意識したら妙に恥ずかしくなってきた。
初等部の頃は手を繋いだってこんな気持ちにはならなかったのに。
でも、これはマシロから踏み出してくれた証だ。
自分からどんとこいと言ったのだから、それに応えなきゃ。
憧れは少しあったけど、恋人と手を繋いで登校なんて難易度の高いこと前世でもしたことない。
はっきり言ってもの凄く恥ずかしい……けど。
覚悟を決めてギュッとマシロの手を握り返して歩き出す。
顔に熱が集まるのがわかった。
横を見れば、マシロも私と同じように真っ赤で。
それでいて嬉しそうに頬が緩んでいた。
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「折角楽しみにしてたのに、続きは映画版でみたいな引きは卑怯だと思うんだよね」
「あぁそれはわかるな」
お昼休みになれば、マシロと他愛のない会話をしながらご飯を一緒に食べる。
それはここ最近、当たり前になった光景だ。
でも、何かが違う。
主にマシロの私を見る目が。
その視線に甘さとかそういう成分が含まれているというか。
気づいてしまうと目をあわすことが出来ない。
今までそんな風に私を見たりすることなんてなかったのに。
一瞬そう思ったけど。
ふとした時に、マシロはこういう目で私を見ている事があった気がした。
「気になるなら、ぼくと一緒にその映画を見に行くか?」
頬杖をついて、私を見つめるその動作が妙に色っぽくて焦る。
「い、いやいいよ。なんか負けたような気になるし」
「あぁその気持ちはわかる。ただ続きは気になるから、レンタルで落ちてくるのを待って部屋で一緒に見ることにしよう」
ふっとマシロは笑う。
そういう笑顔を見たのは、久しぶりだと思った。
初等部の時はなにかとそんな風に、無邪気にも見える笑い方をマシロはしていた。
けどいつからだったか。
マシロはそういう風には笑わなくなっていた。
思い返して考えれば、それは私が自分の事情を話してからのような気がする。
きっとそれはマシロは『扉の番人』で、私が扉を開ける者だと気づいてしまったからだったんだろう。
自分の事でいろいろ心配かけてたんだな。
同時に、自分がこんなにもマシロに影響を与えてるのかと思うと。
――なんだか胸の奥がもぞもぞとした。
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「アユム、帰るぞ」
放課後になって、マシロが教室にやってきた。
まだ教室に残っていたクラスメイトの何人かが、マシロを見てざわつく。
マシロは結構目立つ外見をしているし、密かに男子の中では人気があったりするのだけれど、本人は全く気にした様子はなかった。
教室までマシロが迎えにくるなんて初めてのことだ。
戸惑いながらも少し待ってと声をかける。
「今野、最近あの六組の子と仲いいよな」
「珍しいね。白雪さんが教室に来るなんて」
教室の後方で、私とお喋りをしていた吉岡くんと宗介がそれぞれに呟く。
宗介と吉岡くんに、私はまだマシロと付き合い出した事を言ってなかった。
「……実は付き合ってるんだ」
この際だからと小声で口にすれば、吉岡くんは目を大きく見開く。
「えっ、あの子と?」
「うん」
吉岡くんは呆然としていたけれど、しばらくして意味を理解したかのように身を乗り出してきた。
「どうして教えてくれなかったんだよ! いつから?」
「夏くらいからだよね、たぶん」
吉岡くんに、私の側にいた宗介が答える。
宗介は私が言わなくても、何となく気づいていたようだった。
「てっきり、付き合うなら黄戸姉とだと思ってた……まさか転校生だなんて、大変な事になりそうだな」
「そうだね」
吉岡くんの台詞に、宗介がちょっと同情するかのように相槌を打つ。
「大変なことって?」
尋ねれば吉岡くんは何かを諦めたような、それでいてちょっと呆れたような視線を私に向けてくる。
「今野ってさ、かなり鈍いっていうか。少し天然入ってる気がするな」
「そうかも」
吉岡くんの言葉に、宗介は苦笑いを浮かべて同意した。
いったい何なんだ。
二人の態度にちょっと釈然としないものを感じながら、鞄に教科書をつめる。
この前の席替えで私の席は、廊下とは反対側の一番後ろの席になっていた。
「今野アユムはいるかしら?」
ふいに名前をフルネームで呼ばれた。
通るその声に、教室の入り口の方を見れば。
にこぉっと危険な笑みを浮かべた留花奈がそこに立っていた。
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何故か留花奈の機嫌は最悪だ。
怒りが笑顔に変わるタイプの留花奈なので、これは相当に腹が立っていると見た。
何故機嫌悪いのかは知らないけど、今までの経験から言って姉である理留絡みなんだろうと当たりをつける。
また理留に誰かがデートを申し込んだんだろうか。
関わると面倒そうだなと思っていたら、ずかずかと留花奈は教室に入ってきて、私の前で立ち止まる。
