【6】シズルちゃんとアユム
「お兄ちゃん!」
とてとてと走ってきた幼女に、ぎゅっと抱きつかれる。
頭の両端をちょんと結んだ、子犬のような髪型に無邪気な笑顔。ワタシよりひとつ年下だけど、三月の後半生まれのせいか、同年代の子に比べて大分幼い。
無垢な小動物を思わせるこの子は、アユムの従兄妹のシズルちゃんだ。
おじさんたちが仕事で忙しいとき、時々うちにあずけられるのだけど、私にとても懐いてくれている。
今日も明日も休日で、シズルちゃんを預かることになった。前世では兄と二人兄弟だった私は、妹という存在に憧れていたので、シズルちゃんの事が可愛くて可愛くてしかたない。
「これ、シズルが描きました。お兄ちゃんにあげます!」
つたないレヨンの絵からは、一生懸命さが伝わってくる。
「もしかして、これはボクかな? すごく上手にかけてるね」
「はい!」
わかってもらえてうれしいのか、にぱぁっとシズルちゃんは笑う。やばい天使すぎる。癒される。宝物にしようと心に誓った。
「おじさんの絵はないのかな?」
「お兄ちゃんだけとくべつです」
喋りかけてきたアユムの父さんを警戒するように、シズルちゃんは私の後ろに隠れてしまう。
「本当に、アユムにしか懐かないなぁ」
父さんは若干寂しそうに呟く。
シズルちゃんは、本来とても人見知りな子なのだ。けど、私には心を開いてくれている。
この世界で目覚めてすぐの心細かった頃。病院から退院する日に、シズルちゃんは花束を届けにきてくれた。
シズルちゃんのお父さんは、アユムのお父さんの弟だ。今まで離れた街に住んでいたらしく、アユムとシズルは正真正銘の初対面だった。
病院にくる人といったら、アユムを知っている親戚ばかり。
本当にわすれちゃったんだねという言葉や、まなざし。気にしないようにと思ってはいたけれど、どこか罪悪感と疲労感があった。
だから、はじめて私を見るシズルちゃんの視線が、とても新鮮だった。
花束を渡しにきたのに、緊張しているのかお母さんの後ろに隠れてしまう。
初めて見るものに興味津々なのに、怖がってどう接していいのか分かりかねている表情。
この子は、アユムをまだ知らない。
そう思ったら、自然と体がうごいていて。
「はじめまして、シズルちゃん。ボクはアユム。仲良くしてね」
私はシズルちゃんに目線を合わせて、微笑んでいた。
くりくりとした目が大きく見開かれて、ゆっくりとお母さんの後ろから出てきたシズルちゃんが真っ赤な顔で花束をくれた。
「はじめ・・・・・・まして、お兄ちゃん。退院おめでとうございます」
か細くて小さな声。精一杯という感じが伝わってきて、たまらなくなった私は思わず可愛いと抱きついた。
初めはうろたえていたシズルちゃんだったけど、一緒におしゃべりしたりするうちに、だんだん打ち解けてきて。
両親は私のこの様子を喜んで、シズルちゃんをよく預かるようになった。
学校もしばらくは休む事になっていた私は、暇人だった。だから、幼稚園が終わるとやってくるシズルちゃんのことをいつも楽しみにしていた。
けど、シズルちゃんが小学校に上がって、私も学園に通うようになってからは、なかなか会う機会がなかった。
だから大分久々の再会だ。
「小学校はどう? もう慣れた?」
「・・・・・・友達できたけど、まだなれないです」
人見知りなシズルちゃんのことが心配な一方で、自分だけに心を開いてくれているという優越感があるのも、また事実。
その暗い顔を私が明るくできるなら、そうしてあげたかった。
「今日は何して遊ぼうか。シズルちゃんが好きなことでいいよ」
「本当ですか?」
キラキラとした目で、シズルちゃんが私を見る。
「シズル、おままごとしたいです。シズルがお母さんで、お兄ちゃんがお父さん」
「うんいいよ」
おままごとか。前世でも小さいころは、女の子たちとよくやってたなぁ。あの頃もなぜかいつもお父さん役だった気がするけど。
私の部屋を家に見立てて、おままごとがスタートする。私は会社帰りのサラリーマン設定だ。
「ただいま帰ったよ」
「おかえりなさい、あなた!」
エプロンをつけたシズルちゃんが、部屋の外からやってきた私を迎える。
「今日のご飯は何かな?」
「あなた、大切なこと忘れてない?」
首をかしげるシズルちゃんは、演技がかっている。口調もいつものですます調じゃない。たぶん、シズルちゃんのお母さんを真似しているんだろう。
「ん、何かな?」
「もぅ、おかえりのキスを忘れてますよ!」
そういって、んとシズルちゃんがぷくぅと頬を膨らませる。
これ、シズルちゃんの家での光景なのかな。おままごとって、家の事情がこんなに筒抜けになってるんだ。子供の身になるとちょっと怖いものがあるなぁ。
「あなた、早く」
シズルちゃんに急かされる。上目づかいがキュートだ。
あまり照れもないようだし、これがシズルちゃんにとっての当たり前なんだろう。
目を閉じて、んと背伸びして。唇をこちらに向けてるけど、そこにキスしろってことなんだよね。
ちょっと悩んでから、私はシズルちゃんのさらさらの前髪をかきあげて、おでこにちゅっとキスをした。
「お兄ちゃん、ここおでこですよ? キスは唇と唇でするのです」
「例えおままごとでも、それは駄目。こういうのはね、いつか本当にシズルちゃんに好きな人ができたときのために、とっておかなきゃ」
自分で言ってて、乙女かと痒くなる。
小さい頃のキスなんてノーカウントかもしれないし、シズルちゃんにするくらいどうってことないけど、やっぱり抵抗あるしね。
「でもシズル、お兄ちゃんのこと大好きですよ? お兄ちゃん、シズルのこと嫌いですか?」
曇りのない瞳で、シズルちゃんはそんな事を聞いてくる。
「好きだよ。でもね、そういう好きじゃないんだ。こういうのは、大人になってから、結婚した相手とするものなの」
なんで恋愛経験もほとんどない私が、小さい子にこんなことを話しているんだろう。妙に焦っている自分がいた。
「じゃあシズル、大人になったら、お兄ちゃんと結婚します!」
迷い無く、シズルちゃんは宣言した。
シズルちゃんは、好意を隠さない。心の中にあるものを、そのままポンと見せてくるから、こっちも抵抗できないし、適当に返すこともできなかった。
これって困るけど、こんなに好かれてるって思うと、正直かなり嬉しかった。
「シズルちゃんが大人になって、ボクのことをまだ好きで、凄く素敵な人になってたら、考えてあげるね」
ちょっと上から目線かなと思いながら、そんなことをいうとシズルちゃんは私に抱きついてきた。
「わかりました。シズル頑張ります! お母さんみたいに可愛いお嫁さんになって、お兄ちゃんと結婚します!」
意気込んでいるシズルちゃんは、思わずぐりぐりしたくなるほどに愛らしかった。
もうすでに一人でお風呂に入れる私は、シズルちゃんをお風呂にいれてあげることにした。
誰かのシャンプーをするって、考えたら初めてで、ちょっと難しかった。
服を着せて、ソファーでタオルを使い髪の水気を拭いてあげる。シズルちゃんの髪は柔らかく、そして青みがかっていた。
私をお兄ちゃんと呼んでくる『妹』のような存在。
シズルちゃんはもしかして『そのド』のヒロインの一人である『妹』キャラなんじゃないか。
この前『そのド』についてまとめたときに、私はそんなことを思った。
『そのド』のヒロインは、髪の色が特殊で、名前に色が入っている。
シズルちゃんの髪色は、青色だ。これはかなり怪しい。
そう思った私だけど、よく見たらアユムも髪色似てるんだよね。鏡を見ても、アユムとシズルの髪色は似ている。シズルの方が明るめの色かなというくらいの違いだ。
宗介の親である山吹家の人たちも、身内だからか宗介と似た山吹色の髪をしているし、アユムの両親も青みがかった髪色だ。髪色には遺伝的な要素があるのかもしれない。
そう考えると、アユムの従兄妹であるシズルちゃんが青い髪でもおかしくない。
あと、シズルちゃんがヒロインなら名前に青が入っているはずなんだけど、今野シズルと苗字も私と同じだから、色に関する要素もない。
――やっぱり、シズルちゃんはヒロインじゃないよね。
これらの理由から、私はシズルちゃんがヒロインではないと結論付けた。
よかったと私は思う。これでシズルちゃんがヒロインの一人で、しかも実は死神でしたなんて言われたら、私は泣く。
「お兄ちゃん? どうしたの? お腹いたいのですか?」
「気にしないで独り言だから。シズルちゃんはいつまでも私の天使でいてね」
黙っていたのを心配してくれたのか、シズルちゃんが私を見上げてくる。そんなしずるちゃんを私は抱きしめて、頬を擦り付けた。
「くすぐったいですよ、お兄ちゃん」
くすぐったそうに身をよじるシズルちゃんは、どこまでも私の可愛い従兄妹だった。