「留花奈、何か用? 今から帰るところなんだけど」
「帰るってあそこにいる、六組の白雪マシロさんと一緒に? 今日の朝も一緒に仲良く手を繋いで登校してきてたみたいだけど」
尋ねれば留花奈は、教室の入り口の方を指してそんな事を言ってきた。
「……見てたの?」
「わたしが直接見たわけじゃないわ。でも耳に入ってきたの。もう噂はかなり広がってるわよ」
留花奈の言葉に恥ずかしさから頭を抱える。
噂が伝わるのが早すぎる。
この学園の生徒は皆暇なんだろうかと言いたくなった。
「あんた、あの子と付き合ってるの?」
直球で留花奈は尋ねてくる。
からかわれるかなと思ったのだけれど、その目は思いのほか真剣に私を見ていた。
教室の中はさっきまで騒がしかったのに、急に音をなくしたかのように静まり返って、私の返事を待っているかのようだった。
――なんて答え辛い状況なんだ。
皆が耳を澄ませているのがわかる。
別にマシロと付き合っていることを隠すつもりもないけど、わざわざ皆の前で宣言するつもりも全くなかった。
どうしたものかと固まっていたら、入り口の方にいたマシロがこちらに歩いてきて。
留花奈と向き合うようにして私の側に立った。
「あぁそうだ。ぼくとアユムは付き合っている」
そう言って、マシロが私の手をぎゅっと握ってきた。
まるで留花奈に見せ付けるように。
ざわっと教室が色めき、留花奈は目を見開いて口を大きく開けた。
「悪いがこれからアユムはぼくと放課後デートなんだ。用があるなら遠慮してくれるか」
なぁアユムというように、マシロが余裕すらある視線を私に向けてきた。
マシロ何言ってるの!?
放課後デートどころか、一緒に帰る約束も実はしてなかったのに!
普段のマシロならしないであろう行動に、戸惑って声がでなかった。
「……へぇなかなかいい度胸ね、あなた」
留花奈は固まっていたけれど、ゆっくりと口元に引きつった笑みを浮かべた。視線の中にマシロへの敵意のようなものが宿るのが見えた。
「それはどうも」
けど、マシロは全く気にした様子もなく、いつものように気だるげに答える。
この殺気に気づいてないんだろうか。
「あの転校生恐れ知らずだな」
「すげーこれ、面白い事になりそう」
留花奈を知るクラスメイトたちが、それを見て無責任な事を口々に呟く。
バチバチとふたりの間で火花がというよりは、留花奈が一方的にマシロを睨んでいた。
まずい雰囲気だ。これ私のせいなんだろか。
戸惑っていたら、マシロに手を引かれた。
「面倒だ。行くぞアユム」
「えっちょっとマシロ!?」
そのままマシロが走り出す。
背中の方から、ちょっと待ちなさいと叫ぶ留花奈の声。
けれどマシロは止まることなくて、いっきに三階から一階までかけおりて、校門を抜けて。
それから学園のすぐ側にある公園で、ようやく止まった。
「大丈夫? マシロ」
「いや、全力疾走、したから……」
息一つきれてない私に対して、膝に手をついたマシロは息をするのが苦しそうだ。
普段部屋からでないマシロに、あの運動量は激しすぎたようだった。
「皆驚いた顔でこっちを見てたな。まるでマンガみたいだったと思わないか」
息が少し整ってから膝に手をついたまま、ははっと楽しそうにマシロは笑った。
「笑ってる場合じゃないよ! あれ絶対留花奈に目を付けられちゃってるよ!」
留花奈の恐ろしさは、私がよくわかっていた。
はっきりいって留花奈は、敵と見なしたものに容赦はしない。
「こういうマンガに載ってるような無茶をしてみたかったんだ。青春というか、普通の人間という感じがするだろう?」
一度経験した私だからこそ焦ってそう言ったのに、笑い終えたマシロは清々しい顔をしていた。
「マシロ、今日なんかいつもと違うよね。なんか普段のマシロらしくないというか」
「そうか? ぼくは今日のぼくが今までで一番ぼくらしいと思うぞ。誰だって好きなことを好きなようにやる時が、一番その人らしいだろ」
朝から思っていた事を言えば、マシロはそう言って姿勢を正した。
「今まででぼくは自分の望みのために動くことはなかったんだ。そもそも、そんな強い願いも持ったことはなかった」
けど、とマシロは続ける。
「アユムに出会って、ぼくはお前の側にいたいと思うようになったんだ。けどこんな風に恋人になりたいなんて、大それた事は考えてなかった。例えその最後がどうなろうと、見届けることができればいいと思っていたんだ」
真っ直ぐに私を見て、それからマシロは微笑む。
「ぼくの言動にアユムが振り回されて、選択肢を間違ったなんて言われるのを恐れていたけれど」
ゆっくりとマシロは近づいてきて、頬に触れてくる。
「これからは、惑わしてでもぼくを選んで貰えるようにしていくつもりだ。望んでいいとアユムが言うのなら、ぼくはアユムと本当の恋人になりたい」
ふだんより低く色気を含む声。
細くて長いマシロの指が頬をつっとなぞり、ぞくりとした感覚が背筋に走る。
まるで言い聞かせるようなその口調に、覚悟していてほしいと言われた気がした。




